ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ。2
「つまり、ドMの杉崎をどれだけ辱めても、亜理紗にとっての加虐思考は満たされないって事だな」
「そうなのかなぁ……」
「じゃあ例えば亜理紗がやってみたいイジメ方とかあるか?」
「それが……」
何も思いつかないらしい。
というより、当然だよな。亜理紗は元々優しい女の子で、誰かを虐めたりとか、そんな事を考えた事もないだろう。
こうして自身に強い加虐性愛思考があると自覚できたことさえ、奇跡に近い偶然だろう。
「良かった」
「え……?」
「いや、亜理紗には、道徳を教える必要がないと分かって、ちょっと安心しただけ。
加虐性愛思考は、一歩間違えてしまうと、残忍性が出てしまう。他人を無意識に傷つけたりする事は誰でもあるけれど、それを意識して行う様になってしまうと、それは社会から弾かれてしまう要因になりかねない。
さっき言った集団欲に繋がるけれど、人は生きる上で他者と繋がる事が不可欠な世界だ。だから、もし亜理紗にそう言った道徳の欠如があれば、それをしっかりと教える必要があると思ったけれど、やっぱりそれは必要ないってわかった。
だから、次に何かしたい、こういう事をしてみたいって思ったら、必ず俺か杉崎、場合によっては源や、信頼できる人に、まずはお願いしてみよう。
約束、出来るか?」
小指を差し出して、亜理紗に笑いかけると、彼女は若干悩んでいた表情を笑みに変え、自分の小指を、俺の小指と絡めた。
「うん、約束する。もし何かあったら、絶対に武君へ相談する」
「良い子だ。俺はそんな亜理紗にだったら、どんな協力も惜しまない」
指切りを交わすと、彼女はスッキリとした面持ちで階段を駆け、俺と源へ手を振って別れる。
そして、手を振り返す俺へ、源が訪ねる。
「……これが対処法です?」
「うん。亜理紗が優しい子だって事はもう知っていたから、きっとこういう話になるだろうとは思ってた。
今の亜理紗に必要な事は、肯定してあげる事。自分の趣味趣向に悩む事は、誰にだってあり得る事なんだから、その悩みを自覚させて、その上で自分にハッキリとした意思を持たせることが出来れば、他人に迷惑をかける事も無いだろうし、自制する事も出来る」
「でも、あんな約束をしてしまって。また相沢君が、あられもない姿を見せる事になるかもしれないんですよ?」
「何度も言うけど、それが亜理紗の為になるならしてやるさ。それがもし、誰かを傷つける結果となり得るなら、俺が止める。
その為の覚悟だったら、幾らでもしてやるよ」
俺の言葉に、源は僅かに表情を――歪めた。
「相沢君には、以前から言おうと思っていたんです」
「お前がそんな怖い顔するなんて珍しい。いつもムッツリ顔なのに、それを更に歪めるなんてな」
「私の時もそうでしたけど、相沢君はさっき言った社会コミュニティに、自分自身があるという事を自覚していないんじゃないです?」
「バカ言うな。俺はしっかり自分のコミュニティを大切にしているぞ」
「でも、誰かが傷ついていると分かったら、自分の事を後回しにして、誰かを守ろうと必死になります。
――六年生の、あの時もそうです。私が周りの女子に無理矢理告白をさせられ、相沢君へ告白した時、貴方は私じゃなくて、遠巻きに見ていた女子達に怒りました。けれど、結果はどうなりました?」
「……女子達から総すかん食らって、残る二学期と三学期は、ハブられてたよ」
「相沢君は以前、そうしたいからそうしたと言っていましたです。そして、貴方の優しさは、結果として私を救ってくれました。それには、私も感謝していますです。
けれど、なぜその優しさを、自分自身に向けないんです? 中村さんの事だって、貴方があんな約束をする立場になんて無いはずです」
「俺が亜理紗の事を好きだからって言ったら、それが理由になるか?」
売り言葉に買い言葉、という奴だろう。
俺は思わず、源へ本心を打ち明けた。
「相沢君が、中村さんを?」
「ああ。亜理紗が好きだよ。だからアイツの為に出来る事ならなんだってしてやりたい。でも間違ってるなら、それを正してやりたい」
「……恋人に、なりたいから、です?」
「恋人になんてなれなくったっていい。恋や愛なんてもんは、個人が抱く感情で、それを他者に押し付けるもんじゃない。……まぁ、そりゃなれたらメチャクチャ嬉しいんだろうけどな」
「達観しすぎです。し過ぎなんです、相沢君は。普通は、好きな子がいたら恋人になりたいでしょう?
キスだって、何だったらその、エッチな事だってしたい筈でしょう? なのに、相沢君は好きな中村さんに、そうした願望すら捨ててでも、あの人の望む事だけを叶えたいと思うんです!?」
それはちょっと語弊があるかな。と、口を挟んだ。
「俺だって亜理紗と付き合えるなら付き合いたいし、キスだって、エロい事だって出来るならしたいぞ。
けど、それを亜理紗が望んでいるか? 亜理紗が望んでいないのにそうしたいと押し付ける事が、本当に愛情の表現なのか?」
「そういう表現だってあります。だからこそ、貴方は自身の想いをしっかりと表に出して、言葉にするべきだと思うんです。そうする事で、ようやく貴方が喜べるでしょう?」
「例えばだけどさ――もし俺が亜理紗と付き合えたら、お前は喜んでくれるか?」
グッ、と。源が口を固く閉ざした。
……少し意地悪な物言いだったかもしれない。
「俺は例え、お前と亜理紗が好き合って、付き合ったとしても、悔しいけど、喜ぶと思う。大好きな亜理紗が本当に好きな人を見つける事が出来たんなら、それは喜ばしい事だからな」
「私は……きっと相沢君と中村さんが付き合ったら、きっと悔しくて辛くて、たまらないと思います。けど、何時かはその心に折り合いをつけて、納得するんでしょうね」
「言っただろ。俺は自分のコミュニティを大切にしてる。もし亜理紗へ告白したら、そのコミュニティが壊れかねない。どういう結果になろうとな」
「私がいるからです? 私がいるから、貴方は自分のコミュニティを守ろうと、彼女への想いを告白しないんです?」
「それは勘違いだ。お前がもし他の誰かを好きだったとしても、亜理紗が俺を拒絶する可能性もあるだろ? それが怖くて告白できていない、臆病者なだけ」
だから気にすんなよ、とだけ言い残して、俺は屋上出入り口から去っていく。
一緒に来ればいいのに、源はただ、その場で立ち尽くすだけだった。




