あの封筒を追え(上)
「学級長おはよう。早いね」
「うむ。おはよう。良い朝であるなタダノ君」
登校すると、教室には学級長で魔王族のヤマダ君が居た。
重々しく挨拶を返した彼は、魔王族の偉容に不釣り合いな小さな鉢植えの花に水を与えているところだった。
「昨日は災難であったな。身体に不調は無いか?」
「疲れてるけど、まあ何とか」
転校生として昨日からこのクラスの一員となったオレは、クラスメイトに翻弄され、弁当を忘れ、不良にカツアゲされ、学級長と副学級長に助けられ、全員でゲロを吐き、先生に絞られていた。
今日はよく休まずに登校出来たなと、自分でも感心する。
「それにしても早い登校であるな?」
「宿題をやろうと思って。昨日は疲れ過ぎて、帰ってすぐに寝ちゃったから」
「ふむ。それは気の毒であった。しかし、宿題を成し遂げようとするその心意気は賞賛に値する」
今は、校門が開いてすぐの早朝である。
校内には生徒もまばらだ。
「学級長はいつもこの時間に?」
「うむ。普段はもう少し遅いのだが、昨日の件で反省文を認めねばならぬのでな」
「オレのせいでゴメン」
「謝罪など必要無い。タダノ君を助けた事を何一つ悔いてはおらんよ」
彼の顔に幾ばくかの優しさが浮かんだ気がしたが、やっぱり顔が恐い。
「学級長も疲れちゃって、昨日のうちに反省文までは書けなかったんだ?」
学級長の見上げるほど高くがっちりした体躯からは体力無尽蔵の印象しか沸かないが、それでも疲労はするのだと思った。
「いや、冷静ではない心身の状態で反省文を認めても価値が無いと思い。一晩明けて朝の清々しい気持ちの元に、己の不明を審らかにしようと思ってな」
オレは、真摯に反省文へ取り組む学生を初めて目の当たりにした。
「その反省文もオレが不良どもに絡まれなければ……」
「その事はもう良いと申すに。さ、時間が惜しい。成すべきを成そう」
こうして、羅刹の容姿に紳士の魂を備えた学級長と机を並べ、オレは宿題に手を付け始めたのだった。
「なんだなんだ、早いなおい。今日は午後から槍でも降るか?」
宿題を始めて少しした後、驚きと揶揄を絡めて教室入りしたのは副学級長のアマノさんだった。
「副長おはよう」
「おはようアマノ君。早いな」
「おう、おはようさん。副長とは気安いが、まぁ悪くないな」
昨日、共にゲロを吐き合った仲なので多少は親しみを込めて副長と呼んでみたが、彼女は気に入った様子でも無いが嫌がる事も無かった。
「副長も反省文書く為に早く登校したの?」
「はぁ? そんなもんは昨日のうちにやっつけたさ。宿題と予習だよ」
「え? 宿題と予習?」
予想外の答えに、オレは思わず聞き返してしまった。
「清々しい朝に血の雨を降らせてみった? おぉ?」
「ごめんなさいすみませんよそうがいでおどろきをかくせず」
副長にもの凄く痛い肩パンチをもらい、オレは即座に謝った。彼女からするとかなり手加減した様子だが。
「アタシは朝方なんだ。考えるのも覚えるのも朝が良い。反省文はどうでもいい事だから、昨日の夜に片付けただけだ」
「冗談なの真面目なの?」
「よし分かった。お前を片付けてから宿題を片付けよう」
「いやほんとすみませんちょうしのってました」
今度は反対側の肩パンチ。これもものっ凄く痛かったので即座に謝った。
「二人ともその辺で宿題に取りかかるが良かろう。時間は有限だ」
重々しい学級長の言葉でようやく宿題にとりかかった。
「忘れ物かな?」
選択科目を終えて教室へ戻ってきたオレは、自分の机の中に分厚い茶封筒が置いてある事に気がついた。
「どうした? 昼飯食べないのか?」
茶封筒を手にしてどうしたものかと考えていたオレに、人狼のイヌカイ君が話しかけてきた。
「いや、忘れ物だと思うんだけど、どうしようかなと」
「前の選択授業でタダノの机を使ったヤツだろうな。気がついて取りにくるんじゃないか?」
「忘れ物で届けた方が良いんじゃない?」
「そこまでする必要があるか?」
「ないよね」
肩をすくめるイヌカイ君にオレも賛成した。
財布ならともかく、この程度の物をいちいち職員室まで届けるのは面倒だ。
「で、その中身は何よ?」
隣の席でハーピー族やゴーゴン族などのクラスメイト数体達と昼を広げ始めていた副長が、美しくもゲスっぽい笑いを浮かべて聞いてきた。
「さあ? 封筒の口がのり付けされてて分からないけど、この大きさと厚みからすると資料集とか大判の参考書じゃないかな」
「開けてみろよ。面白いモンが入ってるかもしれないからな」
「え? のり付けされてる封筒を開けて中身を確認してみろと言った?」
「おう。開けてみろって。中身に興味があるだろう?」
この女は何を言ってるんだろう?
個体情報の侵害や、犯罪という概念がないのか?
「持ち主に無断で開封したら犯罪だけど?」
「知ってる。でも開けろ」
「え? バカなの?」
思わず口をついて聞き返した刹那、水面を叩くような炸裂音と共に凄まじい痛みがオレのおでこを襲った。
あまりの痛みにおでこを押さえたオレの手に、何かがあたる。
「いだだだだっ! 何、何コレ! いっでぇ!」
冷たくてツルツルした感触のものをおでこから剥がして見ると、それは弁当に入っているバランだった。
緑色のテカリが痛みの涙でにじむ目に染みる。
「タダノォ。あんまり舐めた口利くなよ。次はもっと痛い目みっぞ」
投げたバランがこの殺傷力ってありえなくね?
天使族の力を無駄に使ってんじゃね?
「すんませんした」
言いたい事はあったが、オレは素直にバランを両手で丁寧に返却し、弁当をカバンから取り出した。
「さっきまでの事を綺麗さっぱりなかった事にして弁当広げんなよ。弁当開ける前に封筒開けろ」
「嫌だって。そんな趣味の悪い事するの。そんなに開けたきゃ自分でやりなよ」
「タダノよぉ、そんな悪趣味な事をこの可憐な副長様にやらせようってか? 」
「その一から十まで破綻した思考は何なの? 破綻の使者なの?」
手にした弁当箱に何かがぶつかる音と衝撃があり、驚きの声と共に弁当箱を見ると、ピックが刺さってた。
副長の可愛らしい弁当箱の中に入ってるミートボールを串刺しにしていた、猫の顔がついたピックだ。
「……ツギは……あてう……」
「ほんとすんませんした」
ピックの刺さっていたミートボールは、もぐもぐと咀嚼しながら喋る副長の口の中だ。
「アマノ君、食事中に行儀が悪いな」
「ヤマダァ、口を挟むな気分が悪い」
オレを挟んで、学級長が嗜めるのを副長が嘲笑う会話を何とかして欲しい。
胃が痛くなりそうだ。
「まぁなんだ、タダノ。職員室へ忘れ物で届けにいこうか。付き合ってやるから」
見かねたイヌカイ君が助け舟を出してくれた。
現状、このままではろくな事にならないのが目に見えているので、非常にありがたい。
イヌカイ君は本当にナイスガイだ、人狼だけど。
「うむ。それが良かろう。余が代わりに行こうか?」
「いや、当事者のオレが行くのが筋だから」
学級長の心遣いに感謝しながら、丁寧に断る。
あからさまに面白くない表情の副長を隣に残されて、学級長に教室を離れられては堪らない。
弁当を食べる時間がどんどん無くなるので、そそくさと教室を出る。
「助かったよ。ありがとう」
「気にしなさんな。あのままだとアマノが強引に開けてたからな。事故っぽい形にして」
「だよね。ところで、お昼は大丈夫?」
「ん? 購買部でパン買って、教室へ戻るまでに食べちまったから問題ないなぁ」
とぼけた返事をしたイヌカイ君に、オレは笑った。
「おっと、すまんゾ!」
大きなだみ声とともに背中から強い衝撃を受けて、オレはその場に倒れ込んだ。
倒れる際に床で膝を痛打し、追い打ちで上から何か巨大なものが押し掛かり、あまりの重さに悲鳴を上げた。
「痛ぃだだだだっ! 重っ! 重いっ! 痛っ! 痛ぃっ!」
「タダノッ! 大丈夫かっ!?」
「すまんすまん。いま退くゾ。うっかりぶつかってしまったゾ」
オレの体に押しかかっている巨大な何かから詫びが聞こえると、ようやく痛みと重みが軽くなった。
上半身を起こしたオレが見たのは、巨大なオークだった。
「すまなかったゾ。考え事をしていてぶつかってしまったゾ」
「いえ、死ぬかと思う程に痛くて重かったですが、生きてますから大丈夫です」
「タダノは相手が優しそうだと結構言うよな」
謝るオークに許しを与えたオレに対して、イヌカイ君が苦笑いを浮かべていた。
「それじゃ怪我も無いようなのでボクはこの辺で失礼するゾ」
オークを見送ったオレは、昨日からぶつかりっぱなしだと一人ため息をついた。
「さて、早く職員室に行こう。時間が勿体ない」
「うん。そうだね……って、あれ? 封筒どこいった?」
「え? さっきのオークとぶつかった時にでも落としたんだろ。その辺に落としてないか?」
「……見た限りは、落ちてない……無いな……なんで無いんだ? 意味が分からない」
オレは素早く周囲を見回すが、どこにも封筒は落ちていなかった。
「教室から持って出たよな?」
「持って出た。左手に持ってた」
「さっきのどさくさで、誰か置き引きでもしたか?」
「ここ、都内の学校だよね? 無法地帯じゃないよね?」
「でも他に考えようが無いしな」
「え? ええ〜?」
勿論、周囲に居た生徒達に聞いてみたが、はっきりと封筒を見ている生徒は居なかった。
「どうしよう?」
「どうすっか?」
ただただ途方に暮れてしまったオレとイヌカイ君は、互いに顔を見合わせた。
「お困りのようだな、ボンクラども。話は見させてもらった聞かせてもらった、ボンクラども」
困惑でフリーズしていたオレ達に颯爽と声をかけてきたのは、副長のアマノさんだった。
それはともかく、なんでボンクラって2度言ったんだ?
「もしかしてオレたちの後を付けてたの?」
オレの質問に、副長は腕組みして頷いた。
「おう。初めてのお使いには隠れた保護者が要るもんだ」
「絶対面白半分だろう?」
イヌカイ君の質問に、副長はまばゆい白銀の髪をさらりと揺らし言い切った。
「バカ言え、面白全部だ」
副長の柳眉がピンと撥ね上がり、切れ長の目が爛々と光る。
あ、これ絶対に思いつきでとんでもない事を言い出すな。
「タダノよ、見知らぬ生徒様の大事な大事な所有物を紛失するとは大失態だ。これはマズい。非常にマズい事態だな?」
「そーですね」
「失態は雪がねばならない。そうだな?」
「そーですね」
「ではどうする?」
「どーするね」
「殴るぞ?」
「すみませんどうでもよくなっててきとうにこたえてましたでもなぐったあとになぐるぞはおかしいとおもいます」
肩にパンチしといて殴るぞはないわ。
「地に落ち埋もれクソまみれになったタダノの汚名を返上する為に、ここは一つ、犯人を自らの手で挙げるのだ」
「うっわめんどくせぇ」
また肩パンをもらったので、オレは副長の提案に乗る事にした。
痛いんだよ、地味に。
「ではイヌカイ。お前の出番だ」
「やっぱり俺も巻き込むのか」
「その類い稀なる人狼族の本質を使い、不届きモノを追いつめるんだ!」
「うっわめんどくせぇ」
オレと同じ感想をボヤいたイヌカイ君の鼻ッ面をがっちり握りしめ、副長がしとやかな笑顔で念を押した。
「さ あ 狩 り の 時 間 だ」
「はい」
マズルを握りつぶされる恐怖に屈したイヌカイ君が、胸の名札を外した。
「しかたない、ひと踏ん張りするか」
言うとイヌカイ君は目をつむり、意識を集中しはじめた。
恐らく、各種族の尖った本質を押さえ込む付与を持つ名札を外す事で、人狼の本質を最大で解放しているのだろう。
「ねえ副長。イヌカイ君の……人狼の本質って何?」
「ん? ああ、タダノは知らないのか」
「田舎の出だから、他の種族とかかわる事がほとんどなかったし」
「無知は罪だなぁ」
憐れむ目でオレを見る副長に、説明の続きをお願いした。
「人狼の"本質"それは"狩り"だ」
「"狩り"?」
「そうだ。獲物を狩る。その一点に特化した種族が人狼族だ」
「へー」
副長の説明に、オレはただ感心するばかりだった。
「それで今、イヌカイ君は何をしているの?」
「……アイツは……アイツは今……今……何してんだ?」
「無知は罪だなぁ」
「失言に罰だぜぇ」
「痛った! いだぁっ!!」
余計な一言を口にしたオレの太ももに、副長は膝の一撃を容赦なく入れてきた。
「さて、何となく分かった。これから追うぞ」
「おう!」
イヌカイ君が苦笑気味に行動を開始すると、副長がやる気満々で応じたのだった。
「それで、何でオレはこんな事になっているんだろう?」
疾駆するイヌカイ君の背にしがみつくオレはボヤいた。
「人狼族と天使族の全力疾走に、人間族のタダノじゃ付いてこれないからな」
オレのボヤキにイヌカイ君が答えた。
そもそもオレが犯人探しをしなければならないこと自体がおかしい話だが、とばっちりで巻き込まれたイヌカイ君に対してそんな事は言えないので、別の事を口にした。
「ところで名札を外したあと、集中して何してたの?」
「ん? あれは匂いを追っていたんだ」
「匂い?」
「ああ。タダノの匂い、封筒に残った匂い、ぶつかったオークの匂い、周囲の生徒達の匂い、様々な匂い。それらの時間経過、位置と移動、感情の匂い、それらを多角的に捉えて獲物が誰で何処へ逃げたか推測していたんだ」
「へえ。それじゃあイヌカイ君は犯人が分かったの?」
「いや、全然」
「え?」
犯人が分からないのに走り出してんだ。
「イヌカイィ。それならアタシ達は何処へ向かってんだぁ?」
イヌカイ君の答えに、彼と並走している副長がジロリと睨む。
それにしても、結構な速度で走っているけれど、息も乱さない副長はやはり種族として優れているのだろうなと少し羨ましくなった。
「睨むなよ。犯人が誰かは分らないが、封筒を持ち去ったと思われるヤツの足取りを追ってるんだよ」
「よくも匂いだけで分かるもんだな」
「それが人狼族の本質ってもんだ。あの場で一番焦りの匂いを撒き散らし、僅かな時間で一目散に走り去った痕跡を残したヤツの後を追ってる。もちろん封筒の匂いも一緒だから間違いなく犯人だろうな」
「なるほどね。種族はどうだ?」
「爬虫類系だと思うな。リザードマンあたりか……」
「オークの野郎が怪しいと睨んでいたが……何れにしても、面白い事になると良いな。いや、面白くする」
面白くするのは止めてくれないだろうか。
そして、校内を駆け巡りたどり着いたのは体育館だった。
「なんだろう……このいかにもな展開は……」
「静かに。この先だな」
オレを背中から降ろしたイヌカイ君が、体育館の裏手の方を鋭い爪で指差した。
オレ達は体育館の角まで静かにゆっくりと進むと、副長がコンパクトミラーを取り出した。
細緻な模様を彫り込まれた高級そうなコンパクトミラーをそっと、犯人がいると思しき体育館の裏手が見える位置に差し出した。
「リザードマンが2。オークが3。封筒を確認。中身は不明」
コンパクトミラーに映る、犯人グループと思しき種族と数を小さな声でオレたちに伝えてくる。
「副長って何か特殊な訓練でも受けてるの?」
「特殊な性根はしてるわな」
イヌカイ君の小さな呟きも聞き漏らさず、副長が彼のマズルを握りしめた。
「静 か に な ?」
玉虫色の虹彩に怒りの火を灯した副長に、イヌカイ君は右手を上げて服従した。
「これより突入して現場を押さえる。目的は封筒の奪還と、中身の確認。場合によってはアイツらを徹底的にシバキあげたのち、晒しモノにする」
「「暴力団のロジックじゃないか」」
「何か文句があるのか?」
「「文句しかない。文句しか見当たらない」」
オレとイヌカイ君の抗議に対し、副長は左手でイヌカイ君のマズルを抑え、右手でオレの顔面を抑えた。
彼女は万力のような握力で、オレ達の顔を静かに締め上げた。
「返事がないな? ハイかイエス、どちらかの返事がな」
「ハイ」
「イエス」
ヤケクソで返事をしたオレたちを解放し、副長がハンドサインで突入のカウントダウンを始めた。
指折り数える彼女の顔は、天国の享楽に酔いしれる天使のようだ。
本当にいい性格をしていると思った。
そして、突入の合図と共に、オレたちは一斉に体育館裏へ飛び込んだのだった。