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汐野家への引っ越しは街が桃色に染まる頃。
風もどことなく春めいていたのを思い出す。
汐野家は引き戸の玄関に茶っぽい外壁の和風な建物で、チャイムも少し古めで、インターホンがないチャイムだった。
そのチャイムを押すと、可愛らしい女性が出てきた。とても母と同級生には見えない人―里穂子さんだ。
「こんにちは」
「こんにちは、いらっしゃい、一海ちゃん。荷物はあの子に運ばせるわね」
あの子というのは里穂子さんの息子のことだ。それ以外にこの家には誰もいないはずだから。
「ひろー」
里穂子さんが可愛らしい声で呼ぶ。背が低いと若く見えるものなのだろうか。
程なくして、呼ばれた息子と思しき人が玄関から顔を出す。里穂子さん似の男の子だ。
「は、初めまして。成田一海です」会釈付きで挨拶をする。
これから一緒に暮らすのだから、ちゃんと挨拶はしないとまずい。
「こんにちは、一海ちゃん。汐野真尋です」
相手も会釈をして挨拶をしてくる。遠縁で友人と言っても、里穂子さんの息子に会うのは初めてだ。お母さん似だと一目で分かる造作である、真尋さんは白皙で柔和な顔つき。細身でスポーツをやっているという感じがしない。身長は里穂子さんよりは高いが、基準が里穂子さんなので世間一般的に高いと言われる身長なのかは分からない。
「これ、どこに運べばいいですか」いつまでも、真尋さんを観察している訳にもいかないので、目を逸らして荷物に目を向ける。真尋さんはそれに気づいて玄関から出てくる。
「持つよ」
そう言って私の荷物に手をかけたが、持ち上がっていない。そんなに何か突っ込んだだろうか。
「あの、自分で持ちます」
自分の荷物なんだからそうするべきなんだと思い口に出すが、プライドを傷つけていないか気になる。
「ごめん。かっこ悪いね」
真尋さんは苦笑いをする。綺麗な顔が近くにあってドキッとする。身長が私より低く、まるで女の子のように可愛く見えた。
私は眼を逸らして、そそくさと汐野家の敷居をまたぐ。
――これからここで新しい生活が始まる。 私は気持ちを切り替えるために深呼吸をした
二階の貸してもらっている部屋を粗方片づけ階下に下りると時計がオルゴールのような優しい音色を奏でた。
食卓には夕飯の準備が並んでいる。
里穂子さんは真尋さんを呼び、夕食の時間となった。
「一海ちゃんと、ひろは同じ高校だから、あんたちゃんと案内しなさいよ」
里穂子さんはご飯を食べながら唐突に告げた。真尋さんは「もちろん」と頷きを返す。
私は慌てて「一人で行けますよ」と間に入った。
母に地図を描いてもらっているので、ここから高校への行き方は分かっている。方向音痴という認識もないので、道に迷うことはないだろう。
「そう?」
里穂子さんは私に気を使っているのだろう。
汐野家の食卓に並んでいるのは私たち三人だけだ。
里穂子さんの旦那さんは真尋さんが生まれる少し前に亡くなったそうだ。そんな里穂子さんを支えたのが私の両親らしい。だから、私が家から高校に通うことに渋っているところに里穂子さんが救いの手を差し伸べてくれたのには、そういう経緯があったからなんだろう。
そして、三人になった訳は真尋さんの上には双子のお兄さんがいるのだが、両方とも転勤で遠くにいるからだ。
「分からないことがあったら、ひろに聞いてね。ひろの部屋は二階の奥の部屋なの。真ん中が私の寝室だから」里穂子さんはそう告げる。私は静かに頷く。
「何でも聞いて。勉強も教えられると思うから」
真尋さんはにこりと笑う。私の顔は引きつる。
同じ高校ということは、真尋さんはかなり頭がいいのだろう。私はスポーツ推薦じゃなかったらとてもじゃないけど、通えなかった。でも、真尋さんは見た目通りなら、試験で通った口だろう。しかも、教えられるとか…凄い…。
「あぁ、一海ちゃん、安心して。ひろにはそんな甲斐性ないから」
黙っていたのを心配したのか里穂子さんが、あっけらかんと言う。でも、どうしてそんな言葉が出てきたのか皆目見当がつかない。
「母さん、それ、煽っているように聞こえるよ?」
「そう?」
親子の間には入れないとそんな風に感じる。
なんの話か分からないしどう反応していいのか分からず、頑張って笑顔を顔に張り付けた。