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 『瑞兆』には少々話がある。残れ――――


 ユーリは退席していく姫君たちの背中を心許なげに見送っていたが、扉が閉まると嘆息し、膝に置いた手元に視線を落としたまま項垂れた。

 姫君たちが退席した後の円卓はガランとし、壁際には近衛兵や給仕の侍女が整列したまま置物のように動かない。


 嘆息したいのは私の方だった。


 どんな理由にしろ、これがユーリと初めて二人だけで話す機会だ。このまま、円卓で話す気にもならず、後宮内の別の部屋を用意させた。



***


 ユーリはテーブルを挟んだ向かい側の大きすぎるソファの中央にこじんまりと座っている。そのいとけない様子に先ほどの怒りを忘れてしまいそうになる。

 そんな心の揺れを隠すように、ことさら冷たい声色で命じた。


「ベールを取れ。」


 私の命令に彼女は素直に従い、薄いベールに手をかける。

 ベールの端を軽く引くと、薄い絹の布はするりと滑り落ち、私と彼女を隔てる壁が取り払われた。

 伏し目加減だった彼女はゆっくりと視線を上げ、私を見上げる。


 黒の瞳が私をとらえる。


 彼女の瞳が私を映している。

 ゾクゾクとした歓喜が背中を駆け上がってゆく。

 眠っている彼女に忍んで会いに行っては、この瞳に囚われたいと思っていた。

 三ヶ月前に見た怯えるようなものではなく、意思の宿る眼差しが私に向けられている。


 彼女の身を包む可憐なドレス―――このドレスは私が選んだのだ。

 彼女の黒髪が映えてとてもよく似合っている。

 やはり彼女には淡い色が似合う。

 その黒髪が縁取る象牙色の肌。すらりとした首筋から胸元にかけて、肌は若く艶やかでまるで光沢のある絹のようだ。

 まだあどけなさが残る滑らかな頬の輪郭を、己の指で撫で上げたい誘惑にかられる。


 だが、その心の内とは裏腹に、脚と腕を組み、ソファに深く体を預けて彼女の眼差しを無表情で受け止め、口を引き結ぶ。

 胸が高鳴り、頬に朱がささぬよう胸の動悸を必死の理性でねじ伏せ、感嘆の溜息を漏らさぬよう飲み込む。


 少しでも気を抜けば、全てを無かったことにして許し、王の威厳などかなぐり捨て彼女の前に膝を折り、その手を取ってしまいかねない。


 彼女との間にある、目の前の重厚なテーブルが衝動を押しとどめる物理的な障害となってくれていた。


 なるべく冷たく彼女を見下す。


「あの、」


 彼女の甘やかな唇から、アノことが紡がれようとしている。


 私の腹の底からどす黒い感情が急激にせり上がって来た。


「護衛をひとり欲しいか……」


「はい、でもそれは……」


 私の不興は充分承知しているはずなのに、彼女は臆することなくと答える。


 彼女が初めて参加したいと言った茶会、彼女ははなから護衛のために私と直接会うためだったのではないだろうか。

 でなければ、躊躇うことなくここまできっぱりとは言い切れまい。


 まだ何かを言い募ろうとしたが、皆まで聞きたくなかった。

 遮るために核心をつく言葉を投げ付けてやったが、むしろそれは自傷行為。


「私が死ななくてがっかりしたか?」


 自らの言葉に傷つく。


ああ、そうだ彼女の望みは、私が死に私から解放されること。

彼女に私は必要……ないのだ。


 だが、彼女は訳が分からぬといった様子でただ私を見上げる。


 私を前にして顔色を変えぬ女などいない。

 並の女なら赤面しうろたえ私と目も合わせられず顔を背ける。後宮の女ならば頬を染めてなまめかしく期待するような笑みを浮かべる。


 だが、彼女はただ私の言葉の意味をはかりかね、「え?」と小さく小首をかしげるのみ。


彼女は、本当に私に何の感情も抱いてはいないのだな。


 つきつけられた真実に悄然となる。


単純に聞き返し、私が血が吹き出る思いで言った言葉を二度も言わそうとしている。


痛い、胸がえぐられるように痛い。

これが、心が傷つくということか……

こんな痛みもあるのだな。


 組んだ腕の下で拳を握り、眉間に皺がよる。


「わざわざ後宮まで出て来て、私の殺られ具合をそれほど自分の目で確かめたかったのか、と聞いている。」


 自分の傷を抉りながら、彼女にもう一度丁寧に言ってやる。


 私の無残な姿を期待して好奇心を持って見に来たことに罪悪感ぐらいは持つだろうかと思い、半ば自棄になり「殺られ具合」と言ってみた。


「そんなこと思っていません!」


……罪悪感すら……湧かないの…か?

その瞳をほんの少しでも動揺で揺らしてはくれないのか?!


何を言っている?何を言っているっ!


そんな曇りのない真っ直ぐな瞳で、まるで何のことだか分からないと、平気で嘘をつくのかっ!


 私ばかりが彼女に必死なことが道化のように思えてきて、自嘲の笑みがもれる。


「『瑞兆』と言えどもただの女か。よく見えておったぞ。私が無事だと分かると慌てて護衛の腕をとって戻っていく姿がな。随分仲良くなったものだ。」


「違います!そんなこと、」


今さら何が違うというのか。

現に言い淀んでいるではないか!

あの騒ぎの時、私が曲者に襲われたと聞き、死んだかどうか期待して来たのだろう!?私と目が合った時、私の無事な姿に驚き、取り繕うように笑って、握れば容易く折れてしまいそうなそのたおやかな腕を護衛に絡ませていたではないか!

慌てて去って行くお前を、私がどんな思いで見送ったか分かるまい!


だが……、『瑞兆』といってもお前は特別でも何でもなく、『ただの女』なのだな。

権力や金に擦り寄るために必死に闘争を繰り返す姫君たちがいる一方で、お前は好いた男のためにたった一人で嫌っている王に会いにこんなところまで出てきて……


私だけではない。お前も、必死なのだな……私でない男のために。


 そのいじらしさが痛々しくて、切なくなる。



――――……だが、だがな、ユーリ。


 腹の底からせり上がったどす黒い感情から独占欲がのそりと姿を現わす。


「随分怯えていたから私らしくもないことをした。落ち着くまで気長に待っていればこのざまだ。」こんなことなら、泣き喚こうがさっさと奪ってしまうのだった……

お前の意思など関係ない。

この私が欲しいと望んでいるのだ。

あの大舞踏会のおり、多くの王侯貴族たちの思惑が渦を巻く中で、私はお前を誰にも渡さないと誓った!

お前がいくら護衛に必死になった所でお前にあの護衛との未来などないっ!

お前が生きるのはここしかないのだ。

お前を守れるのはこの世で私しかいない。


「私が死ねばあの護衛を連れてここを出られるとでも思ったか?そのなりでは二人で何処へ行こうともこの世に安住の地はあるまい。」


護衛一人に何が出来る!

お前が安穏と暮らすあの別邸の外で、一体何人の間者や暗殺者たちを斬り伏せたと思っている!


「浅はかな奴だ。」


 そう冷たく笑ってやると、ショックを受けた様子で大きく目を見開き、瞳を彷徨わせる。護衛との困難な未来でも想像しているのだろう。


これで諦めてくれれば……

いや、ユーリは賢い娘だ、答えはすぐに出る。

私を……私のもとを選ぶだろう。


「それは誤解です!私はただ……」


彼女が、ことさら毅然とした態度でいった言葉に引っかかりを感じた。

だが、何かに思い当たったようにハッとなった彼女が思わず呟いた言葉でそれは散霧する……



――……あの、護衛のひとは無事なのですか?――



限界だ。


 心を一刀両断され、激しい痛みが胸を襲う。

 血がドクドクと噴き出すような苦しさから逃れるのに必死で、我を忘れた。


 お前など要らぬ!と叫んだ。

 憎悪が湧き「後宮の女たちの餌食になってしまえ!」と本気で思った。

 私のモノにならぬなら死んでしまえと本気で思った。


 正気が戻ったのは、首をすくめ目を見開き、私を見つめる彼女に気付いた時。


しまったっ!!


 狼狽ろうばいし、慌てて顔を背ける。

 すると、後ろに立つ近衛兵は私が何かを命じるために顔を横に向けたと思ったのだろう。一歩前に出る。

 視界の端にユーリの視線を感じる。


今、許しを請い、泣いて縋ってくるのであれば……抱きとめよう。


 未練がましくゆっくりと瞬きをし、数瞬待ったが…――ユーリは動かない。


 近衛兵に幾つか命じると彼女の視線を振り切るように部屋を出た。


***


コンコンコン


「申し上げます。陛下、女官長様がお目通りを願われておられます。」


「……執務中だ。会わぬ。明日にしろと伝えろ。」


「畏まりました。」


女官長の用事はわかっている。

ユーリの後宮の部屋のことだろう。

ユーリに充てがったのは、先王の時に自殺未遂の騒ぎがあり、その時以来放棄されたままになっている部屋だ。

あれでも配慮をしてやった方だ。

お前を愛しく思う私をこんなにも傷つけたのだ。部屋くらいなんだと言うのだ!存分に怖い思いをすればよいっ!




 晩になると激しい雨が降った。


 窓に打ち付ける激しい雨音に、ユーリの怯える顔が浮かぶ。


 一晩中なかなか寝付けなかった。





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