運命の悲しみと歓びとは、自然の声に黙す。2
「で、では質問もないようなので、授業を開始していきますです。中村さん、よ、よろしくお願いしますです」
「うん、よろしくね源ちゃん!」
「~~~っ!!」
亜理紗より満面の笑みで挨拶されたことによって顔を真っ赤にさせた源。彼女は嬉しそうに声を挙げる。
「そ、そもそもですが、中村さんは『性欲』というものを理解しているのです?」
「うーん、エッチな気分になる、とかそんな感じのだよね? よくわかんないや」
「よろしい事だと思いますです! そのまま純粋無垢な中村さんで居てほしいのです!」
「えー。でもそれだと大人になれないよ?」
「立派な大人になるのは当然として、杉崎先生みたいになる事は絶対にダメです!」
「それはそうだけどぉ」
「この流れで私をディスる流れは流石におかしくないか!?」
「何一つとしておかしくねぇよ、自分の胸に手ぇ当てて聞いてみろ」
「ふむ……」 (もみもみ)
「いや俺の胸じゃねぇよ!? 百歩譲って胸触るのはいいけど揉むな!!」
しかも律儀に背後へ回って寄せて上げるっていうちょっとエロい触り方してくるコイツは本気でヤベー!!
「……あんな風に誰かへエッチなお触りをしたい、などの欲求も今のところはないという事でよろしいです?」
「んー、女子のお胸は柔らかいから触ってて楽しいだろうけど、男子のお胸はそうでもないんじゃないかなぁ?」
「私も経験があるわけではないのでそこは肯定も否定もしませんです。しかし、となると自慰なども経験はないのでしょうか」
「辞意? 前に先生と武君も言ってたけど、辞意がどうしてエッチな事に繋がるの?」
これは強敵だと言わんばかりに源が頭を抱えている。
少々手助けした方がいいだろう。未だに俺の胸を揉み続けてる杉崎の頭を一発ぶん殴った後に立ち上がる。
「じゃあ俺も講義に参加する。性欲に関してだよな。これは男の事例になっちまうけど、やっぱり行為に対する欲求って意味じゃないかな」
「欲求?」
「つまり、この人とエッチな事したいとか、あの人の胸揉んでみたいとか、そういうの。だろ? 源」
「そ、そうです。そういう欲求が中村さんにはない、という事になるのです」
「そもそもどういう行為がエッチな事なのかわからないから、考えてるのかどうかもわからないかなぁ」
「だ、男子の裸を見たいとか!」
「? 裸なんて見て面白いの?」
いや知ってたけども、亜理紗の性知識の欠如は本当に恐ろしいな。
……もしかしたら嫌われるかもしれないが、ちょっと試してみるか。
「源、怒るなよ?」
「え」
「亜理紗、もし俺がここで『ちょっとパンツ見せて』って言ったらどう思う?」
「ヴェァァァアアアッッ!!(相沢君絶対殺すです!!)」
「だから怒んなって!! 超怖いッ!!」
「え、見たいの?」
と、そこでスカートの裾を持ち上げようとする亜理紗。源と一緒に慌てて止める。
「ヴェァァァアアアアッ!!(中村さん待ってです!!)」
「待て待て待て!! 例え、例えだからッ!!」
「えーでも肌着だよ? 可愛いのもあるし見せても何ら不都合ないじゃん」
「うむ、それは俺も気になっていた。女子の着替えを覗こうとする男子の多い事だと。
しかし……体育の着替えなど、着替えて制服から体操着だろう? それでは下着しか見えないのではないか?」
ここで恭弥も疑問に参加した……。
「じゃあ田坂君見てみる?」
「あまり興味はないが、それも経験か」
「何なんですこの二人!?」
「そうだろ源!! 性知識がなさすぎるってそれはそれで怖いだろ!?」
ついでに恭弥も止めることになるとは。念のため「女子の下着は覗いてはいけません!」と叱っておく事とする。
恭弥も「気を付ける」と言ってくれたが、尚もなぜ下着がダメかは理解していなさそうだった。
「ていうかこういう事は杉崎先生が止めるべきです!」
「え、生徒の下着見ちゃダメなのか? 私が中学教師になった理由の六割が消えるな」
「お前ホントに教師かよ!?」
参加メンバーが増えてツッコむ対象が増えた事増えた事……。
けど、まだ今日は楽な方だ。源がいるからツッコミを彼女と共有できるってのはデカいかも。源って実は救世主かもしれない。
「話戻すぞ……源、今度は怒るなよ?」
「は、はい……お願いしますです……」
源も超疲れてるし、何だかんだ俺の事を信用してくれたのか、任せましたみたいな視線を俺へよこした。
「じゃあ次の例え、『例え』な。亜理紗と恭弥は、俺がもし『裸見せて』って言ったらどう思う?」
「別に見せてもいいよ?」
「見せても問題あるまい」
「強敵です……」
「いや……もういい。説明をする必要があると分かったからな」
ひとまず、この二人に欠けているのは逆の意味で貞操観念だ。
「性的な事におおらか」、という意味ではなく「性知識の欠如により性への関心をそもそも持っていない」というモノだ。
「まず前提条件を教える。源、ちょっと幾つかの質問に答えてくれ」
「はいです」
「人に自分の裸を見られる事に対して、どう思う?」
「経験が無いので難しくはありますが、好ましくない相手に見られる事は非常に嫌悪感を抱くと思うのです」
「次。下着とかを見られる事は?」
「偶然目にしてしまった、等はあり得ると思いますが、それでもあまり好ましくはありませんです。同性ならばまぁ……といったところです」
「最後。身体に触れられる事は?」
「場合によりますが、肩や手などは構いません。しかし頭は少々苦手です。脇や胸、それより下は、同性であっても嫌です」
あぁ、源が模範的な奴でよかった。これ以上変な奴増えると俺の胃が死ぬし。
「まぁこの問いの答えは十人十色あるけど、大体の人間は源と似たような回答になるだろうな。
じゃあついでに枝折、お前にも聞いておくか」
「うん!」
さっき源へした問いから静かだったコイツが、俺の言葉には笑顔で頷いた。
「人に自分の裸を見られる事に対して、どう思う?」
「武君になら全てを見てほしい。あ、それ以外の人は見ないで欲しい」
「むしろ怖いな!? 下着とかを見られる事は……?」
「武君になら」
「最後! もう答え分かってるけど身体に触れられ」「武く」「はいありがとーねー!! 座ろうねー!? 俺の手を握って触らせようとしないでねー!?」
源が俺へ「コイツも苦労してんだな」みたいな目で見てくるし、何だかそれが暖かくてありがたい。
「えー……そもそも何で裸や下着を見たり、見られると嫌悪感や興奮等の感情を覚えるか。
それは『裸や下着姿が性行為に近しい恰好であるから』って、俺は考えてる」
「そう、ですね……性行為に近しい恰好であるからこそ、それに対する欲求として、感情を左右させるのではないか、とは思いますです」
「つまり、そうしてエッチな事を考えちゃうってことだよね?」
「ふむ、性行為という言葉の意味が分からんと納得はできんが」
「恭弥は保健の勉強しなおせ。今日の授業はそれじゃない」
「うむ」
と。ここまで静かな杉崎に目をやる。次の質問は彼女に答えてもらう予定だからだ。しかし……。
「お前なんで項垂れてるの?」
「いや……私って本当に変態だったんだなぁと、少し……」
「今更何を……」
まぁ十人十色あるとはいえ、人の振り見て我が振り直せっていうし、杉崎も源の模範的な回答を聞いて思う所があるのだろう。いい事だ。
「私、たまにノーブラで授業して相沢の視線と表情を楽しんで興奮してるんだが、これって異常だったんだな……っ」
「それが異常じゃなけりゃ誰もが正常だよ!? て、ていうか別に見てないかんな!?」
ほんとに、たまに杉崎が「ブラしてるかコイツ」って日があったのは確かだが、そういう日はさりげなく目線を逸らしたりしてるからな!?
「目線を逸らす愛い反応を見てるんだがな」
ホント上級者だなコイツ……!
「丁度いい、質問に答えろ。異性同性問わんが、性行為に身体の接触は必ずしも必要か?」
「難しい問いの仕方だが、性行為という事ならば必ずしも必要ではなかろう」
「え、性行為って肉体接触しなくてもできるの?」
恭弥と違って流石に性行為――いわゆるセックスという言葉の意味は理解している亜理紗がちゃんと問うてくれる。
「これが今回のテーマ『えっちな事を考える』にも繋がる。亜理紗、実は性行為ってセックスの事だけじゃないんだぞ」
「え、そうなの?」
「まぁ広義の意味で、だがな。
男女のセックスは性交と言って、いわゆる子作りをする為の行為。人間以外の動物なら交尾。
けど性行為は広義的の範囲では性交渉全般を指す。男女もそうだし同性同士も含んでいいし、何ならもっと複数人でも一人の場合でも当てはめる奴もいるし、杉崎もそう思ってるんだろ?」
「ああ。自慰も性行為には違いないと思っている」
「えっと、つまり……?」
「ホントに例えばだけど、俺が亜理紗の胸を触ったりしたとして、それもペッティングっていう性行為の一つになるって事だな」
「触っただけでも?」
「亜理紗にはちょっと理解しにくいかもしれないけどな。
そしてここからが本題だ。亜理紗、さっき自慰って言葉の意味を聞いたよな?」
「うん。辞意って何かを辞める意思を表す事だよね。あ、もしかして示威……威厳を示す、みたいな方かな?」
「分かりづらくて悪いけど、自慰は『自分を慰める』って書く」
黒板に小さく「自慰」と書いて、亜理紗が字をしっかり見てからすぐに消す。こんなの杉崎以外の教師に見られたら指導室で尋問コースだ。
「というかお前、国語の成績悪い癖に『慰』は書けるんだな……」
「自分でもすんなり書けてちょっとビックリしたよ……」
杉崎にツッコまれた。でででも別に俺がエロガキだからそういうワードだけ書けるとかじゃないよ? ホントだよ?




