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 水平線にあったラベンダー色の黄昏がだんだんと濃さをまし、やがて夜の色に変わった。


とうとう夜になった。

私はいつここから連れ出されるのだろう。


 ずっと、室内を世話しなくウロウロとしている。

 ここから逃げようかと何度も窓の下を覗いた。窓の高さは二階。といっても一階のその下はかなりの高さの崖で、地面は浜辺になっている。

 実際、崖を降りることは不可能だが、このまま何もせずに従っている場合ではないと何かが私をかすのだ。


 部屋の外には人の気配がした。多分見張りがいるのだろう。

 窓がダメなら、仮病を装って扉を開けさせようかとも思ったが、体力のない今走って逃げても外に出るまでに捕まるだろう。捕まるとわかっててやるのも、「逃げる努力はしたの!」と、とても言い訳じみていてひどく抵抗を感じたのでやめた。


 こんなにドキドキして、それが恋をしている証拠だと言うなら王太子にすっぱりついて行けばいいと思うのに、行ってはいけない、逃げなければという焦燥感しょうそうかんに苛まれる。


 時間だけが、いたずらに過ぎていく。


 やがて…ノックの音がした。


「ユーリ、待たせたね。おいで、行こう。」


 優しく微笑みを浮かべながら、王太子が手を差し伸べてくる。


 やっぱり一緒にこのまま行くのはダメだと思い、小さく首を振り一歩下がる。「困ったさんだね」と全然困ってない顔でため息をついて、私の手をさっと取り腰に腕を回す。

 物腰は優しいが、手や腰に私を歩かそうとする男性の力を感じる。


王様はこんな強引じゃない――――


 一瞬頭をかすめたが、覗きこんできた王太子の顔は私の胸をまたドキリとさせる。


もう自分で自分が分からない。

この人は私を『価値』でしか見ていなくて、力づくな強引さに違和感があるのに、こうして側にいて見つめられるとドキリとする。


なんで?なんで?なんで!?



 混乱するまま連れてこられたのは、広く大きな室内テラス。

 大きめのランプが幾つも吊るされ、暗くない程度に室内をオレンジ色に照らしている。


 王太子の護衛兵らしき人たちも十数人程がいた。皆、息を呑んで私を凝視してくる。

 見世物になったようで居心地が悪い。


 テラスは浜辺に面しているのだろう。いくつものガラス扉があり、昼間は暖かい日差しを取り込みながら海の景色を満喫できるはずだ。

 でも今は、外は真っ暗で、波の音だけが聞こえ潮風がカタカタとガラスを揺らしている。


 ガラスには王太子に腰を抱かれて立つ私が写っていた。好きな人と一緒にいるとはとても思えない、不安そうな顔をした女の子が。


 突然テラスに声が響いた。


「おお!王太子様!ついに手に入れられましたか!」


 そう言って大袈裟に手を広げてテラスに入ってきたのは、低い背の小太りな年配の男。

髪には白いものが混じり、口髭くちひげもはやし貴族と思われるが、びた様子がどうも小物感がいなめない。


「世にも珍しい『瑞兆』を、私めにも是非よくお見せ下さい。」


 男は私を目にした途端息を呑んだが、すぐに無遠慮に顔を覗きこんできた。

 じっと瞳を覗きこみ、ほうほう!と声を上げながら頭からつま先まで、まるで、彫刻像でも見るように全身に視線をわせてくる。

 体を硬くし、身震いするが、腰を抱く王太子は男を制止するどころか、「見事な黒だろう?」と、コレに触れていいのは自分だけだと自慢するかのように、私の髪を一房取って口付けた。


 ――――耳に波の音がザザンと聞こえる。

 波が打ち寄せ、そして、何もかもを跡形もなくさらって引いていく引き潮が見えた気がした。


 首をゆっくりと動かし、王太子を見上げる。

 燃えるような赤い髪に、サファイアブルーの瞳、惚れ惚れするほどの精悍な顔立ち。


 まじまじと顔を見つめる私に気づいた王太子は髪から手を離し、クスリと笑いながら、どうした?と言うように首を傾げ、私の頬を手の平ででてきた。


 突然、ストンと理解できた。


ああ、私って、ほんっとバカ!

お子様すぎだ。

理解出来れば何てことはない。

この王太子は、中身が最低の、ただの顔だけ男だ。

ドキドキしたのは、恋でも何でもなく、ただ好みの精悍な顔を間近で見た衝撃と緊張みたいなものだ。

こっちは中学生で、それも恋愛経験値ゼロでこの世界に来てるんだ。

女子高生のお楽しみ、ちょっと大人なイケメン先輩さえ見っぱぐれて来てる初心者に、いきなり最上級のゴージャスイケメンなのだから、仕方がない。


こんな動悸どうきでわーわー言っていたら、いったい何人に恋だ愛だと言ってなきゃならないんだ。

こんな上っ面にまどわされていたなんて、私はなんてお子様なんだ!


 まさに潮が引くように私の心は冷静さを取り戻した。

 そう理解してしまえば、王太子の顔をいくら見てももう何も感じない。答えが分かれば馬鹿馬鹿しいことこの上ない。


 頬にある王太子の手の手首をつかんで、なけなしの力で外し、胸を押して腰に巻きつく腕からのがれようともがいた。

 王太子は唖然あぜんとしたが、すぐに、暴れる猫でも手なづけるように私の両手首をつかむと、私が何をしだしたのかと面白そうに口角を上げる。


人のことを面白がる、顔がムカつく!


 手首をつかむ王太子に声をあげようとした瞬間、今度は女性の声がテラスに響きわたった。


「お兄様!!!」


 テラスの入り口に一斉に視線を向けると、私の時が止まった。


 声を上げたのは、王太子と同じ配色の勝気な猫目をした美女。

 だが、胸の前に組んだ手が震え、顔には悪事が見つかってしまったという動揺がありありと現れていた。


 何故なら、その背後に立つのは、王様――――


 護衛と同じ黒い制服を着た王様がいた。


「赤の王太子、キャセルバード・ソロ・アベク。そこまでだ。ユーリを返してもらおうか。」


 テラスの入り口から王様に続き、黒い制服の護衛たちや近衛兵たち二十人ほどが私たちを取り囲むように並ぶ。それと同時にテラスのガラス扉が蹴破けやぶられると十数人の兵が雪崩なだれこんできた。乗り捨てられた何艘なんそうかの小舟や取り押さえられている者たちが浜辺の向こうに小さく見えた。


 皆が剣に手を掛け抜刀ばっとう出来る体勢で、テラスにいた王太子の護衛兵たちと睨み合う。


 口を開いたのは王様。


「私の国で勝手ができると思ったか。沖合いの船からは援軍は来ぬぞ。警備隊が既に港へ曳航えいこうし、この別荘も抑えた。あとは貴様らだけだ。戦争をするつもりはない。この妹姫共々速やかに国へ帰ってもらう。国王へ親書を送っておいた。今後はいち王子として余生を田舎の領地でおとなしく過ごすのだな。」


 王様がそう言うと、妹姫は放心したようにそのままテラスの床に崩れるように座り込んでしまった。

 私をめ回すように見ていた貴族の男は、なんとか取りつくろおうと王様に向かって狼狽うろたえながら一歩近づいたが、王様に「子爵…」と静かに一言われただけで立ち尽くし、近衛兵に拘束されてテラスから連れ出されていった。


 肩の力がぬけ、まるで迷子になった私を見つけてもらったような安堵感がこみ上げてくる。


 だが、王太子は、王様たちの登場で抵抗のなくなった私を、背中から覆いかぶさるように素早く抱き込む。腕ごと胸とお腹に腕を回され身動きが出来ない。

 頭上から王太子の舌打ちが聞こえた。


「これはこれは、さすがはエデュアード王、こんなにあっと言う間に見つかってしまうとは。ああ、残念だ。私はユーリをこんなにも望んでいるのに、貴方に返さねばならないとは。」


 この後に及んでの虚勢きょせいなのか、芝居掛かったようにそう言うとより一層痛いくらいに腕に力を入れ抱き込み、頭に頬ずりをする。


「貴様……」


 正面に立つ王様がひたりとこちらを見据みすえる。


 その眼差しは……―――


私は…

私は、何故、王様を、体格に似合わない女顔だと思っていたのだろう……

何故、まるで女神様のように美しい人だとしか見えていなかったのだろう……


 王太子を見つめる王様の眼差し、それは―――男性そのもの。

 敵を前にして闘争心を剥き出しにした男性の眼差しだった。


 胸がぎゅっと締め付けられた。


私が知っている王様の顔は、無表情か、誤解が解けてからのこの一週間はいつも優しく微笑んでいるか照れくさそうにはにかんだり、体調を気遣う表情ばかり。

あの茶会の後、声を荒げたときも今とは全然違う。


この人のこんなにいどむような真剣な眼差しを初めてみた。


ああ、そうだ、この人は、この大国を統べる『王』なのだ。

生半可なことではこの国を治めていくことは出来ないはず。

でも、その勤めを果たせるほどの――――男性なのだ、この人はっ…


「王は私の妹はお気に召さなかったか?妹は貴方を真に慕っている。どうか最後に哀れと思って、いま一度その腕に抱いてやってはくれないか?ユーリ、妹は王の戯れを真に受けてしまってね。王に口付けられて、腕に抱かれたと喜んでいたのに、酷い捨てられ方をしたのだよ。」


「っ、王太子!」


 王様の厳しい声が聞こえたが、私は王太子の言葉に冷水を浴びせられた。


そういえば、あの後宮の部屋で苦しんでいる時も聞こえてきていた。

陛下の腕の中は…と。

あの時は、何も感じなかった。


でも、今は…今は、多くの姫君たちがあの人の腕の中であの香りを知っているのかと思うと……、この目の前に座り込んでいる美しい姫君もあの腕を知っているのかと思うと………


何?この気持ち…


 王様の足元に座り込んでいた妹姫が涙を流しながら、陛下…とか細い声を出して王様を呼んだ。妹姫は、お慕いしております…と懇願する。

 私は二人を王太子の腕の中から見ているしかない。

 妹姫が王様の脚に手をのばす…


イヤ…

ダメ、

ダメよっ!

「ダメ!止めてッ!王様に…エデュアードに――さわらないで!!貴方に誰もれさせないで!」


私の中にこんな気持ちがあったなんて…知らなかった…

私、今、あなたを誰にも渡したくないって思ってる。

他のひとがあなたに触れるなんて許せないって思ってる。


ほんと、私って何も分かっていなかった。

ごめん王様、やっと気づいた。

あなたは私を愛していると言ってくれた。でも、私、それをただ受け取っているだけなんてまっぴらだ。


 王太子が私の耳元でささやいた。


「今はユーリを追ってくるほど執心しているが、その気持ちもいずれせる。男とは、そういうモノだ。覚えておくのだな。」


っ!!!

この男!最っ低!

腹いせに私の心に王様への不信を植え付けようとしている。


 カッと血が逆流した。

 渾身の力でもがいて、王太子の腕を振り払った。一秒だってこんな奴に触れられたくない。

 だが、逃げようと体が前に出た所で、いきなり頭がグンと後ろに引っ張られた。王太子が私の長い黒髪の端を鷲づかみにして引っ張ったのだ。


 取り巻いていた兵たちが一瞬で緊張し、双方が抜刀し構える。


「ユーリッ!!」


 王様の私を案じる声が飛ぶ。

 私は怒りに任せて、髪の痛さもものともせずに振り向けるだけ振り向くと、王太子は剣まで突きつけていた。

 だが、怒りが勝って恐怖は湧かない、キッと睨みつけた。


「悔しいからって、嫌がらせ?あなたと彼を一緒にしないで。もし仮にそうなったとしてもあなたは無関係の部外者!あなたって、ほんっと、残念な顔だけ男よねっ!」


「ハハハッ!やはり、小国の王太子より大国の王を選んだか!当然だな。残念だよ。私の側ではあんなに顔を赤らめ胸を高鳴らせていたのにな!」


 まるで、私の裏切りを暴くかのように大声で王太子は言う。


でも、事実だ。

私が王様と同じ気持ちを返せないと悩んでいたのは、王様もきっと気づいている。

それなのに、会ってすぐの誘拐犯にときめいていたなんて、さすがに呆れるよね。

つまらないことに惑わされていただけとか、今更そんな言い訳、陳腐ちんぷすぎるよね。


「それがどうした。」


え?


 とても冷静な王様の声。でも、瞳にはしなやかで気高い猛獣のような鋭さがある。

 王太子の一瞬の震えが掴まれた髪から伝わる。


 王様は妹姫がのばした手を避け、脚を一歩前に出す。


「ユーリが小国の王太子より大国の王を選んだ?それが、どうした。お前の妹姫と違い、ユーリはそんなことで人を見る女ではない。なにも知らぬくせに勝手なことを言うな。それに、他の女に触れるなと言ってくれた言葉で望みはあると分かったしな。何も問題ない。」


 心が震えて涙で視界がにじむ。

 両手で口を押さえていないと、大きな声で泣いてしまいそうだ。


「さあ、ユーリを離せ!」


王様っ!!


「これはこれは、とんだ茶番だな!」


お前が茶番だ!

早く離しなさいよっ!


 涙を払い、振り向こうとした瞬間、視界の端に見えた。王太子が、掴んだ髪の束を下から切り上げるために剣の向きを変えたのを。

 何としてもタダでは渡したくないようだ。


子供か!

髪を切られて泣く顔でも見たら、清々するってかっ!


 咄嗟とっさに、王太子に掴まれている髪の束を頭の方で掴み直す。そして、グッと下へ体重をかけて自分で剣の刃へ髪を押し付けてやった。


 さすが、王族が持つ剣だけはある。良く切れる。


 急に綱を離されたような感覚によろけそうになったが、床に座り込む前に何とか耐えて、私はそのまま王様のもとへ駆けた。


「王様っ!」


 私の思いがけない行動に驚いていた王様だが、私が呼ぶと手を広げて飛び込む私を抱きとめてくれた。


ごめんなさい!!

ごめんなさい!!

ごめんなさい!!


「ユーリッ!」


 王様はしっかりときつく抱きしめてくれる。私を包んだ香りを胸いっぱい吸い込んだ。


 そして、抱きついた王様の腕の中から振り返ると、王太子は、私の髪を持ったまま何が起きたかまだ理解出来ないように呆然としている。

 私の髪は、半分ほどが肩くらいまで短くなってしまっていた。


「その髪、あなたにあげるわ。何度ももてあそんでたし、気に入ってたんでしょ?あなたなんかに何度も触られたからもう要らない。それから、もうくだらないことしないでね。でないと、私、縁起モノだから、罰が当たるわよ。」


 そう啖呵たんかをきってやったはいいが、急に膝ががくんと折れた。病み上がりにこの一日はきつかった。


安心したら急にきたみたい。

王様にたくさん伝えたいのに…心配ばっかりかけてごめんね。


 王様がユーリ!ユーリ!と激しく私を呼ぶ声を聞きながら、眠くはないのに意識が暗闇に引き込まれて行った。



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