1:新しい自分
金の髪と青い瞳の少女。私はアリア。15才の町娘だ。
別の世界ではムカイサチだった。
今は、城下町の中程にある、小さな食堂の末娘で、給仕をしている。
5才離れた姉は今年の春、付き合いの長い恋人と、ようやく結婚し家を出た。
食堂は、10才になった頃から働いていて、看板娘二人と厨房の父母の四人で切り盛りしている。
姉が結婚した時は、何人かの常連客がこっそり肩を落としていた。
自分で看板娘と言うのも恥ずかしいが、この店は私目当てのお客さんが多い。
小さな頃に遊びで始めた、鼻を人差し指でちょんと触る、幸せのおまじないが効果があると評判になり、ランチメニューと一緒に、ちょんと、する毎日だ。
逃げた猫が見つかった。いい獲物が捕れた。探し物が見つかった。ささやかだけど、幸せになれるおまじないだ。
毎日が幸せに、周りが幸せに生きることはアリアを幸せで包み込む。
アリアは生まれ落ちた時の記憶はない。
ただ、幸だった頃のおぼろげな記憶で、暖かい何かに背中を押されて、この世界に生まれたことは理解していた。
きっとそれは神様なんだと信じて、彼女は毎日神へ感謝を捧げていた。
今日はランチ営業の前に神殿へ足を運んだ。
周りは薄暗く、朝の静かな空気が心地よい。
私は別の世界で生きた記憶があるが、自分が幸だった時の記憶は、ほとんどない。
ただ、この世界へ隙間から飛び込む瞬間、天上のあの方が仰った言葉は覚えている。
『僕は奉仕はしないんだ。
対価としてほんの少し運命を縛らせて貰う。
君は決して大きく幸せにはなれない。でも不幸にもならない。
そして次の世界で、周りに小さな幸せを散らしながら生きて行けばいい』
神殿で祈りを捧げると、いつもその言葉が、聴こえるような気がする。
神なのか、神以外なのか私には分からないけど、その言葉の通り、私の周りはいつも幸せで溢れていた。
長い祈りの後、組んだ両手を額から外し深呼吸した。お祈りの時は、いつも暖かい光に包まれているような気がして安心する。
朝と昼の間の時間は人が少なくて、とても落ち着いた空気だった。
「残念。今日は黒髪の君はいらっしゃらないわ」
アリアはこっそりと神殿内を見渡すと、静かにため息をついた。
彼女はいつもこの場所で見かける、黒髪の男性に密かに恋心を抱いているのだった。
その男性が神殿に佇む姿は一枚の絵画のようで、アリアは一目惚れしたのだ。
しかし、今日はその人はいなかった。
アリアは残念そうに微笑んで、それから司祭様に軽く会釈をし、食堂に戻った。
ーーー
「アリア! 聞いてくれ! 受かったんだ! 王宮騎士団に受かったんだ!」
朝日が登りきった頃、神殿から食堂へ戻った。
アリアがランチの準備をしている時、幼馴染のカイルが満面の笑み食堂に飛び込んできた。
どうやら、応募していた騎士団の採用試験に合格したようだ。照れ臭そうに鼻の頭をかきながらカイルが言う。
「アリアのおまじないが効いたな!ありがとう」
「ふふ。それはカイルの実力よ。おめでとう。
でも宿舎に入るんでしょう? 寂しくなるわね」
姉のミリアが結婚し近所に住み始めたが、職場は同じでも、夜同じ屋根の下にいないと思うだけで寂しかった。
王宮騎士団は王宮の近くに居を構えるので、ここから少し離れた場所に住むこととなる。
カイルの幸せを嬉しく思う反面、少し寂しい気持ちになるのだった。
「大丈夫だよ、俺、ここの飯好きだから、頻繁に食いに来るさ!」
「本当? 約束よ。それでいつから宿舎に行くの?」
「それが急なんだけど、明日からなんだ。だから今日はしっかり堪能しようと思って」
いたずらっぽく笑うカイルにアリアも同じように答える。
「あらそれは、ランチ?それともおまじない?」
「両方さ!」
「じゃあ、厨房の父さんも腕を振るわないといけないわね。
ふふ。明日からのカイルが安全に快適に過ごせますように!」
ランチ準備で厨房に入る際に、カイルの鼻をいつもより力を入れて、ちょんと突いたら、イテッと小さくこぼしていた。
ーーーー
ランチ営業が終わり、夜まで少し時間が空くことがある。今日は少し時間が取れたので、もう一度神殿に向かうことにした。
神殿の中は、夕日で赤く染まっていた。
薄暗いのにはっきり見える。そんな夕暮れの時間だった。
仕事中は後ろで緩く編んでいる髪も、今は下ろしており、夕日に染まる神殿の中、ステンドグラスから差し込む光で、アリアの金の髪がキラキラと輝いていた。
その光景を、長い黒髪の一人の魔法術師が、眩しそうに見つめていた。