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何も知らない世界の君へ  作者: 瓜戸たつ
第一章 最後の日常
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第十六話 最後を迎える覚悟



 服の間違い修正しました。








 アリゼは入浴を終え、身と心の汚れを隅々まで落とせたような、さっぱりとした気分で満たされていた。

 癖毛の髪が、乾かし終わったばかりで真っ直ぐに流れる。お風呂上がりだけでも、こうやって髪の毛がストレートになるのも嬉しい事だ。

 赤みを帯びた満足顔でアリゼがロビーに戻ると、机に突っ伏し、片腕をだらしなく伸ばしたユニが眠っていた。

 「寝ちゃったんだ」もう一方の腕で顔を隠すユニにそっと近付き、アリゼは耳元で「部屋で寝てきても良いよ、待っててくれてありがとう」と囁いた。


 しかし、熟睡しているのか全く反応がない。

 アリゼは無理に起こすか、このまま寝てもらうかと迷った結果、自分の着ていた上着を彼に掛けた。青い刺繍を揺らして、上着はユニの身体を覆い隠した。

 すー、と規則的に寝息をたてるユニの顔を腕の隙間から覗き込む。間近でユニの顔を最近見ていな色素の薄い金髪と長い睫毛は健在だった。髪の先端の枝毛や、あまり整えられていない眉毛が気になったが、後で直してあげよう、とゆっくり離れる。「ユニ、おやすみなさい」



 朝は日が差し込まないロビーから厨房のユニの母に、お客さんが来たらよろしくと伝えると、暫し間を置いてから「アリゼ、来て」と呼ぶ声が返ってきた。



「どうしたの、おばさん」


「受付は良いんだけど、朝食運んでくれない?」


「あ、はい!」


「マナシィさん、という女性にね」



 ちら、とまな板の横の水に浸ってしまったメモの切れ端を見て、ユニの母はアリゼにトレーを渡した。白ご飯に大根の味噌汁、それに魚といったTHE・朝食が湯気を上げてトレーの上に並べられている。

 ユニの母は、とても料理が上手だ。それはもう、主婦のお手本と言っても良いレベルだと思う。尊敬と感心の眼差しを向け「持ってきますね。あと一人分は?」と訊く。


 からん、と水で湿った包丁がアリゼとユニの母の間に落ちた。アリゼは驚きつつも、机にトレーを置き「大丈夫ですか?」と包丁を拾い、目の前のユニの母に渡そうとした。が、ユニの母は顔を歪め、こげ茶色の瞳に怯えを浮かばせている。

 「……おばさん?」訳が分からず、アリゼはまな板の上に包丁を戻すとユニの母の肩を叩こうと手を伸ばす。



「アリゼ、ちゃん!」



 ユニの母は肩上の黒髪を揺らし、アリゼの肩を強く掴んだ。



「えっと、どうしましたか?」


 「ごめんね、一人分なの。ごめんね。ショックよね」とユニの母は目元を潤ませた。

 どうして、ユニの母が今謝るのだろう。

 そこでアリゼはあっ、と声を上げた。ユニの母はイーグルが居る事を知らないのだ。



「あのね、おばさん」


「良いの良いの、何も言わなくて良いの」


「あの、違うの」


「お願い、何も言わないで。悲しいものね」



——な、謎の罪悪感……!



「う、うん。大丈夫、言っておくから」



 未だに「ごめんね」と繰り返すユニの母の背に、戸惑いながら手を添えてアリゼは立ち上がった。「じゃあ、とりあえずマナシィさん分を持ってくね」



 トレーを持ち上げ、味噌汁が溢れないように床と平行にする。足音を立てないように厨房を出ると、「よろしくね」という小さな声を背中で受け取った。






 ゆっくりと二階に上がる間に、ユニの母の誤解を早く解こうと思った。

 いつの間に着いたのだろう。アリゼは一度だけ案内された、アリゼの部屋から三部屋分離れたマナシィ達の部屋をノックした。



「おはようございます、アリゼです」



 すると、思ったよりも早く扉が開いた。昨日と同じ白い服を着たマナシィが迎えてくれる。



「おはよう、アリゼちゃん。さあ、入って」



 マナシィはアリゼの手元のトレーを一瞬だけ見て、すぐに微笑みかけた。



 アリゼが部屋内に身体を全て入れると「昨日はよく眠れた?」と、扉を閉めながらマナシィは振り返った。よく眠れなかったと言って放心状態だったユニが頭をよぎり、彼よりはよく眠れたと判断した。「はい、割とすぐに眠れたと思います」

 あんな事があった割には、と付け足したかったが呑み込む。


 昨夜、鞄が置かれていた机に朝食を置くと、ベッドの盛り上がりが目に入った。



「ありがと、ささ。アリゼちゃん、座って」



 マナシィが椅子を引く音で、アリゼはベッドから目を離す。



「失礼します」


「どうぞ、ただ静かにね」



 マナシィはしっ、と人差し指を口元に添えて、先程アリゼが見ていたベッドを指差した。「イーグルが寝てるのよ」



 「はい、了解です」なるべく声を潜めて、マナシィに顔を近付ける。マナシィもアリゼに顔を寄せた。



「ユニ君は?」


「寝てます」



 「……そう」マナシィは気まずそうに眉を寄せた。何があったのか聞きたいが、タイミングが掴めない。流れに身を任せようと、アリゼは脱力した。しかし、マナシィが椅子の下から鞄を取り出した瞬間、心臓が高鳴った。悟られないように、服の下に隠したあのペンダントを押さえる。

 座ったばかりのマナシィがおもむろに立ち上がり、鞄を座っていた椅子の上に置いた。



「アリゼちゃん。私はシルトルが殺された原因を探すわ。だから、『醒石』の使い方はイーグルに聞いて」


「ね、眠ってますが!」



 「うん、そうね」声のボリュームを上げて、マナシィはベッドの横に堂々と立つ。「起きて、起きてイーグル」



 マナシィはゆさゆさと布団に丸まったイーグルの身体を揺すった。「えっ、あの、マナシィさん?」静かに、と彼を気遣っていたように見えたマナシィに矛盾を感じた。マナシィは結構パワフルな女性なのかもしれない。

 アリゼ的には有り難いが、揺すられるイーグルを見るとかなり申し訳なくなる。



「ちょっと、イーグル」


「んー?ごめん、報告は任せて良い?」


「何言ってんの、アリゼちゃんいるのに寝ぼけちゃダメじゃないの……よ!」



 バサッとマナシィが、素早く布団をめくった。「ちょっと」と、そこで粘る事もなく起き上がったイーグルは目を擦り、口をへの字に曲げて「マナシィの馬鹿ァ」と嘆いた。



「起きて、一週間しかないの。『醒石』の使い方をアリゼちゃんに教えてあげて」


「あと少しだけ眠いんだけど」


「ちょっと、言語がおかしいわよ」



 アリゼの為にイーグルを起こすマナシィと、眠気に耐えられずまだ目を開けないイーグルの言い合いが、アリゼの目の前で始まった。

 これは、困る。都会人達はこんなにも厳しい現実を生きているのか。



「ほら、イーグル!」


「……うん」



 鼻を押さえて、イーグルは嫌々ベッドから下りた。猫背に寝癖、彼の眉根に寄った皺は態度で不満を表しているようだ。だが目つきより気になるのが寝癖だ。アリゼも寝癖は酷いが、イーグルはずっと寝癖がついているように見えなくはない。

 じぃとイーグルを舐めるように見つめていると、マナシィがあははと、わざとらしく笑んだ。



「もう、ごめんねアリゼちゃん。じゃあイーグル、あとよろしく」


「えー……」


「もう!しっかりして!」



 猫のように目を擦り続けるイーグルの頭に手を置くと、マナシィは窓を開けた。「じゃあ私は、証拠でもとってくるわ。朝食はイーグルに食べてもらって」



 アリゼが返事をするや否、マナシィは開けた窓から軽やかな動きで、吸い込まれるように窓の外へ消えた。

 「えっ!?」アリゼは叫ぶより先に身体が動き、慌てて窓に駆け寄る。窓のすぐ下でマナシィの髪を留めている長い紐が、森の奥へ消えて行くのが見えた。



 二階から着地したというのか。

 只者ではない、と思っていたがマナシィは身体能力がずば抜けて良いのだろう。アリゼは流石だと思いつつも羨ましくなる。

 どれくらいの高さだろう、と窓枠に手を置いて身を乗り出した時、強く吹いた風が重力に逆らってアリゼの栗色の髪を上空に持ち上げた。勢いよく髪が顔に掛かり、視界が遮られる。

 下が見えない。よいしょ、と顔に当たって邪魔とかした髪を耳に掛けた瞬間、窓脇の小さな箪笥から大きな音がした。



「んえっ!?」



 アリゼの口から変な声が出たが、驚きでそれを気にするどころじゃなかった。急いでアリゼは窓を閉め、そちらを見遣った。

 すると箪笥の上に配置された時計のガラスカバーが割れている。


 前触れもなく、唐突に割れた時計を呆然と見ていると「アリゼさん」と声を掛けられた。



「は、はい」


「マナシィは運動神経抜群なんだよ。あまり気にしないであげて」



 気付くと、イーグルはマナシィが座っていた椅子に座り、その膝に鞄を乗せて静かに朝食を食べていた。もう半分以上食べ終わっている。

 マナシィと割れた時計を気にし「時計、割れちゃいましたね。」と言うと「まあ、仕方ないよ。気にしなくて良いんじゃない?」とイーグルが慣れたように返してきたので、アリゼは納得がいかないものの椅子に座り直した。

 都会は危険な事が普通に起こるのか。何て危ないんだ。



「ですね、マナシィさん凄いです」


「うん。でもあれぐらい出来ないと、王都でなんか働けないけどね」



 都会人は鮭の切り身を口に運ぶ。「マナシィはああいうの慣れてるから、アリゼさんはやっちゃ駄目だよ」



「やるやらない以前に、出来ません」



 アリゼが苦笑を溢すと、イーグルは目を細めた。

 「面白いね、今度それ使わせてもらおうかな」と呟いて箸を置いた。「ごちそうさまでした、美味しかったです」



 マナシィが窓から飛び降りて、アリゼと話すまでの、たったそれだけの時間でイーグルは食べ終えてしまった。

 とても早い。見た目によらず、大食感なのか。



 「さて」とイーグルは立ち上がり、空になった食器を乗せたトレーを持つ。「これを置いてきたら、早速話すよ」



「あ、待って!他の宿屋は知らないけど、ここの宿屋は私達が回収してるんです!だから置きっ放しでお願いします」



 イーグルは複雑そうに眉を寄せた。

 これは仮定だが、ほとんど無表情のイーグルは予想外の事が起きた時、嫌な時、眠たい時に表情を変えるのだろう。

 周りに無愛想な友人や村人がいない為、アリゼは少しだけ新鮮な気持ちを味わってしまった。


 「じゃあ、任せるね」トレーを元の位置に置き、イーグルは鞄をどけてマナシィが座っていたところに座った。「さて、と」


 アリゼとイーグルは互いに向かい合う。こうやって正面を向いて座ったのは初めてだ。アリゼは初めて彼を見た時と同じように、イーグルの事を眺めた。

 イーグルは、やはり若そうだ。童顔なだけかもしれないが、アリゼの胸にはユニと似た親近感が溢れる。



「アリゼさん」


「はい」


「まず、『醒石』の説明をするね」



 イーグルが机の上の食べ終えた食器を困ったように見た後、トレーごと足下に下ろした。そして膝の上の鞄を代わりに机に置くと、昨夜マナシィが見せた『醒石』を一つ、また一つと取り出していく。置くたびに日光を反射し、キラリと輝くそれには「美しい」という感想しか思い浮かばない。

 合計三個の『醒石』を綺麗に並べると、イーグルはその暗い瞳をアリゼに向けた。



「知ってると思うけど、『醒石』は多種多様な使い方が出来る」


「はい」



 「この赤色の石は」指で摘むように持ち上げ、アリゼの目線と一直線になるように空中で停止させた。「身体能力を強化する。握れば、足が速くなったり高いところまで跳ぶ事が出来る」



「あと残りの二つはね」



 濁った黄色の『醒石』と明るい黄色の『醒石』を両手に転がし、イーグルはアリゼに差し出した。



「どんな効果か分からない。使えないから調べようがないんだけど、この石が力を与える事は分かっている。もし君が危なかったら、これを握れば良いよ」



 ん、とイーグルは更にその二つを突き出してくる。おずおずと手を出すと、イーグルは簡単にそれをアリゼの片手に握らせた。



「あのー」


「ん?」


「『醒石』って普通に持ってるだけなら変なビームとか出ませんよね?」



 イーグルは訝しげにまた眉を寄せた。

 持ってるだけで変な能力が身につくのは嫌だ。どうせなら持っていたら幸せが舞い降りるだとか、不幸から守ってくれるだとか、そんな方が魅力的だとアリゼ以外でも思うのではないか。



「持つだけなら良いよ。使おうと思った時に使えるはず」



 「なるほど」アリゼは両手に収まる小さな石を握る。特に何も考えずに使ったからか、もしくは使い方が違ったからか『醒石』は何の反応も示さなかった。



「凄いですね。こんな良いものを、本当に私に?」


「マナシィが言うなら良いと思うよ」


「いやあ、嬉しいですね。これで何も出来なかった私が能力を使えるなんて」



 次いでイーグルに渡された赤い『醒石』も受け取り、黄色の石と並べてみると、アリゼ自身の顔が磨かれた赤い『醒石』に映りこむ。

 そこでふと、アリゼは疑問に思った事をイーグルにぶつけた。



「イーグルさん、どうしてマナシィさんとイーグルさんはこれを使う事が出来ないんですか?『醒石』を使える人が限られてるわけじゃないんですよね?」



 軽い気持ちで、素直に聞いただけだった。

 だが、イーグルの表情は途端に曇り、彼は言い掛けた言葉を失った。

 イーグルの空を切る視線とアリゼの素直な視線は交わらず、足下に落ちる。



「僕らが使えない理由は、言えない。僕は何も言えないんだ。ただ、大雑把に伝えるとすれば『醒石』はある一定の条件を満たした人にしか使えないんだ。それ以外の……ある者にとっては死に導く凶器に、ある者にとっては力を授かる奇跡になる。あげておいてなんだけど、『醒石』というものは結構残酷な物体なんだよ」



 寄せて作られた眉根の皺は固定されたように動かない。

 アリゼは毒にも薬にもなるという『醒石』を甘く見ていた。両手に置いた凶器を、アリゼは黙って見下ろした。

 イーグルは淡々と続ける。



「アリゼさんは大丈夫。問題なく、絶対に使えるんだ。王都を見張る人(ぼくたち)が保証する」


「で、でも!間違えて他人に渡してしまったら」



 そう言った途端、イーグルがアリゼを睨んだ。



「アリゼさんは人から貰ったものを誰かに渡すの?」



 イーグルの長い前髪の間から覗かれた瞳と目が合って、アリゼの背筋は凍り付いた。今日初めて目を合わせた彼は、その無機質な瞳をアリゼに向け瞬きする事なく見つめている。アリゼは相手の冷たい視線に、 目を逸らしたくなる衝動に襲われるが、何故か逸らす事が出来なかった。



「っ、いえ。例えば、です」



 アリゼ自身、こんな恐怖に駆られるのが初めてで上手く言葉を発せなかったが、イーグルはアリゼの異変に気付いたようで「あっ、ごめん……その、ごめん」と繰り返した。



「い、いえ。マナシィさんの大切な『醒石』を私がずっと持っていれば問題ないんですよね。分かりました」


「……」


「その、イーグルさん?」



 無言で俯くイーグルに、アリゼは小首を傾げた。おそらく聞いてはいけなかった事を聞いたアリゼに困った顔をしていた彼は、いつもの無愛想な顔つきになっているが、堅く閉じた口を開こうとしない。



「あ、っと……その、早速外に行きませんか?森の中だと、ほとんど人は来ないと思います。冒険者のお客さんもみんな村を出たので。早く、シルトルさんの故郷に行かないと……それに、一週間しかないんですから。お願いします、行きましょう?」



 アリゼは率先して立ち上がり、トレーを持った。イーグルは自分を睨んだ事を後悔しているのだろうが、そうだとしたら優しすぎる。

 「あの」アリゼが片手にトレーを持ち替え、イーグルの肩を叩くと「あの、本当にごめんね」と唐突にイーグルがアリゼの手を掴んだ。



 もうあの冷たい瞳の面影は全くない。むしろ無表情の中に優しさを隠したような、温かい目を向けてくれている。

 「いえ、良いですよ。私の失言でした」内心ホッとしてアリゼは微笑んだ。「それより、早く行きましょう」



「そう、だね」



 続いてイーグルも立ち上がり、椅子を揃えて鞄を肩に掛けた。


 「僕が開けるよ」とイーグルは扉の取っ手に触れる。だがすぐには開けず、深く息を吐いてから「あのさ」と何かを打ち明けるような言葉を放った。



「はい。」


「アリゼ、さん。僕らはまだ君にほとんど何も教えてないよね」


「……はい」


「でもね、知り過ぎるのは良くないんだ」



 イーグルが何を言いたいのか分からず、アリゼは黙って耳を傾ける。



「アリゼさんの記憶がない事は、ユニから聞いたよ。昔の記憶がないんだってね。……辛い事、だよね」



——話の意図が分からない。



「でも正直に言うとね、一番良いのは何も知らずに暮らす事だと思うんだ。この生活が当たり前、世界はこうなっていると信じるのが当たり前ってね」



 背中は語る、とよく言うがアリゼに背を向けたイーグルの語っている事は、半分程しか理解出来ない。

 つまり、イーグルは自分に『醒石』を渡したくないのか?もしくはシルトルの住んでいた村に行って欲しくないのか?



「……うん。アリゼさん」



 イーグルがアリゼの方を振り向いた。



「君は、危険な事だと分かっていても、村を出るのかい?」



 ああ、分かった、とアリゼは頷く。

 きっと、試しているのだろう。よく聞く「覚悟はあるのか」というみたいに。



「危険だからこそ、この一週間頑張りますよ。だから、よろしくお願いします」



 ここ一番で大きな声だった。アリゼは、どんな事が待っていようとも、シルトルが伝えたかった事を必ず突き止めようと決意した。




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