運命の悲しみと歓びとは、自然の声に黙す。3
いや、話が逸れた。本筋へ戻ろう。
「自慰は、簡単に言えば一人で行う性行為だ。さっきの例えから流用すると、例えば亜理紗が自分の胸を、自分で揉むとか」
「その自慰をするとどうなるの?」
「源、出番だ。ここから先は女子のあれこれだろ? 俺にはわからん」
「えっと、性器などを触る事で刺激し、性的快感を得ることが主な目的、です……性欲の、解消手段として、性行為の対象となる、パートナーがいない場合に行われる、行為……です」
急に変わったし、何より周りに人がいる状況で変な事を言わせてしまったが、少々どもりながらもしっかり説明してくれた。すまん源、今度何か奢る。
「つまり、男子だろうが女子だろうが、エロい事を考えてそういう変な気分になったら、自慰で解消して対処する、ってのが一番って事。ここまで話してようやくテーマに行ける」
「あ、そういえばテーマって『女子が感じるエッチな事』だったね」
亜理紗、自分で言って自分で忘れるなよ……。
「で、では、その……女性も、いわゆる性欲というモノを持っていますです。
なので、えっと……それこそ例えば、男子の裸を見てしまって、その……え、エッチな気分になったり……そういう女子も、いるのでは、無いでしょうか……?」
「すまない、少しいいだろうか。随分と曖昧に聞こえるのだが」
しっかりノートとシャーペンを持って授業に参加してる恭弥。杉崎とかが聞いたらぶん殴る所だが、恭弥ならば仕方ない。
「女性の性欲っていうのは、医学的根拠はないけど年齢と共に増加傾向があるって言われてるし、仕方ないかもな」
「そうなのか?」
「ああ。考えられる理由としては二つ。
一つ、性欲はテストステロンと呼ばれる男性ホルモンの分泌によって発生する欲であるから。
男性の場合は朝にテストステロン値が若干高いって言われてるが、基本は常に分泌傾向がある。
対して女性は排卵期になると少し高まる程度らしいから、若い内に性欲を抱かない子供も珍しくないらしい。
そしてもう一つ。女性の場合『若い内に性的な話題や行為はタブー視される』っていう現状があるから、そういった行為を嫌悪または躊躇してしまう子も多い。源なんかはこれなんじゃないかな」
「タブー視? 良い目で見られない、という事か」
「そういう事。男子の場合は下ネタで喜ぶ奴も多いけど、女子の場合はそういう話題をしないように親から教育されたりするしな」
本当に源には悪い事をさせていると思う。恥ずかしいだろうに性的話題をさせてるわけだし。
「だからこそ、経験が男子と違って少ないから、曖昧な言い方になってしまうのもしょうがないって事。
なので、若い女子にむやみやたらとエロい話題をふらない事。お兄さんとの約束だぞ?」
「ふむ、理解した。話の腰を折ってすまなかった」
律儀に「テストステロンと呼ばれる……」と俺の言った内容を理解しようとノートへ走らせる恭弥は偉いと思う反面、そんなどうでもいい知識よりちゃんとした性知識を覚えてくれと思う。そのどうでもいい知識を覚えてる俺が言うのもなんだが。
「じゃあ源ちゃんは、どういう時にえっちな事考えるの?」
「亜理紗ぁ!?」
さっき俺が語ってたタブーの内容を聞いていなかったかのように平然と尋ねる亜理紗にすげービックリした。
「い、いえ、構いませんです。そもそも授業をする事に同意したのは、私です」
「そうだけどそれはあまりにデリケートすぎる話題だし……! せ、せめて俺たち席外すか!?」
「いや相沢、それは却って気恥ずかしさが増してしまうのではないか?」
「誰に聞かせたくないってお前に一番聞かせたくないんだからな杉崎!!」
「私そこまで信用無いか!? 生徒のデリケートな部分を周りに風潮するほど愚かになった覚えもないぞ!?」
「俺の性癖を周りに暴露させたお前が言う事かよッ!!」
「あれはお前が勝手に語っただけだろう!?」
俺と杉崎の言い争ってる間に、源が気恥ずかしそうに、しかし確かな声で延べる。
「わ、私は……その……その……!」
「その?」
「な、中村さんで、最近……」
「え、私?」
「じ、実は私……その……中村さんが、気になってて……」
――衝撃的な事実が、源の口から放たれた。
いや、確かに兆候はあった。
亜理紗と話す時の源は、誰かと話す時とは打って変わり、赤面させたり恥ずかしそうにしていたりするし、そもそも彼女の事を「天使」と称していたりしていた。
でも、だからこそ俺は、杉崎と恭弥の手を取って退室させようとする。
俺は彼女に、酷い事をさせてしまった。
こんな形で彼女へ告白をさせてしまった事。
知らなかったじゃすまされない事だと思う。
ひとまず一旦この場を離れ、あとでしっかり謝ろう。彼女の為なら自殺も止む無しだ。
しかし、杉崎は俺の事を制して「少し見ていろ」と言ってくるし、恭弥も目を閉じて決して動かない。
そして――
「……白状します。私、中村さんの事が、好きです。
初めて同じクラスになって、一目見た時から、つい目で追ってしまって……
でも、女の子が女の子を好きになるなんて、普通じゃないから……
だからバレないように、休み時間はクラスを出て、中村さんと話さないように、してました、です……」
語っている最中から、源の目に涙が浮かんでいた。
俺はもう我慢できないと言わんばかりに、杉崎へ耳打つ。
「おい杉崎、流石に俺たちっていう衆人環視がいる場面は、源にも好ましくないだろ」
「黙っていろ相沢。
『運命の悲しみと歓びとは、自然の声に黙す』――18世紀フランスのモラリスト、リュック・ド・クラピエ・ド・ヴォーヴナルグの格言だ」
「どういう意味だよ」
「解釈は色々とあるが、私は『悲しみや歓びの運命は、自然と静まっていく』という意味に捉えている」
「つまり、源にとって悲しい結果になろうと歓びの結果になろうと、いずれ時が解決する、的な? でもだからって俺らが聞く必要は」
「良いから、黙れ。――あの『四人』の運命に、身を任せろ」
杉崎の言葉に圧され、つい口を閉じてしまう。
……まぁ、確かに余所余所しく席を外すことも、悪手かもしれない。杉崎に習いつつ、自然と一体化して見守る事としよう。
しかし……『四人』?
「ご、ごめんなさいです。いきなり、こんな……き、気持ち悪いですよね。『あなたを性欲対象にしてます』って暴露」
「え、そんな! 私、そういうのがどういう事かわかってないから、気持ち悪いとか、思ってないよ? だから泣かないで源ちゃん!」
「い、良いんです。私、おかしいって、理解してますです。だから」
「中村さんは何とも思ってないって言っているじゃない、源さん」
そこで、話に割って入る、一人の男がいた。
美少女と見紛う程に可愛らしい顔立ち、しかし今は、しっかりと源の目を見て、言葉を発したのだ。
「み……美馬、君……?」
美馬枝折だ。枝折は珍しくムッと表情を歪ませている。
「源さん、僕ちょっと傷ついたよ」
「な、なにを……」
「女の子が女の子を好きになるなんて普通じゃないって言ったじゃない。どうしてそんな事言うの?」
「ふ……普通じゃないからですッ! だって、女の子は男の子を好きになるもので、男の子も女の子を好きになるべきです!」
「誰が決めたのさ、そんなの」
「だって……皆も異性を好きになるし」
「僕は男の子――ううん、相沢武君が好きだよ」
あ、と。源も口を開き、先ほど俺が枝折にした問いを思い出したようだ。
「美馬君、ご、ごめんなさいです。私、自分の事ばかりで、あなたの事」
「そんなの良いよ。それより、何で源さんは、自分の中に抱いた大切な感情を、自分で否定するなんて、自傷行為に及んじゃうのさ」
――その言葉は、俺が以前枝折へと語った言葉からの流用だ。
「そうだな、俺もそう思う」
そして、先ほどから目を閉じて、皆の話に耳を傾けていた彼も、話題に入ってくる。
田坂恭弥だ。
「俺も相沢武が好きだ。よくわからんが、性欲とやらの対象にできるかと言われたら、できるのではないだろうか。
それで相手が気持ち悪く思うのなら、俺もやめるべきだと思う。その想いを閉ざすべきだと思う。
だが、相手がその想いを、理解はせずとも許容しているのであれば、卑下する事ではあるまい」
――この言葉も、俺が以前恭弥へと語った言葉からの流用だ。
二人は、俺の言葉を、しっかりと理解し、心に刻んでくれていたのだ。
何だかそれが、少し嬉しかった。
「杉崎」
「何だ」
「お前は、こうなるって事、分かっていたのか?」
「難しい質問よな。もちろんこんな暴露大会になるとは思っていなかったが、しかしあの二人がいれば問題あるまいと思っていた。
それに――中村も、しっかりとお前の授業を聞いているのだぞ?」
フフと笑いながら、杉崎が亜理紗を示した。
「源ちゃん」
「は、はいっ」
つい、二人の言葉に圧されていた源が、話の根幹にいる亜理紗の言葉に驚いてしまっていた。
何を言われるのだろうと、身構えるように、ビクビクと震えている。
けれど確かに――亜理紗は俺の授業を、しっかりと聞いているのだ。
ならば、問題はない。
「ありがとう、源ちゃん。私、とっても嬉しい」
「中村、さん……?」
「性欲の対象とか、そういうのは正直よくわからないけど……
うん、これはある人の受け売りなんだけどね、私は誰かに好かれる人間で、誰かに想って貰える女なんだって、確かにそう思えるの。
だから、お願い。美馬君の言うように、自分で自分を傷つけるなんて、そんな事はやめて。
もし、この事を知った誰かが、源さんの事を気持ち悪いーとか、変だーとか言う人がいるなら、私の前に連れてきて。
私が怒る。私を好きになってくれた人を、バカにするなって」
源は、その言葉で救われたのだろうか。
俺が彼女へ与えてしまった罪は消えない。
彼女を辱めてしまった事実は消えない。
でもだからこそ――彼女に救いがあって欲しいと思う。
俺は勢いよく立ち上がって、源の手を握りながら、頭を深々と下げた。
「源、ゴメンッ!!」
「へ、あ、相沢君!?」
「こんな事を言わせる結果になってホントに申し訳なく思ってる! 今すぐ窓から飛び降りろって言うならするぞ!?」
「そ、そんな事しないでくださいですっ」
「許してくれるか!?」
「許すも何も、最初から怒っていませんです! わ、私が勝手に暴露して、勝手に泣いただけなんですし……それに」
ちらりと、源は周りを見渡した。
想いを笑顔で受け入れてくれた亜理紗を。
感情の是非を怒ってくれた枝折を。
卑下をするなと言ってくれた恭弥を。
そして、三人の事を信じ、ただ運命を受け入れようと静かに黙っていた杉崎の事を。
「私、なんだか今、気持ちがすごく楽になったんです。
もちろん、アブノーマルな事だとは、理解していますが、そのことを受け止めてくれる人たちに、出会えることができたのです。
むしろこの結果は、私にとって、大切なひと時になって……歓びなんです」
源は、普段変える事の無い表情を――確かな笑顔に変えて、涙するのである。
「中村、いいか」
そこで杉崎が声を挙げる。
「何? 先生」
「人はえっちな事を考えると、好きな人の事を考えてしまうものだ。それが今回のテーマに則した答えではないかと思う」
「うん、すごく為になる勉強だね」
「だがそういった問いや答えは、時として誰かを傷つける結果となり得てしまう。相沢が危惧したのはこの部分だ。
こんな機会は二度と無いと思うが、私や相沢以外の誰かへ『あなたはどんなえっちな事を考えるか』等と、聞くことの無いようにな」
「うん、反省してます。ごめんね、源ちゃん」
「い、いえ……平気です」
なんだか、今日は本当にいい授業ができたんじゃないかと思う。
俺も謝れてスッキリしたし、源の心に傷をつけることが無くて本当に良かったと思う。
………………んん?
「杉崎、一つ引っかかった事があるんだけど」
「ああ、なんだ。先生に何でも聞くがいい!」
「お前普段の授業で俺に色々言わせてるし、今の注意もお前と俺だけ外したよな? なに? 俺が傷つくとか思ってないって事?」
「…………」
「なんか言えよ」
「か、代わりに私も、教師の尊厳とか、台無しにしてるし……」
「お前ホントに人の振り見て我が振り直せよ!」
「わ、分かった! 代わりにおっぱい見せるから許せ!!」
「それお前の露出癖じゃねぇか!?」
「それこそwin-winではないか! 私は下ネタが話せてお前の性癖暴露させられるしおっぱい見せられる!
お前は性癖暴露できておっぱい見られる!」
「俺のwinが一個しかねぇじゃねぇかッ!」
「あ、おっぱい見れることはwinだと思ってるんだな」
くすくすと、周りの四人が一緒になって笑っている。
……オチ担当になった事はちょっと解せないけれど。
その笑顔が見られて、俺は満足できたのだった。




