第四話 気付いた時には
相変わらず静かな村。聞こえるのは風のざわめきと、朝からずっと鳴いている小鳥の声。そして家々からは優しい家庭の音が響く。
その音に鼻唄を合わせながら、アリゼは果物を手に家路に着く。ふとその道から、見覚えのある人物がこちらに向かって歩いているのが見えた。いつもより顔が曇っている、ような気がした。首を傾げつつも、彼に近づき声を掛ける。「おはようございます、冒険者さん」
宿屋でおかえりなさいの挨拶をしたばかりの『あの人』は、近付くアリゼに気が付かなかったようで、声を掛けるまでこちらを見なかった。
アリゼと目が合い、『あの人』は周りを見渡した後、息を吐いた。
「ん、まただね。おはようアリゼ。今日はお手伝い?」
「はい。今日は昼用の果物です。冒険者さんもお好きでしたよね、果物?お昼は楽しみにしていてください!」
腕から下げた籠の中にある果物を『あの人』の前に突き出しながら、胸を張る。
「うん、ありがとう。楽しみにしてる」
「昼までに帰ってきてくださいね」
明るい顔をしてくれた。先程の暗い顔は、見間違いだったかもしれない。しかし、いつもより何となく挙動不審だ。アリゼは『あの人』を見つめたまま、彼の周りを一周した。『あの人』はアリゼを目で追い、不思議がるように、そして何かを言おうと口を開く。ただ彼の口が動いた事に気が付かなかったアリゼは、それを無意識のうちに遮り言葉を続けた。
「……冒険者さん、何かあった?」
「えっ?……何か?何かおかしい所でもあった?」
慌てたように服装を確認する『あの人』。やはり気のせいだろうか?
「えっとー、はい!何でもないっ、です!ごめんなさい!」
「?なら良いけど……。」
「じゃ、じゃあこれで……」
自分が的外れな事を言った時に頭が真っ白になって、言葉が詰まるのはアリゼの悪い癖だ。今のちょっとした質問だけで焦ってしまった。気を付けたいのに、中々慣れないものである。
逃げるように『あの人』を通り抜かして、前に行こうとすると、籠を持っていない方の腕を掴まれる。「えっ、と」アリゼは頭が追いつかないもの、後ろから自分の腕を掴む、彼を見た。
「……アリゼ。昼、楽しみにしてる。だから、食べ終わったら、今までの旅について、ユニと一緒に語り合おう。『醒石』についても、たくさん語ろうね」
いつもとは全く違う、悲しげな笑み。
——突然何を言っているの?
声は出なかった。というより、寂しげな『あの人』の顔を、今まで一度も見たことがなかった事の衝撃で声が出なかったに違いない。アリゼは詰まりながら、喉の奥から声を出す。
「あの……」
「……ごめん、また後で!腕、掴んでごめんね」
『あの人』はアリゼの反応を見る事も、聞く事もしないでアリゼと真逆の道を駆け足で行く。宿屋とは反対の道だ。『あの人』が何をしたかったのかを察する事が出来なかった。後々になって、アリゼはその事を後悔する事になるのは、知る由もない。
*
「おじさん、ただいま」
寂しげな『あの人』の後ろ姿を見送ってから、アリゼは宿屋へ入り、受付の主人へと声を掛けた。
「おかえり、アリゼ。買ってきてくれてありがとな」
「良いよ、これぐらいして当然だから。他にする事ある?」
主人は持っていた宿帳を机の奥に仕舞い、今渡した籠を足元に置いた。薄っすらとある髭を指で撫でながら、アリゼにしてもらう事を考えているようだ。うーん、と唸った後、パチンと景気の良い音を指で鳴らす。
「……ないな!掃除はユニがもうしたし、お客様達も一斉に外に出た。この宿には今人が少ししか居ないから、アリゼは部屋でご飯食べな」
なんて仕事の早い。ユニは宿屋の息子として十分過ぎるくらいの技術があるのでは?
この宿は、経営しているアメジストリー家とアリゼ以外働いていない。受付の主人に、調理師の主人の妻、その他諸々のユニとアリゼの四人。
『人数が少ないため、部屋の掃除はお客様が帰られた時しか出来ません』という何とも変なルール?が宿屋を使用する際の注意点として挙げられている。つまり、これに了承しないと泊まれないのだが、意外と気にするお客さんは少ない。
「……分かった!じゃあ部屋に行ってくる。今日は買い物しか出来なくてごめんね」
主人に手を振ってアリゼは手摺を掴んで階段を上る。一階も二階もしん、と静まりかえり、音は厨房からしか聞こえない。
そういえば、お客さんは一斉に外に出たとかおじさん言ってたな。さすが冒険者、『醒石』探しは朝からするのね。
廊下を左に曲がり、自分の部屋の扉を開けた。暖房器具をつけていない部屋から、冷風が漂い、アリゼの身体を貫く。
——寒い!!
外より寒い気がする。急いで中に入り、扉を閉めてドレッサーの横にあるストーブのような物体の電源を入れた。電源ボタンが数回光って、ブォンと不快な音を立てて暖かな空気を吐き出してくれる。
暖かな空気を確認した後、アリゼは机のご飯に手を付ける事をせず、ベットに飛び込んだ。仰向けになって、額に手を置く。今日は特に色んな事があった気がして、朝から疲れてしまったから。
特になにもしていないのに、ユニの読んでいた変な本の紹介に『あの人』の帰り。そして今度の話は『醒石』について。誰かに似たマナシィという女性。『あの人』の挙動不審な態度。……こう考えると朝なのに色々あり過ぎだ。
アリゼの、他人に対して気遣いをしようと観察する——アリゼにとっては悪い癖の一つのせいで、また失敗した。嗚呼、早起きなんてすべきじゃなかった。
身体を横にして、目を擦る。早くご飯を食べないと、それに昼の果物は『あの人』の為に私が切らなきゃ。
それにしても瞼が重い。色んな事があったが、そんなに疲れていないはずなのに。アリゼは考えながら、まだ朝なのに眠ってしまった。
*
「……ゼ!アリゼ!!」
ドンドンと扉を叩く音。アリゼはその音でハッと目を覚ます。
——しまった、寝てた……!
ベットから跳び上がり、窓の外を見ると夕焼けで橙色に染まっている。昼はとっくに過ぎてしまっているではないか。時間が経つのがとても早い。主人に拾われてからというものの時間の感覚がおかしいのか、朝昼夜の時間を認識出来ていない。二年も経つのに全く慣れない。
「アリゼ!おいってば!」
「は、はい!ちょっと待って!」
机の朝ご飯に触れる——ああ!ご飯が硬い!!当たり前だが勿体ない!
「……後で!」机から離れ、ドレッサーの前で髪型を確認する。人前に出ても、恥ずかしくないように。最低限手櫛で直し、扉を開けた。
扉の前には紫色の瞳でこちらを睨む、ユニの姿があった。何かあったのだろうか。
「お、おはようユニ。鍵、開いてるよ?」
「おう、おはよう……って、寝てたのかよ。それに鍵は閉まってても開いてても勝手に扉は開けねえよ。いや、そんな事より!アリゼ、マナシィさんが『あの人』を捜しているんだけど、知らないか?」
——『あの人』?
「朝見たっきり、見てないよ」
「朝?朝って部屋案内する前?」
「買い物からの帰りの時だけど……」
何故こんなにもユニは聞いてくるのだろう。もし何かあったとしても、まだ朝から夕方、一日も経っていないはずだ。それなのに何故ユニは焦っているのだろう。
焦りを隠せず、口元に手を遣ってブツブツと呟く彼に、 アリゼは尋ねた。
「『あの人』に何かあった?」
アリゼの不安は、ユニの言葉で確信に変わる事になる。
ユニは言い辛そうにアリゼを見、足元を見て、再びアリゼを見て詰まりながら言った。
「——『あの人』の、血がついた服が発見された」
彼の紫色の瞳に、怯えのような色が混じった。
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