自分だけを映さない鏡。
少女漫画を読んでいれば、度々遭遇する設定ではあるのだが、自分としてはあまり好ましい設定ではないものが少なからず在る。その内の一つ、主人公が好意を寄せる男の子に、別の好きな人が居るというものが特に嫌いだ。
どうせ夢物語を語るのならば、わざわざ悲しい話にする必要はない。共感するべき主人公と一緒に、辛い思いをしなければいけないなんて、あまりにもよく出来た悪夢だとは思わないだろうか。
そしてアタシは現実に、そんな酷い設定と同じような恋をしている。恋しい人が居て、それは恋する人であって、対象が自分ではない辛い現実。
「―――それなのに、なんで貴女と一緒に食事なんてしなくてはいけないのよっ」
マリナはテーブルを間に挟んだ向かい側の席に座る、C子に向かって吐き捨てるようにそう言った。
その発言を聞いたC子は、メニューを凝視していた顔を上げて黒い縁の眼鏡越しに、不機嫌そうに頬杖をつくマリナに対して尋ねる。
「聞いてなかったんだけど、なんの話?」
「貴女とアタシは敵対関係なの。それなのに、どうして仲良く放課後にファミレスに来ているのよ!」
何のことか一瞬わからなかったC子は、数秒だけ時間を置いてから、理解した様子でメニューへと視線を戻した。
「確かに頼んだのは私だけど、付いて来たのはアンタでしょ?」
「その時、貴女は『大事な話があるから』って言ったわ。それなのに、こんな煩い場所に連れて来るはずが無いでしょ。このアタシを騙したわね?」
マリナが見回した場所は流行りの飲食店で、クラスの目立つ女子達の会話でも話題に上がったことのある、いわゆるお洒落な空間だ。そんな場所で、誰が見ているのかも分からない場所で、大事な話なんて出来るものだろうか。
訝しそうなマリナを他所に、C子は通路の方を見る。
「とりあえず、注文をしましょう。すみません」
近くを通り掛かった店員に、C子はメニューに書かれた色鮮やかなスイーツを指差した。
「カップル限定『イチゴタルト』をお願いするわ」
周囲の客を含めたその場が固まる。次に店員が目を丸くしながら口を開いた。
「え?」
「は?」
同じタイミングでマリナも驚愕している。
大手企業須藤グループ令嬢として、様々な人と出会って来たマリナは、ある程度の人心掌握は出来るつもりだったのだが、この女の思考だけは全く読める気がしない。
言葉を失っているマリナと同じように、戸惑う店員は確認する。
「あのー、こちらの商品はカップル限定商品でして……」
「ええ、知っているわ。私と、この子は恋人同士なの」
「し、しかし―――」
「恋人同士なの」
まったく引き下がる気配のないC子を前に、店員は伝票を胸に抱えて苦笑いを浮かべていた。
「店長に確認して来ます……」
バックヤードへと去っていった店員を見送ったあと、マリナは周囲に聞こえないような小さな声で尋ねる。
「どういうつもりなのよ?」
「私は絶対、イチゴタルトを食べるつもりよ」
「そういう事じゃないわよっ!」
誤魔化したつもりでもないC子に、マリナはそう言った。思わず出た大声に自分で驚き、小さな体をさらに小さく縮めながらC子に訊く。
「……もしかして、このためだけにアタシを呼び出したわけではないわよね?」
「そんなわけないでしょ。ほら、えーと、その……あー……アンタとの親睦を深め―――」
「すぐ分かる嘘は止めてちょうだい」
頼んだタルトが気になるのか、いつになく言葉が適当だ。甘いものが好きなのは知っていたが、そこまでだったとは。
「特に親しいわけでもないし、どうしてアタシなのよ?」
「知らないの? 私、友達が凄く少ないのよ」
「それは知っているけど、貴女少しは恥じなさいよ」
堂々と言うことではない。
マリナは木製の椅子に深く腰を掛け直すと、深い溜息をひとつ吐いてから、最初に店員が持ってきた水のコップを引き寄せる。
「でも、貴女が頼めば、タケル様なら来てくれるわ。アタシでは駄目だけど……」
冷えたコップの表面には水滴が浮かんでいて、一度突いてみれば、丸まった水はテーブルへと落ちていく。
どうして自分ではないのだろう。いつだってハッピーエンドを目指す少女漫画とは違って現実というものは非常だ。相思相愛なんて、殆ど無いのだから。
C子はメニューを読み進めながら、不機嫌そうに応える。
「嫌よ。あいつと恋人なんて言ったら調子に乗るでしょ。想像するだけでもストレスね」
「アタシに言わせれば贅沢すぎる発言ね」
それは、誰しもが同じなのだろう。マリナは内心、少しの安堵を覚えながら、小さく笑っていた。
そんなとき、バックヤードに行った店員がにこやかに戻ってくる、
「お待たせしました、お客様。店長の許可が出ました」
「あら、恋人の証明とかは必要ないの?」
「え? ええ、店長からは『同属歓迎』としか言われておりませんので」
店員はさらに注文を訊いてから、他の業務へと向かう。
実に奇妙な優遇で初めて聞いた言葉だったのだが、しかし、そんな店の方針よりも気になったのは、前方で平然としている同級生だった。
「たちばな。貴女、アタシと何をするつもりだったのよ?」
「何のことかしら?」
「……恋人の証明」
頬を赤くしながら尋ねるマリナ。他の客も耳を澄ませているのだが、二人はそれに気付くことはない。C子は眼鏡の奥に見せる瞳を静かに瞬かせ、単調な響きでマリナの問に答えた。
「常識的に考えて、恋人同士になったら肌と肌を重ねるらしいから、それをやるつもりだったわ」
「へ?」
冗談なのかと思ったが、彼女の目は本気だった。マリナは真っ直ぐ向けられた視線から逃げることも出来ず、椅子の背もたれに張り付いている。
緊張で固まるマリナに、C子は不敵な笑みを浮かべた。
「試しにやってみようかしら?」
「ヤッ!?」
C子は狭いテーブルから手を伸ばし、マリナの顔を撫でた。マリナは椅子から転げ落ちそうになりながら、なんとか踏み留まって言った。
「こ、ここここ公共の場で何を……」
「もちろん、常識的に考えて」
C子は白く細い手を、自身の顔の高さに掲げた。
「ビンタよ」
「どこの部族の常識!?」
「同じようなことをタケルにも言われたわ。打ち合わせでもしたの?」
「これが常識的な反応よっ」
というか、タケル様にも同じようなことをしていたとは、羨ま……ではなくて、やはり非常識な人間だと思う。
「とりあえず、恋人同士だとビンタなんてしない」
「じゃあ、何をするの?」
「え? えと、それは……」
問われたマリナは、両手の指先を擦り合わせながら、顔を真っ赤に染めて唇を震わせる。
「き、キス、とか……?」
たいていの恋人は接吻をする。そんな常識すらも分からないC子はマリナの恥ずかしい発言に対して、なんとも言えない表情で返した。
「ごめんなさい。私、そこまで出来ないわ」
「誰もやれとは言ってにゃいっ」
噛みながら抗議したマリナは、熱くなった顔を冷ますように、コップの水を飲み干した。
冷静になったマリナは空になったコップを眺める。店内に掛かるBGMと、周囲の談笑を聞いていると、自分がまだ何も注文していないことに気がついた。
寄り道なんて久しぶりで、食事も全て決められていたから、たぶん忘れていたのだろう。
ここで自分が動いても良いのだが、せっかくならば反撃しておきたいところでもある。些細な抵抗は少し甘い。
「タルト、半分よこしなさい。アタシを呼び出したことは、それで許してあげるわ」
「えぇ……」
「どうしたら、そこまで図々しくなれるのよ……」
最終的に了承したのだが、相当ショックだったらしく、新たにショートケーキを注文している。
そんな変な同級生を観察していると、ポケットに入っていた携帯端末が振動する。取り出して見ると、タケル様からメールが届いていた。
『どうしてC子さんとデートしてるの?』
何処から見ているのか、周囲を見回してみるが分からない。
マリナは自分に宛てられたメールに視線を落とす。その文面に自分はいない。
◆◇◆
向かいの席に座っているのは、この場所のチラシを片手に持ったタケルで、なにが不満なのか大袈裟な溜息を吐いていた。
「C子さん、なんで勝手に来ちゃうのかなぁ?」
どうやら、自分がマリナの代わりを務めたかったようなのだが、あっさりと回避されてしまったようだ。
「うっすら聞こえたが、お前と来たくなかったからだと」
柱の向こう側から聞こえた会話を、トオルは簡単に分析してみせる。しかし、その言葉を受け入れたくないタケルは反応せずに、再び同じように溜息を吐いた。
「……何でだろうな~」
「現実を見ろ」
トオルはそう言って、注文したドリンクバーの紅茶を飲む。タケルも同じように珈琲を口に入れてから、退屈そうに頬杖をついた。
「現実なんて、夢と同じで曖昧なものだよ。もしかしたら、断ったC子さんは照れているだけなのかもしれないし、隣のあの人は同性愛者かもしれない時代なんだからぁ~」
逆もまた然り、と言ってやりたいところだが、どうせまたよく分からない答えが返ってくるだけだから止めておく。トオルは静かに、雇い主の娘を見守りながら平静に徹している。
「あっ、すみません。カップル限定―――」
「おい、やめろ」
そんな、もしもは要らない。
本日はマリナちゃん視点でお送り致しました。
カップル限定商品を食べたことがないのですが、どんな味がするのでしょう? 血の味がすると聞いたのですが……。




