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このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ。

「『このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ』」


 また何か言い出した。


男子生徒ほぼ全員が、原稿用紙を手に持っていた。


先日、国語の授業で彼女――杉崎有果が引き起こした騒動の結果、俺たち一年五組の男子生徒ほぼ全員が指導室にしょっ引かれてしまった事が原因である。


例外など無く、俺もその原稿用紙を持っている上に、杉崎も教卓の前に一つの椅子を用意して座り込み、同じく原稿用紙に何やらペンを走らせている。


 その光景がどこか面白くて、フッと笑みを浮かべた後に、感じてもいない反省の文章を連ねていく。


「これは有名画家、フィンセント・ファン・ゴッホの格言だ。彼はその人生を多彩に彩る複雑な生涯を経ているからして、その言葉に重みが出るだろう」


 ゴッホが画家である以外の知識なんか無い中学生に、何を語ろうと言うのだろうか彼女は。


ペンを走らせながら、反省文に書き連ねる嘘の言葉が思い浮かばず、少しだけ表情を崩した時だ。


「だから私もこのまま行く。私の中の私が命じるんだ」


『いや反省しろよ』


 男子生徒のみならず、女生徒も含めた生徒から一斉にツッコまれる女教師なんて世界各国を見ようが彼女位のものではなかろうか。


「だがな皆。この格言も、実は性癖に繋がる大変ありがたいお言葉だと思うのだが」


「思わねぇよ。少しは懲りろ」


「相沢、お前は放課後に居残り授業な。国語の教科書を一日で全てトレースして提出しろ。イラストも含めてだぞ」


「無理に決まってんだろ!?」


「では話しを聞け。なに、時間の無駄にはさせないさ」


 フフッとカッコつけたように笑ったが、反省文片手にカッコつける奴がカッコよく見える筈もない。


「『このまま行け』――いい言葉だ。若者はすぐに諦め、次の道を詮索しようとする。それが悪とは言わないが、次の道へ走る前に、今の道を少なからず極めてからでも遅くないのではなかろうか」


「一芸に達しろって奴か?」


 以前言っていた言葉を思い出して問いかけると、彼女が頷いた。


「そうだ。何事も一つの事柄を極めた者は、その一芸を次の糧に出来る。その糧を用いて、次の道はもっと遙か簡単に極める事が出来るやもしれないだろう」


 確かにそれは言えているかもしれない。


 例えばサッカーをやりながらテニスをやったってどっちつかずになるだけだが、サッカーを極め得た体力をテニスに流用できれば、それはそれで財産となり、近道となるだろう。



「だからゴッホも、避妊もせず女性を抱いて『このままイケと、僕の中の僕が命じるんだ』と考え、子作りに励んだんだろう」


 もー途中までそこそこ良い事言ってたのにー。


「まぁ彼は芸術家だし、決して良い父親になっているわけではないだろうがな」


 極めて無いじゃん一芸。ダメじゃんフィンセント・ファン・ゴッホ。


「じゃあそこで相沢。『このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ』という格言を、見事エロワードに変換してみせろ」


「なんで俺なんだよ! 別に隣の三島でもいいじゃねぇか!」


「いや、お前が一番童貞っぽいし」


「ど、どどど、ど! 童貞ちゃうわ!」


「何と。お前はチェリーボーイでは無かったのか。中学生のご身分で何とも立派な事だ。ではその時の事を赤裸々に語って頂こうか」


「無理に決まってんじゃねぇか!」


 だって経験無いし!


「では考えろ。だって私、語彙力なくて反省の言葉出てこないから行き詰ってるしつまんない」


「お前、国語担当の教師だよな……?」


「いいから、ほら」


 早くしろ、と急かす彼女。


 別に付き合う義理は無いのだが、このまま何も言わずにいると妄想上の初夜を赤裸々に語らねばならぬかもしれない。


 ならばせめて教師に命令されたと言い訳の出来る妄想の方が、よほど健全と言えるだろう。


「……なぁ、俺ゴッホって名前と絵描きだって事位しか知らないんだけど、ソイツって女癖悪かったのか?」


「一説によると恋は多かったらしい。彼が弟へ綴った手紙には、何回も女性に恋をした旨が語られている」


「へぇ、勉強になるな」


 今後使われるかどうかも分からない知識ではあるが。



まあ、とりあえず……やりたくない妄想を開始しようか。



 ――このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ――



『このまま』と言う事は、今までしてきた事、と言う意味合いに取れる。


 ならばこそ「新しい事にチャレンジする」と言う意味合いでは無く、今まで行ってきた事をこれからも繰り返すことを意味しているだろう。


 つまり、フィンセント・ファン・ゴッホからすれば【正常】な事だ。


僕の中の僕が命じる、と言うのは心情的な表現だ。自分の中にある心がそう命じている、と言葉にする事が出来る。


今まで行ってきた、特別では無い何か。その何かを『性癖』へと当てはめる。


難しい物だ。性癖には様々ある。それこそ正常な性癖と言う物が何か、それをまず議論する必要があるだろう。


だが今はその議論をする時間は無い。自分の頭の中にある、可能な限りの妄想を、掻き立てさせる他無いのだ。


手は胸に。


ハァと息を吐きながら目をつぶり、思考をクリアに研ぎ澄ませる。



――集中する。思考は脳内を駆け、今までの経験、情報を巡っていく。その中で、自身が一番正常だと思う『性癖』は――



ハァ、と。今一度溜息をつきながら、目を開ける。そして俺の目を見据えて来た杉崎が、フフッと綺麗な笑みを浮かべるのだ。


「思いついたか」


「ああ。『このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ』……これは、言葉通りの意味だ」


「言葉通り? それは、自身の生き様を描いていた、と言う事か」


「その通り。生き方から考え方まで、全てをそのまま残し、変化をさせる必要は無いと言う言葉の意味だよ」


「ではそれは性癖にはなり得ないと?」


「いいや、性癖もさ。――全てを内包し、このまま行けとゴッホ自身の心が自分に命じたんだ」


 立ち上がり、両腕を広げ、そして熱弁する。


「フィンセント・ファン・ゴッホは、恋多き男だった。彼は女性と言う存在そのものに惹かれる性質があったと思われる。


 それは愛であったか、劣情であったか、その者で無い俺には分からない。しかしその恋が、愛であろうと劣情であろうと、考えを改める事は無かった。


 なぜなら――ゴッホは、自分自身に『異常な性癖は無い』と感じていた。だからこそ、考えを改める必要が無く『このまま行け』と自分自身に命じたと考えられる」


「では彼は元々女性のどこに惹かれたのだ。その惹かれた物が性に対する癖であるとするならば、それだ」


「これは俺が一番それだと思った事なんだけど――男は女の『母性』に惹かれている場合が、一番『正常な性癖』だと思う」


「母性、とな」


「そう。男性が持たない乳房、そして子を体内で育むと言う生殖機能、それらに『男として』恋をするんだ。ゴッホは、その『男として正常な恋』と言う強い性癖を持っていた」


「正常な恋に対する性癖……何とも、おかしな感覚がする言葉だな」


「だがそれも性に対する癖だ。


 それが『人として正常な癖』なのか、それとも『人としての異常性を持つ癖』なのか。その細やかな分類は、正直俺には分からない。


 だが俺の中にある『最も正常な癖』は、女性の持つ母性に惚れる、その男特有の恋愛感情か、と考えた」


 僅かな沈黙。杉崎はふむんと顎に手を当て、感心したような面持ちでブツブツと何かを呟いていた。


ディベートに必要な、反論を探しているのだろう。だが――彼女には反論が見つからなかった。


「なるほど、面白い。お前は相変わらず一度思考に入ると私を驚かせてくれる」


「だが、これも結局、俺の中にある『通常の性癖』での話だ。人は千差万別あるから、誰もが俺と同じ考えを持つとは限らない。


 ゴッホはもしかしたら、幼児性愛や露出癖、のぞき癖を『通常の性癖』と認識していたかもしれないしな」


 だがそれは、今の俺には分かるまい。


――何も知らないガキだからだ。


「そんな事は、これから学んでいけばいい。お前はまだ十二歳だ。知識を身に着ける場所はいくらでもある」


「そうである事を祈るよ」


「うむ。ではこれからも頑張ってくれたまえ。




『女が持つ母性に惹かれる性癖』の、相沢武よ」




 ………………ん?


「ちょ、ちょい待て杉崎。一体何の話だ」


「何とは? お前が言ったのだぞ。『これは俺が一番それだと思った事なんだけど、男は女の「母性」に惹かれている場合が一番「正常な性癖」だと思う』、とな」


「あ……」


 クスクスと、笑いが所々から蔓延った。


「と言うわけでお前の性癖は分かった。母性だな。では女子諸君、相沢は母性に惹かれる『通常の性癖』を持ってるからして、狙い目だぞ!」


顔が赤くなる感覚と共にプルプルと身体が震える。その感覚に耐え切れず、俺は瞳から涙を流しながら、力強く叫んだ。


「テメェ杉崎ぃ! 謀ったなお前っ!!」


「何を言う。謀ってなどいないさ。お前が勝手に、赤裸々に語っただけさ」


「絶対許さねぇかんな! もうお前の命令なんか聞かねぇぞバーカバーカッ!」


「あっはっは。何とも可愛らしい奴だ」


 授業中である筈なのに、彼女の背中を追いかけ、そして彼女は楽しそうにそれから逃げる。


そんな奇妙な時間を繰り広げている内に、いつの間にか国語の授業は終了していた。

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