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ユーリの部屋の護衛に当たらせていた、護衛官のひとりが息も荒く駆け込んできた。
「陛下!申し上げます!先ほど後宮のユーリ様のお部屋へ侍女がご朝食をお運びしたのですが、何度お声がけしてもお返事がありません。昨日二階のお部屋に石が投げ込まれ窓ガラスが破られるのを確認致しました。侵入者以外の対応はそのままにせよとのご命令でしたので、そのままに致しましたが、ただ昨夜は激しい雨でしたので、ユーリ様のご様子が心配されます。どうか、扉を壊すご許可をっ、陛下!?」
知らず駆け出していた。
昨夜の雨。
窓に打ち付ける激しい雨だった。
ユーリの怯えた顔が頭に浮かんでいたのに私は知らぬふりでいたのだ。
何度も目を覚まし、ユーリの様子が気になって寝付けなかったのに、それが煩わしいとまで思ってしまったのだ。
何故、あの時見に行ってやらなかったのか!
誰かに命じることなどすぐに出来たはずなのに!
激しい罪悪感と後悔が襲う。
後宮に入ると、遠目にユーリの部屋の前に人だかりが出来ていた。
部屋の前は片付けられているようだが、ユーリの護衛の者と女官長の腹心の侍女が姫君たちとなにやら揉めているようだ。
足取りを緩め近づいて行く。
「これ以上はおやめください!ここは『瑞兆』様のお部屋でございます!」
侍女が大声で押しとどめているが、姫君たちの一人と思われる派手に着飾った女が紅い口を歪めて侍女を見下す横顔が見えた。
「陛下に見放されてここへ来たのでしょう?『瑞兆』ですって?ここに来たならただの新参者でしょう!まず私に挨拶に来るべきよ!部屋に篭っているなど、私に対する侮辱だわっ!そうだわ!昨日、陛下は私に『特別に』贈り物を下さると仰ったのよ?これはもう妃として認められたという証だわ。私が許可します!今すぐ鍵を壊して娘をここへ引きずり出しなさい!」
甲高い声が丸聞こえだ。
昨日茶会にいたうちの一人だな。
自分より立場の弱い姫君たちを片っ端から帰国に追いやり、残っている者たちの中でもリーダー的存在を自負している。自分が正妃になると信じて疑わない女だ。
その自信がどこからくるのか全く見当がつかないが、大勢押し寄せた姫君たちの数を減らすことに役立っていたので放置していた。
「まあ!私など陛下と二人きりでお会いしたことがあるのよ?とても親密に。陛下の腕の中はとても素敵だったわ。あなたが特別ではなくてよっ!」
あれはユーリから遠ざかっていた時期に手が出た女だ。口付けて少々戯れただけで興が冷めたのですぐに離れたが、自ら服を乱して誘ってきた。
冷たくあしらい遠ざけたが、まだあの様なことを言っているのか。
愚かな女だ。
「そうよ!贈り物なら私も昨日の茶会でお約束いただいわ。それに、『瑞兆』などと言っているけれど、陛下に男を強請ったのよ?気が知れないわ。陛下もあの場で切っておしまいになればよかったのよ。」
言いたい放題ぬかしおって。
「皆様なんと無礼なことを仰るのですか!そのようなこと、陛下がお聞きになればどの様にお怒りになるか!」
「まあっ!!この侍女は無礼なっ!」
腸が煮えくり返る。
「どけ、無礼者ども。」
茶会で欲しいものを問うたのはユーリの望む物を聞き贈りたかったからだ。
お前たちなど、ただの口実だ。
「「「「陛下っ!!」」」」
「後宮を閉める。お前たち全員さっさとここを出ていけ。その醜い面を二度と私に見せるな。近衛兵!姫君だと遠慮することはない!この愚か者どもを全員容赦なく叩き出せ!」
聞くに耐えない話を聞かされ怒りがおさまらぬ。
「そんなっ、お待ちください!陛下は私を抱きしめて髪を美しい色だと、肌を艶やかだと言って撫でて下さったではありませんか。ねえ、陛下、私は特別ですわよね?」
またもや違う女がしな垂れかかってくる。
顔を忘れていたし、そんなことを言ったことも忘れた。
こんな女に戯れを仕掛けていたのかと思うと、ユーリから逃げていた時の自分を殴りたい。
「国へ、帰れ。」
鬱陶しく押しのけると、こんな扱い我が国の王が黙ってはおりません!と吠えてくる。
「頭の足りぬ女だな。返り討ちにしてくれる。此奴も連れていけ!」
権力と金に群がる女どもに吐き気がする。
それよりも、私がここにいてこんなに騒がしいのに、何故ユーリは部屋から出て来ない?
いや、このようなただ中に出るのは恐ろしいのだろう。
早く安心させてやりたい。
手荒だが少し我慢してくれ。
部屋の扉の鍵を蹴りつけた。
ガン!
ガン!
ガン!
ガンッ!!
バッターンッ!!!
弾け飛ぶ様に、扉は開いた――――
扉は開いたが……
開いた先に見たものを、すぐに理解できなかった。
ソレは、ガラスのない窓からさす朝の光を受けていた。
ソレは、まるで、嵐に翻弄され、翼を折られて地面に落ちた小鳥のようだった。
ボロボロになった黒い羽根のように、黒髪が絨毯に広がり水を吸って乱れている。
仰向けに白い喉元をさらし、腕は力なく投げ出されている。
昨日の茶会に着ていたドレスのままだ。
可憐なドレスがとても似合っていた。
なのに……今は無残に薄汚れ、まるでボロ布のようではないか。
何故、こんなことになっている?
何故……――――
「ぅ…うわわわわわわ!!!ユーリッ!!!!ユーリ!!ユーリ!!ユーリッ!!」
足が縺れ、数歩の距離を這うようにして駆け寄る。
掻き抱き、抱き上げたユーリの小さな体は力なくダラリとし、揺さぶれば垂れた腕がブラブラと揺れる。
揺れると不意にユーリの長い睫からツゥーと一筋涙が流れた。流れた先の耳の窪みに涙が溜まっている。
あぁぁぁ…ユーリ…こんなに泣いて……
嘘だ!こんなこと!嘘だっっ!!
嘘だと言ってくれっ!
「ユーリ!ユーリ!目を開けろ!ユーリッ!!」
たった一晩、
たった一晩だ!
「目を開けてくれ…お願いだっ!!」
すまない、すまない、すまないっ!
私のつまらぬ嫉妬でっ!
あんなことを命じなければっ!
怒りに我を忘れ、死んでしまえなどと思わなければ!
お前が…苦しめばいいなどとっ!
ああ、どうすれば……
どうすれば!!
愛している。
愛している。
愛しているッ!!
……神よ……
どうか、ユーリを……
どうかユーリを返してくれ!
代わりに、この身をっ、
この身を、捧げますっ!
だから、どうかユーリを!
ユーリを返して下さいっっ!!
お願いだ!頼むっ!
自らの命がユーリに移れと願いながら一心に神に祈り、胸元にきつく抱き込む。
ユーリを侵していた雨の名残りが私の服にじわじわと移り、私の腕や胸を濡らす。
ふと…――――熱を感じた。
息を詰めユーリの顔を覗き込み、震える手を恐る恐る鼻と口元に持っていく。
弱々しくも息を…している
「生きて、いる……、生きている?!生きてっ……!」
強烈な歓喜と安堵に熱いものがこみ上げ、すぐに言葉が出てこない。
「―――っ、女官長!医師を!早く!医師を呼べっ!!」
そう叫びながら振り向くと、私を追って来ただろう女官長が侍女に支えられていた。
その目にみるみる涙が盛り上がる。
「はいっ!すぐに!」
女官長は両手で左右の目の涙を払うと、鮮やかな手際で指示を出し動いた。
「ユーリ、必ず助ける!死んではならぬ!私をおいて死んではならぬぞっ!ユーリ!逝かないでくれっ!!」
ユーリをしっかり胸に抱き込むと、別邸へと走った。