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「陛下!一晩待ちました。ユーリ様を別邸へお戻し下さい。」


 早朝、女官長が身支度中の私室に乗り込んで来た。

 女官長が乳母だったころ、遠慮なく私を叱りつけていた既視感を覚える。


「あの様な酷い部屋で、一晩過ごされただけで充分ではありませんか!」


 女官長が誰かにここまで心を砕いている姿は珍しい。

 女官長はユーリを最初から気に入っていた。


 女官長が初めてユーリと対面した時、隣国を手玉に取ってきた女がどれほどのモノか知るために、いち侍女として会った。

 普通、貴族の若い女性はセンスの良い若い侍女を好む。何故なら、自身のドレスやアクセサリー、小物類、髪型など身の回りの全てが侍女の腕にかかっているからだ。

 どんなに有能であろうと、年配の侍女というだけで敬遠されるのである。

 隣国からやって来た女からも、どの様な罵詈雑言が投げつけられるかと思いきや、対面したユーリは容姿の素晴らしさは言うに及ばず、一言「よろしくお願いします。」と丁寧に言って微笑んだらしい。


「よりにもよってどうしてユーリ様なのですか?」


 女官長は常々ユーリを不思議な人だと言う。

 姫君たちのように教育を受けた知識や教養があり、躾を受けた行儀の良さがあるが、目下の者に対して高慢でなく、仕えられることに慣れていない。また、市井の娘たちのような気さくさがあるが、下品でも卑屈ひくつでもないと。

 曲がりなりにも隣国の王家で二年を過ごしていれば、ある程度の教養や行儀は身に付くだろうが、付け焼き刃ならすぐにボロがでる。

 ユーリの素養は異世界の日本とやらでかなり高い生活水準で育てられつちかわれたものと思われるが、どのような社会環境で育てばああなるのかと。


「罰を与えねばならない不届き者など、あの後宮に巨万ごまんと居るではありませんか!」


 女官長には願いがあるらしい。

 私の正妃になる女性は、『人』を見れる人であって欲しいと。人を外見や身分、立場で判断するのではなく、人を個人として見れる女性。

 私を王としてでなく一人の男として見てくれる女性、そんな人が私の正妃になればこの上ない幸せだと。


 だが、そんな価値観を持つの女性などいない。さっさと帰国した賢い姫君たちでさえ、ユーリの存在がなければ、国の利益のために後宮の闘争に参戦していただろう。田舎の純朴な平民娘なら好きな男でなければ嫌だというだろうが、それは、世間を知らないからだ。もしも、ユーリのように稀有な存在として後宮で特別な場所を与えられれば、教養が無い分、際限なく増長し後宮の姫君たちより質が悪くなるはずだ。実際、女官長の言うような価値観を持つ女性であり、尚且つ知識と教養そして品性を持ち合わせているなど、奇跡だと思っていた。


 思っていたのだが――――、ユーリがいた。


そう、いたのだ。だが、ユーリは王である私には顔色も変えず、一護衛の男を気遣うことで皮肉にもそれを証明することとなったがな。


「陛下!」


 なかなか返事をしない私にとうとう痺れを切らしたようだ。


「理由があるからに決まっているだろう。」


 大きな姿見の前で身支度の手を休めずに、鏡の中の女官長を一瞥する。


「どの様な理由かお聞かせ下さい!ユーリ様はいつも感謝の言葉を下さる、心根のお優しい方です。ユーリ様のことは陛下も愛しく思っておられるのではありませんか!昨日、あの部屋に入りましたが、室内は荒れ放題、寝室も家具も使える状態ではなく、ユーリ様は家具に掛けられている布を敷いて座ると仰いました。あまりの酷さにお許しいただけないかと、お願いにきても陛下は会ってくださらない!そうこうしているうちに、あっと言う間に嫌がらせを受けられました。『瑞兆』と言えども陛下に見放されたただの娘と侮る姫君たちのかっこうの餌食です。部屋の前は汚物でけがされ、ドアには何本もナイフが打ち付けられ、昨日、昼食と称して届けられた食べ物にはネズミや虫の死骸、砂、飲み水にはガラス片が入れられておりました。ユーリ様は丸一日なにも口にされておりません!」


 思わず手が止まりかけるが、何とか持ち直し鷹揚に女官長を振り返る。


「多少の嫌がらせは黙認するよう護衛に命じてあるのだ。ただ、命に関わる過度な危険や侵入者はないはずだ。そのような場合は防ぐように命じてある。それに、ただの嫌がらせであの部屋に入れた訳ではない。あそこは位置的に護衛がしやすいのだ。……昨日はユーリのもとには戻らなかったのか?」


 身なりは整っているが、顔に少し疲れがみえた。

 それに、女官長が戻らなかったというなら、ユーリは後宮の部屋で一人で過ごしたということだ。


「戻りたかったのですが、戻れなかったのです!仕方ないではありませんか!陛下は執務中だと言って会って下さらない。休憩時間までお待ちしても休憩をされない。食事も執務室に運ばせておしまいになるし。一旦ユーリ様の元に戻ろうといたしましたが、すでにお部屋の前がけがされていて入れなかったのですっ!ですから、陛下とお会いするにはこうしてお支度中にお伺いするしかないと思い、控えの間で待たせていただいたのです。お部屋前は、私の腹心の侍女にも見張らせております。たしかに別邸へ行われていたようなことは護衛の方々に未然に防いで頂いていますし、ユーリ様も部屋に鍵をお掛けになり閉じ籠っていらっしゃいます。ですが今まで穏やかに過ごされていたユーリ様にとっては充分にお辛いことだと思います。勝手な判断ではございますが、先ほど部屋の前を片付けさせ、別邸の厨房より朝食をお届けするよう手配いたしました。」


 女官長の愚痴が矢継ぎ早に繰り出されるが、対応を聞き胸を撫で下ろす。

 そうすると、また気分に余裕ができ、いらぬことを言ってしまう。


「女官長は甘いな。部屋に篭っているなら一晩くらいどうということもあるまい。これでユーリも少しはりただろう。知らぬとはいえ、この私がここまで待ってやっているにもかかわらず、護衛を気にかけるとはっ。」


「ユーリ様はお優しいのです。」


 女官長の言葉に怒りが再燃し、さすがに手が止まった。心にわだかまっていたことをぶちまけた。


「優しいだと?お前たちに優しくても私を嫌っているのは確かだな。あの騒ぎの日、私は廊下まで出てきたユーリに気付いたとき心配したのだぞ?騒ぎに乗じて狙う奴がいるかも知れぬ、何をしておるのかと。あの日を私がどんなに待ち望んでいたか!怯えぬように声をかけ、それから、それから……、なのに!なのに、ユーリは私が死んだか確かめに来ていたのだっ!ユーリは私が無事だと知ると好いた護衛と慌てて別邸へ戻っていったのだ!群がる後宮の女たちを振り払い、ユーリのもとへ行こうとしていた私がどんな思いでその背中を見送ったか分かるか!?こんなことならあの大舞踏会の時、あのまま王宮へ連れていくのだった!私しか見えぬようにしてしまうのだった!」


「っ!! もしも、あの時ユーリ様を王宮にお連れになっていれば、混乱したまま御心を落ち着けるいとまもなかったでしょう!さらに日々誘拐や暗殺に怯え、お守りするためにお部屋に閉じ込め……」「そんなこと言われずとも分かっている!あの時短慮に王宮へ行かず、お前が別邸を用意していて正直助かった。だが!言わずにはおれないのだ!」


「死んだか確かめに行かれたと仰いますが、めっそうもありません!どうしてその様に思われたのですか?あの時ユーリ様は陛下のことがご心配で行かれたのです!」


え……?


「走ったこともない方が、護衛を振り切って陛下の無事を確かめに行かれたのです。ユーリ様はご自分が後宮の姫君たちから護られていることをご承知でした。賢い方です。あの場から出ては行けないことはご承知だったのです。ですから大廊下との境目、廊下の端ぎりぎりで止まられていました。それでも陛下の無事のお姿をご覧になりたかったのです。『よかった』と呟いて微笑んでおられました。」


っ!!


「それに、好いた護衛とはなんのことでしょうか?!ユーリ様が特別お目にかけている護衛などおりません!もし、そのような者がいれば私が気づかぬはずはございません。護衛の件はユーリ様をお止めできなかったことに対する異動だったのでは?ですからユーリ様はご自分が勝手をした罰で誰かが責任をとるのは嫌だと申されて、陛下にお願いするために茶会に出られたのです。」


特別な護衛はいない?

嘘だ…そんなこと……

だが、女官長のこの真剣な様子はとても嘘を言っているようには見えない。

どういう…ことだ?

勝手をした罰……とは何のことだ?


「茶会は私がお勧めしました。後宮にしがみついている姫君たちにユーリ様の立場を知らしめる機会だと思ったからです。陛下にご給仕出来るのは、許された者以外ではご正妃またはご正妃になる女性だけですから。陛下もとても機嫌よくされていたではないですか。あの騒ぎで出来なかったことをやり直そうと思われたのでしょう?だからまずは願いを聞いてユーリ様を喜ばせたかったので御座いましょう?確かに、あの時のユーリさまの仰り様はもっと他に言い方があったとは思いますが……。陛下も他の姫君たちを使ってあのような遠回しな聞き方をされなくても!その後お部屋ではどのようなお話を?異動になった護衛を復職させるだけで、どうしてユーリ様があのような処遇を受けなければならないのですか?

とにかく!陛下、ユーリ様が護衛の異動を知った時、『陛下のご無事を一目見たかったということが罪なのか』と一度もお怒りにはなりませんでした!」


ま、待て…女官長、待ってくれ、混乱している…

どういうことだ?

私はとんでもない思い違い…を?

そうだユーリは確かに言っていた……「誤解です」と。それ以前にユーリは何かを言おうとしていた。それを私が遮って……


「だ、だが、あの時、後宮へ戻る時、ユーリは護衛の腕を取って慌てていたではないか……」


そうだ、あれはどう説明するのだ?

取り繕うように笑って……そして…慌てて……

私が死ねば後宮は解散する。だから私は、ユーリが私の死を確かめに来たと……


「私の腕も取っておられましたっ!」


っ!!


「陛下がお怒りのご様子なので戻りましょうと促されただけです。お見えではなかったのですか?!

……――――っ!まさか!去り際にユーリ様が護衛の腕を取ったのを見ただけで、そのような思い込みを!?

それだけで、怒りに任せてユーリ様を『要らぬ』と申されたのですか?!」


ああ…何ということだ。


だがな…

だが、お前は『だけ』と呆れたように言うが、私にとってユーリのほんの些細な行動すら心を激しく揺らす重大事なのだ。


しかし……、この胸に広がる安堵感はどういうことだ。

絶えず血を流し続けていた胸の痛みが、嘘のようになくなった。


ユーリと護衛は何でもなかったのだ……

――――何でも……


ああっ!ユーリを迎えに行かなければ!

ユーリの前に膝を折り、許しを請わなければ!

そして、今度こそはじめからやり直そう。


「陛下!お支度中、失礼致します!後宮別邸護衛官が至急のご報告とのことです!」


っ!!!


「通せっ!!」


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