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何も知らない世界の君へ  作者: 瓜戸たつ
第一章 最後の日常
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第一話 二人の朝



 眩しい光が少女の顔を照らす。


 小鳥のさえずりと階下からの人の声が聞こえる。眩しさと寒さに身体を何度か捻り、嫌々ながら布団をめくった。

 少女アリゼは柔らかいベッドから上体を起こしてドレッサーの前へ座り、まだ眠たい目を擦った。頭がぼんやりとしていて、欠伸も自然と漏れる。



 気持ちの良い朝日が部屋に差し込んではいるが、冷たい空気のせいで、その光にあまり意味はないように見える。冬の朝、暖まった肌を始めに刺激するのはこの冷たい空気だろう。



 アリゼはドレッサーの鏡に映る、己の姿を見た。癖のついた栗色の髪に、欠伸の涙で潤んだ、髪と同じ色の瞳。元々の癖っ毛と相まったひどい寝癖が芸術的な髪型を作り出している。

 どうして私は癖っ毛なのか、不平を言いたくなるのをぐっと抑え、手元の櫛で髪をとく。


 こうやってアリゼは毎朝毎朝ひどい寝癖を優しくといてやるのだ。否、優しくとくものか、この寝癖め。いつもより強い力で櫛を動かして溜め息を吐いた時、やっと頭が働き始めた。





——夢を見た。不思議な夢。一生懸命何かをしていたのは覚えているが、詳しくは思い出せない。あったのは暗闇と、見知らぬ誰かの姿。





 髪が櫛に引っかかる。力を入れて引っ張り、地肌から髪が抜けそうになる痛みをこらえて髪をとき続けるが、その間にも、今日の夢の記憶はだんだんと薄れてゆく。


 夢が記憶の手掛かりになると思って期待したが、思い出せない上に忘れてきたのでもう諦めよう、とアリゼは二度目の溜め息を吐いた。

 髪を編み込み、首からペンダントを下げる。



 アリゼには記憶がない。

 厳密に言えば、この宿屋の主人に拾われるまでの記憶がすっぽりと抜け落ちている。名前も主人につけてもらったもので本当の名前や生まれた村などは分からない。宿屋で働き詰めの主人には迷惑極まりないので、早く記憶を取り戻し自分の故郷へ帰りたいものだ。


 しかし手掛かりといえるものは無いに等しい。手掛かりは、彼女の首に下げられたペンダントだけなのだから。それは橙色の石に黄金の金具が取り付けられている、高価そうなものだ。

 普通であれば母親の物だとか、亡くなった家族の形見だとか、そう言う類だろう。だが、アリゼの少しばかり思い出した記憶の中には母親は出てこなかった。



 代わりに記憶にあるのは、黒髪の少年。

 かつての兄弟、もしくは友達から貰ったものだと推測できる。ただそれだけなのだ。それだけしか分からない。






 ペンダントへ思いを馳せながら身支度を終えたアリゼは立ち上がり、部屋を出ようと扉を開け、足を踏み出した……筈だったが、彼女は思わず足を引っ込める。冷えた廊下がまるで氷のようだったからだ。素足には厳しすぎる冬の朝の難関。

 無論一番の難関は、他人に抱きしめられるような温もりをもった布団を手放す事だが。



 一人冷たい廊下を睨みつけていたが、靴を履き忘れていただけだと気が付いて、慌ててブーツへ足を通し廊下を歩き出した。

 子供の頃は部屋の中で靴を履かない生活をしていたのだろうか。それとも、宿屋では靴を履くという行為に慣れていないのか。





 挨拶を交わした客が階段を下りてロビーに向かうのを横目に、アリゼはロビーとは真逆の方向にある「関係者以外立ち入り禁止」と大雑把な文字で書かれたボードのかかった扉の前に立つ。



 ここに彼が居るのは分かっている。宿屋の主人の息子で、人の弱みを掴むのが上手い彼。おそらく同い年の彼に、今度は弄られないように、髪を整えてきた。左手で手櫛をしながら、右手でノブを捻る。





 扉を開けた。そこにはいつ見ても落ち着きのある部屋が広がっている。茶色の家具で統一され、窓には黄色のカーテン、中央には黄色いテーブルクラスが掛けられたダイニングテーブルが一脚と小型の椅子が四脚、丁寧に並べられている。

 家具の数からして、おそらくこの宿屋では一番大きな部屋だろう。


 中央に目をむけると、思った通り、中央の左奥にある椅子にもたれ掛かり、扉に背を向けていた。

 本を集中して読んでいるのか、うたた寝しているかどうかはアリゼの位置からは見えないが、扉を開けた音には振り返らなかった。そこでアリゼは声を掛ける。朝一番、大きな声で。


「おはよう、ユニ!」


 色素の薄い髪が揺れた。ユニと呼ばれた少年はゆっくりと扉の方へ振り向き、透き通るような紫色の瞳でアリゼの姿を捉える。

 黙っていると、俗に言う美しい見た目なのだろうが少年の本性を知っている彼女からしたら、そんなものお飾りに過ぎない。



「ああ、アリゼ。おはよう、今日は早いな。お前は時間の使い方が悪いから珍しい」



 皮肉を言って、ユニは手元の本に視線を戻す。アリゼはいつもより朝の悪口が少ない事を気にし、大人しい彼に疑問を覚えるも、彼の向かい側の椅子に腰を下ろした。




「……ねえ、何読んでるの?朝だから宿屋の手伝い、しなくて良いの?」


 ユニは笑った。


「今日は良いんだよ。知らねえの?今日は『あの人』が帰ってくるんだぜ」

 「あ」アリゼはその言葉で声を上げる。そう言えば、『あの人』が明日戻ってくるという連絡が昨日あった。だから、昨日の内に今日の服へ着替え、準備していたのだった。服の事など全く気にしていなかった。上ずった声に咳払いをしてそうだったねと付け足す。


「んだよ、楽しみにしてたのはアリゼなのにさあ。そんな貴方にこの本をどうぞ」


 口元に笑みを浮かべて、アリゼに本を手渡した。朝から今までユニが読んでいた本だ。きっと彼女には合う、この本が。


「ん?どれ……」


 題名をみてアリゼは固まった、アリゼの周りだけ時間が止まったかのように。ピッタリだろ、とユニは得意げに頷く。



「……読めない」


「ふはっ、あははは!!そうだったそうだった!!これの題名読んでやるよ。『忘れっぽくて誰かに弄られる貴方に教える五百のテクニック〜俺、私は貴方を見返す〜恋人編』だぜ!!」


 題名を聞いた瞬間、アリゼは本をテーブルに叩きつけ、わなわなと身体を震わす。ユニは我慢出来ずに笑い続けた。やはりアリゼは性格を弄るに限る。

「本は大事に。な?」

「こんなピンポイントな本、大事に出来るわけない!!」





 笑った声と、怒った声が部屋で重なる。今日も二人の一日は、ユニの弄りで始まった。






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