運命の悲しみと歓びとは、自然の声に黙す。1
「相沢君、ちょっとよろしいです?」
珍しい女子が話しかけてきた。
俺――相沢武が、トイレに行くために教室を出てちょっと歩いていた所、同じクラスの源由美奈が自前のムッツリ顔と眼鏡を引っ提げて声をかけてきたのだ。
「いや、トイレ行きたいんだけど」
「我慢してくださいです」
「じゃあトイレ行きながらでいい?」
「我慢してくださいです」
結構ピンチな為、少々内股になりながら律儀に我慢してやることにした。
「何だよ、五秒で言え」
「最近杉崎先生と中村さんと仲がよろしい様です?」
「そうだね、亜理紗とは結構仲良くなったかな。杉崎に関しては死ねって思ってるけどね。トイレ行っていい?」
「我慢してくださいです。毎日毎日居残り授業をしているようですが、不純異性交遊などがあるのです?」
「無い。はい、これで話終了。トイレ行かせて」
源の横を通ってトイレへ行こうとするも、行く道を体で塞いでくる。
「信じられません、あれだけ毎日毎日下ネタばかりの杉崎先生と相沢君が中村さんを毒牙にかけてるとしか思えませんです」
「どっちかというと俺は被害者だっつの……」
「では居残り授業で何をしているのです?」
「お前が今言ったように居残り授業だよッ!!」
「相沢君が居残り授業に出るのはわかりますです。けど中村さんが参加する理由がわかりませんです」
「分かった! ちゃんと内容を説明するというか、気になるならお前も今日参加して良いからっ! だからトイレ行かせて下さいっ!」
限界が近かったので大声でそう頼み込むと、ようやく納得したのか道を譲ってくれた。
めっちゃ危なかった、あと五秒遅かったら漏れてた……。
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「てなわけで」
「杉崎先生、中村さん、美馬君、田坂君、今日はよろしくです」
ペコリとお辞儀をしながら、源が居残り授業に参加する為に椅子へ腰かけた。
「ていうか参加人数増えたな」
「そうだねぇ。これ、私の為だけの授業にしてていいのかなぁ?」
「問題はない。中村と田坂は内容を覚えられ、そして周りの者は復習ができる」
杉崎の言うように、亜理紗が増えた人数に対して何か思う必要などない。
そもそも枝折と恭弥は別に誘ってないのに参加しているので、別に彼らが分かるように授業をする必要は本来無いのだ。
……いや、恭弥にはちゃんと教えた方が良いのだろうか。それとも純粋無垢なコイツのままで居てもらった方がいいのだろうか? うーん、友情と悪心の狭間で揺れ動く俺。
「所で相沢」
「どうした杉崎」
「そもそもお前はどういう『というわけで』を経て、源を参加させる事にしたのだ?」
「すまん、忘れてた」
源も、思った以上にしっかりとした居残り授業に見えたのか、少々焦りが見て取れる。
基本無表情でムッツリしてるし今も変わんないけど、焦るとムッツリ顔のまま冷や汗ダラダラ流す癖は、小学六年の頃から変わらないなコイツ。
「えー。源はどうやら、俺たちが何をやっているのかしっかり把握する為にここへ来たそうだ」
「そそ、その通りです。不純異性交遊・不純同性交友などは、この源由美奈が許さないのです」
「源、お前委員長でもなかろうに。どうしてそこまで気にする。担任教師である私が監視しているのだぞ? そんな事が起こりえる筈もない」
「いや杉崎先生だから超心配してるんです」
その答えには正直誰も否定できまい。
「そもそも中村さんは成績優秀者で、授業をなさらなくて基本平均点が低下気味の国語でさえ、毎回九十点台をたたき出しているのです。
その彼女が主催する居残り授業という事ならば納得ですが、そうではなく彼女の為に行う授業など、必要が無いように思いますです」
「ふむ――源、お前の中にある中村亜理紗を語ってみろ」
「超天使です」
端的かつ超論。
「いえ、この言葉でしか表す事が出来ないのです。下手に言葉として口にしてしまえば、彼女の神聖が薄れてしまうのです。何せ彼女は可愛くて美して体系も理想的で物腰も柔らかなのに成績優秀身体能力も高いとパッと挙げるだけでもこれだけ優秀性が出てしまう天使なのです。これ以上語る事は彼女を却って侮辱する行為となりかねませんです」
その亜理紗は矢継ぎ早に褒めちぎられすぎてすっげー顔真っ赤なんだけど。
「ていうか亜理紗、今日はお前静かだな」
「そ、そうかなぁ。うん、ちょっと緊張してるかも」
「どうして?」
「えっとね。私、源ちゃんと話した事ないの」
「マジで?」
それは珍しい。亜理紗はクラスメイトとの交流をよくしているイメージあるし、俺たち以外の男子と普通に談笑している所も目にしている。
分け隔てなく話をしてくるから、クラス中の男子ほぼ全員が彼女に恋してしまっている現状があるのに。
「源ちゃん、休み時間中クラスにいないから、話しかけられなくて」
……そういえばそうだ。確かに源が休み時間中にクラス内で誰かと話してる所はほとんど見ていない。
コイツとは小六の時にも同じクラスだったが、その時は普段クラス内にいたと思うけど。
「相沢」
「なんだ杉崎」
「ひとまず今日の授業を始めるぞ。テーマは何にする?」
「そうだなぁ……亜理紗は何か知りたい事あるか?」
「うーんと、じゃあ『女の子が感じるえっちな事』についてかな」
「やっぱり不純な居残り授業ですッ!?」
「そういえば源にも内情を言ってなかった……」
すぐさま俺は源へ、この居残り授業は「中村亜理紗が性的知識や下ネタを正しく理解する為の居残り授業である」という事を説明する。
「そもそもなんでそんな授業が必要なのです!? 中村さんにそんな卑下た話題などを教える必要などないのです!」
「じゃあお前想像してみろよ、亜理紗に妙な目的を持って近づいてくる男がいて、そいつが亜理紗を手籠めにしようとしてる所」
「中村さんを、手籠めに……!?」
今、コイツの頭ではどんな卑下た想像がされているのだろう。
数秒フリーズした源は表情を変えずに冷や汗だくだく流して顔テッカテカになってる。
「ダメですッ!!」
「だからしっかり性教育を行う必要があると、俺と杉崎が考えた」
「ナイスです! 二人とも超ナイスです!!」
俺と杉崎の手をギュッと握って授業内容をご理解頂けたので、俺はちょうどいいといわんばかりにコイツヘバトンタッチする。
「じゃあ源、今日の授業お前に任せていい?」
「え」
「いやだって、今日のテーマ『女子が感じるえっちな事』だろ? 流石に俺も女子の事はわかんないから」
「すすすすすす、杉崎先生が教えれば」
「そのテーマで杉崎に教えさせてみろ、絶対妙な事教えるぞ」
「妙な事……!?」
再びフリーズした源。
「ダメですッ!!」
「頼んだぞ源」
「承りましたです!!」
「今私、卑下た目的で近づいてくる妙な男と同列の扱いされなかったか……?」
杉崎がなんだかダメージを受けたようだが、それに関しては「知るか普段の行いが悪いんだバーカ」とだけ罵っておく。
と、ここまで何も喋っていない恭弥へ、俺は声をかける。
「恭弥もちゃんと聞いておけよ。お前も性教育をする必要があるだろう」
「うむ……正直、これまでの会話に全くついていけなかったのだがな」
「お前、保健体育の成績は?」
「この間のテストでは二十三点だった」
「うん、基礎からしっかり学ぼうな」
源は教卓前に立ち、緊張した面持ちでペコリと皆へ頭を下げた。
「ででで、では。本日の授業を承りました、源由美奈です。よろしくお願いしますです」
「その前に源、今回の授業では『女子が感じるえっちな事』を教えてもらう事となるが、お前は男性との交際経験などは?」
「ある筈無いのです! まだ私たちは中学生です! そういった関係を持つには誰もが早すぎるのです!」
そりゃまぁ確かに。亜理紗にしてもそうだが、俺たちは全員中学一年生だ。
健全なお付き合いならともかく不純な交際はするべきではなかろう。せいぜい下ネタで我慢するべきだ。
「じゃあ、先に僕から質問いいかな、源さん」
今回のテーマでは珍しい奴が手を挙げた。
美馬枝折だ。コイツ俺への性欲に関してはゴリラなのに女子とのあれこれには全く興味なさげだったのに。
「は、はい。何です、美馬君」
「源さんは武君をえっちな目で見てないよね? もしそうならちょっと個人的にお話があるんだけど」
違った、今回のテーマに関する事じゃなかった。
「ハッ!」
「大丈夫みたいだね、僕安心。ありがとう、続けて続けて」
今俺すっげー源に鼻で笑われたんだけど、それ見て枝折ってばすっげー笑顔なんだけど、俺蔑まれたのかな? なんだかすっげー複雑な気分。
「ふむ、では俺も質問をしよう」
続けて恭弥も手を挙げる。コイツもこの手の話題でしっかり手を挙げるのは珍しい。
「何です、田坂君」
「源は武との間に友情を感じているだろうか。もしそうなら個人的にしっかり話をせねばなるまい」
コイツも違った。ていうかなんなんだコイツら。
「ハッ!」
「大丈夫のようだ、俺安心。ありがとう、続けてくれ」
今の質問に対してもすっげー源に鼻で笑われたんだけど、恭弥もすっげー笑顔なんだけど、俺蔑まれてるよね? 泣いていい?
確かに源と仲深めた機会はないし小六の時に色々あったけど、友人とも思ってなかったって事? それに対して恭弥は嬉しいと感じてるってこと? すっげー複雑な気分。
「な、なぁ源」
「何です? 相沢君」
「も、もしかして、俺の事……キライ?」
「キライではありません」
「そ、そっか! よかった……」
好かれていなくとも、嫌われていなければそれでいい。今後クラスメイトとして仲を深める事さえできればいいのだから。
「そもそも羽虫程の興味も沸いてませんので、相沢君に対してどういった感情も持ち合わせていませんです」
「すっげー傷ついたッ!!」
なんだろ。「お前に興味全くない」って言われるの、こんなに傷つく事だったんだね、勉強になるわぁ。心の傷と共に。




