11
ユーリを助け出してから、三日がたった。
まだ目を覚まさない。
苦しそうにうなされている姿は見ていて辛い。
それでも眠りが浅く、少し覚醒したときには抱き起こして水分をとらせるが、声を掛けてもまたすぐに眠ってしまう。
私は別邸でつきっきりでユーリの側にいる。
執務もここへ持ち込んだ。夜はユーリの隣に用意させたベッドで眠る。
もう、片時も目を離したくないのだ。
ユーリが目覚めた時は、その瞳に私を映して欲しい。
後宮は、完全に閉めるつもりだ。あの日を境に姫君たちを徐々に帰国させている。
大国といえども、さすがに近隣諸国全てに恨みを買うことは不味い。調整はしばらくしなければならないだろう。だが、そんなことは苦労でもなんでもない。
「ユーリ、目覚めてくれ。早くお前に謝らねば……」
――――夢を見た。
綺麗な女の人が私の頭を何度も何度も撫で、優しく声を掛けてくれる。
綺麗な黄金色の髪に、エメラルド色の瞳の人。
その人が、握った手の指先や額に何度も何度もキスをくれる。
私はどうなってしまったんだろう。
ずっとずっと暗い場所を行ったり来たりしているような。
体はふわふわ浮いていて、『帰らないと』と思うけど、『どこへ?綺麗な人が悲しむよ?』て思ってまた戻る。
何故、帰ることを躊躇ってしまうのかわからない。
戻ると体はとても辛い。でも、辛いときはいつも綺麗な人が側にいて優しくしてくれる。
そんなことを何度も何度も、繰り返していたように思う。
今は…また綺麗な人がいて……
あれ?
頬に落ちて来たのは、何?
ポタポタ、ポタポタ……
あめ……?
雨……
雨!
そういえば……
「ユーリ……」
?
「ユーリ、早く目を覚ましてくれ。」
?
「もう十日だぞ?熱も下がったのに、何故目覚めない?これ以上このままだと、お前の体がもたないと医師が言うのだ。ユーリお願いだ。いかないでくれ、ここにいてくれ。」
この雨は、あなたの涙なのね。
泣かないで。
綺麗な人。
「起きてくれっ、ユーリ、ユーリ!」
分かった、分かった、起きるから。
起きるから泣かないで。
う~っん……
「ユーリ!?」
「……ぁい。」
「ああっ!ユーリ!ユーリッ!よかった、本当によかった!」
私の真上に覆いかぶさりながら、大きく見開かれた目からぽろぽろと涙を零して泣き笑い、そう言った綺麗な人は……王様だった。
王様は両手で私の頬を包むと、自分が零した涙を拭い、額に強く口付けた。
覆いかぶさった王様の胸元から、前から知っていたような香の香りがした。
「すぐに医師をよんでくる!」
王様は慌てて部屋を出て行った。
夢のあの人は王様だったんだ…――――
…………。
え?王様?!
何でここに?って、ここどこ?
あれ?
邸宅の……私の寝室だよね?
まだ重い体はそのままに、首だけを動かし周りを見る。
私……雨のせいで濡れて寝ていたからひどい風邪をひいたんだっけ。
それから、心が弱りに弱って挫けて……
そして…お母さんを呼んだ……
ずっと夢をみてた。そっか、あれきっと幽体離脱っていうやつだ。
行ったり来たりして……
結局、帰れなかったんだ――――あっちの世界に。
「死ななかったんだ。死んだら帰れるかと思ったのに…」お母さん、ゴメン。私、帰れなかった……
「死ぬなどと言うな!言わないでくれ!」
王様の大きな声が私の思考を遮った。
開けたドアの戸口で悲壮な顔をしてそう叫んだ王様は、素早くベッドの脇に来ると、片膝をついて私の手を両手で握り、「ユーリ、すまなかった!全て私が間違っていた!」といきなり謝ってきた。
「王…様?」
王様は、さっきからなんでこんなに必死なんだろう?
そもそも、あの部屋に私を入れたのが王様で……
「陛下、ユーリ様は目覚められたばかりですし、先に診察を。」
私の頭が?マークでいっぱいになっていると、侍女さんとその後ろにお医者さんらしき人が入ってきた。
侍女さん?あれ?戻ってきたの?
「お目覚めになられて本当によかった。一時はどうなることかと思いましたっ…」
侍女さんは目頭を抑えて涙ぐんで言葉を詰まらせた。
「私…どうして……」
全く状況が理解出来ない。
物凄く急展開してる?
いろいろ聞きたかったけど、侍女さんの押しに負けて事情がわからないまま診察を受け、薬を飲まされて休まされた。
翌日、やっと話が聞けた。
私はあの雨の日以来、十日も寝ていたらしい。
たまに浅く起きては寝ての繰り返しだったので、十分な栄養や水分も取れず、体力的に危なかったとか。
実際、魂が出たり入ったりしてたからね。
いくら重症の風邪でも普通はあんなこと起こらないよね。やっぱり違う世界を渡ってきたからかな?
それから驚いたのが、その間に後宮は閉められたってこと。あれだけ賑わせていた姫君たちは全員帰されたらしい。
それに、これ大切、今回の大騒ぎの原因になった護衛の人も無事仕事に復帰し、元気にしていると教えてもらった。私との関係を厳しく問いただされ、全く身に覚えがないと必死に訴えたが、自宅謹慎にされていたらしい。本当に悪いことをしてしまった。でも、よかった、よかった。
「ユーリ、私の誤解で酷い事を言ってしまい、本当に申し訳なかった。お前の姿を見つけたときは胸の潰れる思いだった。こうして私のもとに戻ってきてくれて、どんなに嬉しいことか。」
ベッドで体を起こす私の横に寄り添い両手で手を握って、エメラルド色の瞳を揺らしながら許しを請う王様。
「王様、誤解が解けたのなら良かったです。もう大丈夫ですから……」
私の心は壊れていなかった。
あの雨の日、あんなに痛くて痛くて堪らなかった心は、いまはまた綺麗な色を取り戻して、私の中でふわふわとちゃんと浮いているような、そんな感じ。
多分、私が暗闇でウロウロと迷っている間、王様がずっと、言葉で、キスで、涙で真心を私に灌いでいてくれたからだと思う。
この人は本当に後悔しているし、私を大切に思ってくれている。
そんな人を、許せないわけがない。
だから、私はその想いを込めて、王様に微笑んだ。
王様は、私の『赦し』をちゃんと受け取ってくれたようだ。表情をフニャりと緩めた。
王様は、私の両手を包んだまま、ベッドから降り傍に膝を着いた。
「『瑞兆』のユーリ姫。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。私はディエト国の国王、エデュアード・レア・ディエトと申します。どうか私のことは、エデュアードとお呼び下さい。貴女のことを、ユーリとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
突然自己紹介を始めて、今更名前を呼ぶ許可を求める王様に、ポカンとしてしまった。
王様は「ここからやり直したい。」と言って、そんな私の両手を催促するようにギュッと握ってくる。
「は、はい。王様……」
「エデュアードと、」
黄金色の長い髪を揺らしながら、小さく首を振り訂正される。
「エデュ…アード…」
花がほころぶような笑顔で、「はい、ユーリ。」と返事をされた。