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色なき風とシリー・ビリー

作者: 愚図

 愛されることは自己を殺され

 愛すことは誰かをころす


 じわじわと毒に侵されることを

 いつか望むことはあるのですか

 あいされたい ころされたいと

 望んでもいいのですか




 爽やかに冴え渡った秋晴れの中、私の頭は空の冴えの分鈍くなっている。ぼんやりと世界は濁って、ゆらゆらと揺れる。ノートを取る手はいつの間にか止まり、机の上を転がったシャーペンが不安定な線を走らせる。

 滔々と本を読み上げる教師の声。太宰治は睡眠には少々不釣り合いだなぁと私は思いつつもどうしてか、眠気はさも当たり前の顔をして私の瞼に掴まる。そのままぐいと下に引かれれば私はそれに抗わずに瞼を閉じてしまう訳だが、何、なんら悪いことではない。重いから下がる、それだけの話である。俯せになって色とさよなら、視界が薄ぼんやりとした黒い光に呑まれていく。




 イヤホンを引かれて、私の世界は音を失う。ホームルーム終了直後、雑音の音量がぐんと跳ね上がり、人が減る度に温度が下がる。鼻先にぴたりと突き付けられたのは先程、つまりは私が惰眠を貪った、もとい素敵な秋の空に思考を投げていた、現代国語のノートである。後ろの席に座る彼は、寝てただろ、と親切にもノートを貸してくれた。少し長めの髪を後ろで括ったその男は猫背だからか、ひどくけだるげに見えて仕様がない。


「ありがと。助かる」私が軽く笑うと、彼はへらへらとした顔で言った。「一時間目のプリント」すっと差し出した手の指先を何度か折り曲げて、催促をする仕種。


「なに、遅刻? さっすがあ」

「それほどでも」私が机に置いた鞄を漁りながら言うと、彼は結んだ髪を解きながら応える。男のくせに女性モデルのような凛とした美しさがあるのが、曲がりなりにも女である以上気に食わなくもあり、綺麗な男が好きな私個人としては目の保養いつもありがとう。


「さんきゅー。待ってろ、写すから」


 そのまま私の席に座ると、彼はリュックサックから白紙のプリントとペンを出して、空欄を埋めていく。「お前午後ほとんど寝てんのに頭いいから嫌いだわー」

「夕樹とちがって天才だからしょうがないじゃん。無駄口叩かないで急いで、はりーあっぷ」


 私は彼の机に座り、彼のつむじを突きながら急かす。やめろよ、と笑いながら言うこの男がプリントを返さない限り、私が帰れないのだから。

 数分も経たぬうちにがらんとしてしまった教室の隅、中庭を挟んだ向こう側の校舎から聴こえる下手くそな吹奏楽部の練習はひどく耳障りで、それでいてどこか親しみがある。反対側からはカアン、と野球ボールがバットにぶつかって上がる甲高い音だとか、ネットにボールが受け入れられる短い音、それらに伴う裏返った声、スパイクが土を抉りながら蹴る音が何十何百と重なる。自覚すると大きくなって広がって、私は高校生なんだなあと今更な事を改めて、実感する。


「帰り何か奢るからもうちょっと待って」


 ふいに声を掛けられ、見ると二枚あったプリントはあと少しで埋まり切る、というところだった。そんなに時間が経っていただろうか、と耳を済ませば、まだ、部活の声は教室に飽和していたので、そんなこともないらしい。


「え、いいよ、ノート借りたし」

「待たせてるから、その分」


 律儀なやつだなあと私は感心しつつ、だから友達が多いんだろうなと思った。私はこれの沢山いる友達のひとりで、利害が一致するから仲が良く見えるだけ、この男には取るに足らない存在にちがいない。私にとってこれは、ただでさえ少ない友人で、たったひとり、二人きりで居ても息の詰まらない相手、だけれど。


「なぁ、あき」

「あき、じゃない」彼がいつも通り私の名前を間違える、ふりをする。いちいち正してやるのだから私はなんて親切なんだろう。知ってる、と後ろ姿でからから笑い、彼はひどく柔らかい声音を出す。秋、そう書いて、私の名前はあきとは読まない。


「とき」


 私は少しだけ驚いて、なんだかよくわからない居心地の悪さを、覚える。閑散とした教室で、心地の好い部活動の音は随分遠くなっていた。

 彼はシャーペンの芯を押し戻して、消しゴムと一緒に筆箱に仕舞う。私の方を向いた彼は、へらへらしていない、どこか崩れた笑みを浮かべていた。


「……なに」

「終わった」ありがと、とプリントを返され、何故か私は少し戸惑いながらそれを受け取り、鞄に仕舞った。「帰ろ、とき」

「ああ、うん」


 彼の顔がいつも通りの薄ら笑いをのせていたので、ほっとする。さっきまでのこれは少し、ほんの少し、私の知らない男だった。綺麗な顔はすごい好きだけど、甘い声で名前を呼ばれると少し心臓が急いてしまうけど、好きなのは顔だけ。きれいな中身の綺麗な男は怖いだけ。私は綺麗な殻にきたないぐちゃぐちゃの本音を潜めた、こいつしか、知らないから。




 階段を下りていく。二段程度前を歩く彼の頭と私の頭はそうかわらない高さにあって、少しだけ、私はしみじみとした気持ちになる。ぼうっとした意識だったからだろう、私の足は少しだけ、力が抜けた。

「危ない」は、と目の前を見る。声が後ろから聞こえて、息が近い。抱き留められたのだと気づくには少し時間が掛かって、その間に彼は階段の踊り場まで下りていた。


「ごめん」


 ありがとう、じゃないのかと自分で思ったけれど、彼が顔を歪めていたので、私は首を締められているような、痛みを伴う息苦しさを覚える。私が一歩進むと、すっかり煌々としたあかに染まった空が、彼の顔を暗くしてしまって、見えなくなる。


「……いーよ、気をつけて」


 一歩、一歩と階段を下りていく度に距離が縮まって、でもどうしようもない孤独感だとか喪失感が胸を占めていく。

 踊り場に立つと、上にある顔は貼付けたような不自然な笑みを浮かべていて、しばらく動けなかった。その下にはきっとどろっとした、汚物のような汚い感情がぐるぐると巡りつづけているのだろう。


「帰んねーの?」どこかで聞いたような、いや言葉自体は何度も聞いたはずだが、遠くに覚えのあるような声音であるとか、表情だった。私には抱けない、知らない感情が含まれているような、そんな気がした。


「……や、帰るよ、かえる」


 どうしようもない既視感を感じて、目眩がする。




 フェンスを越えたのが去年の夏。ぎらぎら、くらくらと太陽が揺らすグラウンドの風景がまるでプールのようで冷たそうだったので、涼しそうだなと思ったため、である。空はまるで海みたいな底知れない青であったから、それもあったのだろう。プールでも海でもいいから冷たいところに行きたい。それだけの実に単純な腐った思考回路だ。

 視線を落とすと誰かと目が会う。少しだけ背中の曲がった、けだるそうな男。黒い髪に白い肌が映えて、より不健康そうに見えた。覚えのある人間だった、確か席は遠いけど、同じクラスの男子生徒。驚いたように目を見開いて、少ししてから、すっとそれを細める。


「ちょっと待ってて!!」


 きいん、と耳に響いた音はそう大した音量でもないのに、私の鼓膜を破くくらいに叩いた。手を振って笑う彼があまりにも、無邪気で愛おしく思えたので、アイキャンフライは少し、見送ることにした。よく知りもしないクラスメイトの為に、私は立ち止まってしまったのだ、何て程度の低い覚悟なのだろう。渇いた笑みが喉から這い出して来るけれど、悪い気はしないから不思議である。

 本当にすこしの間で、彼は屋上の扉を押し開けた。眠たげな顔に似合わないくらい荒い息が可笑しくて、私は思わず笑ってしまう。


「俺、夕樹。あき、だっけ」

「違う、トキ」


 そう、確か変な名前だった、と無気力そうな目がさらにだらし無く細まる。横に引かれた唇から見えた八重歯が記憶に残っていた。それから少し、黙り込んで、私はフェンスの向こう側で彼が私をじっと見ていることに気がつく。私も特に意味はなかったが、目を合わせる。彼の瞳は夜闇のように暗く深く、底がなかった。


「帰んねーの?」


 彼はふと私に問い掛ける。帰るのならばこんな馬鹿げた現実逃避はしない、そう嗤おうとして、ふと、目があう。わかっているのだろう、この男は。私の知らない私の心理までもを見透かして、えぐり取るようにして触れてくるのだ。痛みよりもどれかと言われれば背中が粟立つような感覚だった。


「帰るよ、かえる」逃れるように発した、私の声は震えていたかもしれない。ただそうでもしなければ、そうか、ばいばい、と彼は私を殺してしまうんじゃないか、と思ったのである。脇腹を大きな毛虫が這う、そんな心地の悪さと、悍ましい恐怖。


「じゃあ、途中まで送るよ」


 いいからさっさと帰ってくれないか、と振り払いたい気持ちが私の視界を暗くする。彼そっくりの死神が、私の首筋に頬擦りをしながら、その大きな鎌の切っ先を気持ちが良さそうにして、眺めている。




 それからほんのすこしして、私は死神を見失い、夕樹と友達、だなんていう酷く馬鹿げた関係に成り果てていた。




 吐き出せば楽になるなんてうそだなあと私はぼんやり考えて、それからレバーを下に引いた。吐いたって楽になれやしない。口のなかにしつこく残る胃酸の臭い、どこが楽なものかと私は口に含んだ水を洗面台に吐き出す。だいじょーぶかあ、と遠くからくぐもった声で、夕樹が心配してくるのが聞こえた。ひどい顔だなあ、鏡に映る私を見て小さく笑う。公園のトイレはお世辞にも綺麗とは言いがたく、居心地が悪い。だめだまた、となる前に、夕樹のそばへ戻る。


「ごめん」

「いーよ、大丈夫か?」うん、と頷いた。外の風はひどく、冷たい。見れば随分と日が落ちていて、時計はまだ四と五の間にいるのに、一番星が瞬いていた。


「もうちょっとで冬かあ」帰る、と言ったはずなのに、私はベンチに腰を下ろしていた。夕樹も続けて、座る。


「寒いな」まだ息は白くないけれど、風が吹けば身震いするし、日によっては手だってかじかむ。

 薄い暗幕に針で穴を開けたような、はっきりした星空が私は好きだ。秋と冬の境、控えめな星々の隅でオリオン座はもう顔を出している。


「すきだよ」




****




 水滴のようだ、今にも落ちそうなのに、へばり付いて揺れる揺れる、でも、却々落ちてくれたりはしない。まあ結局あれは水滴なんですけどね、と腹の奥で笑いながら、ごめんねとさらさら謝る気もないのに言ってみた。別に、決めていたわけじゃないんだ、言いたかったわけでもない。ただなんて事ない日常、ありふれた出来事が繋がって解れて絡まって、たった四回、声帯を震わせたのだ。


「なんなんですか、いきなり」

「なんで敬語、なの。……忘れていいよ」


 なんてね、忘れられるわけがないのだ、俺も秋も。

 彼女の目がどうしようもなく愛おしい。きょとんとしたのも三日月がたに細められたのも、俺を見るあの怯えた瞳でさえ。




 あの夏、あの屋上で、右手の手首に消えない傷を作った。彼女は知らないんだろうなあ。深い意味なんて無かった、ただ単なる興味本位であって、生き急いだ死に急いたとかそういう事ではなかった。ただ自分が人間で、生きていて、生きるために体細胞が働いているのだということを少し、そうほんの少し確かめたかっただけ。痺れるような痛みと、ぷつん、と染み出した液体に胸を撫で下ろす。少し下を押してみると、微かに裂けた皮膚から肉が見えて、じわりと薄く染みた血液が、だんだんと水溜まりに変わっていく。

 ぎしりと開くドア。ざりと鉄錆が擦れ落ちる音。なにしてるんですかどいてくださいと呟いて、俺の顔さえ見ずに金網に手を掛けた。

 逃げるように飛び出して、駆け降りる。


 受け止めてやろう、なんてばかみたいなことを考えたんだよ。


 風に煽られて揺れる髪がまるで、黒い天使のようで、きれいだった。天使が羽を拡げる、その前にさ、俺が腕を引いてあげたらどうなるのかな。汗だくになりながら掴んだ彼女の目には、彼女のすべてをころして作りかえようとする俺がいた。




「いま言うなんて、おかしいよ」


 おかしくなんてないよ、おかしくない。下手な演出よりも何よりも愛おしいただの日常が、汚く渦巻く感情が、俺の大切な秋、そのものだった。

 彼女はいつだって、俺が彼女を愛しく思うとき、怯えたように肩を竦めて声を震わす。それはどうしてか、そんなの決まってる。俺が、俺が秋を殺すから。秋を殺して俺のものにしてしまいたいと、それをかくそうとしないから、だから自分を愛した彼女はどうしたって俺を恐れたのだ。

 ああしくじった、もう少し隠していれば。




****




 風が、ひどく強いな。私は、目を伏せた彼の髪が大きく空気を孕んで揺れるのを見ながら、ぼんやりと思う。左手の手の平で、右の手首をぎゅうと押さえる、夕樹の癖。何かを後悔しているときの、癖。後悔しているだろう、私に言ってしまった事を。当然私だって、これ以上ないまでに驚いた訳だが。知らなかったから、というのもあるがそれよりも、彼にここまで人間臭い感情と表情があったことに、驚いた。

 殺風景な公園の片隅、赤黄、よりは茶の濃さの目立つ木々が揺れる様はどことなく、寂しさを覚えさせる。

 心臓の音がばくんばくんと開閉するばけものの口にも似た音を立てているのを、私は静かに聞いていた。それが自分の音なのを私は知っている。


「ずっと、すきだった。好きだから、一緒にいたんだ」


 裏切りだよなごめん、そう弱音を吐く、その姿に息が詰まる。きっと彼は今すぐにでも此処から逃げ出したいに違いない、伏せた目でさえ、私の方を一瞬も向かないのだ。


「嫌なら、嫌ってくれていい、から」


 良くないだろうに、彼は笑う。上げられた顔は赤くて、暗くて、薄く笑っていた。綺麗なかおが崩れて、だらしないけれどああでも、いとおしい。

 遠くに聞こえる住宅街の喧騒は、やかましい私の心臓の音のようで、煩わしいのに心地いい。私の顔が笑みを称えているのを、彼は訝しむ様に、眺めていた。違うの、おかしくて笑ってる訳じゃないの、ただただ胸の奥の奥から込み上げるやさしいくすぐったさに笑ってしまっただけ。


「きらわないよ」


 貴方が私を殺したって、貴方は私を生まれ変わらせるために殺すのだから。

 いつからか知っていたような気がする、夕樹の気持ちを。私が退けたがったあの顔は、ただ愛しいものを手にいれんとした欲を剥き出しにしただけだった。触れる手の震えにも、熱にも、気付きたくなかっただけだ。愛されることに怯えていたのは私、沢山の感情を殺していたのも私。だから、愛そうとするあなたがどうしようもなく、怖かったのだ。


「ありがとう」


 ぽた、と地面に吸い込まれたそれはいとしくて、かなしくて。


「だいすきだよ、夕樹」




 堪らなくなって声を上げて泣き出した。痛いまでの愛に泣いた。すきだよすきだから、あなたといる時私は笑うの。おかしいね嬉しいのに、泣いて。高校生にもなって、ねえ。ばかみたいだね、でもねでも、幸せ。私よりだいぶ大きな身体がひどく小さく見えて、腕を回してみたらすこし驚いてくすぐったそうに笑う、やはり私より体はすごく、大きい。


 私の髪を揺らすこの風が彼の頬を乾かすまでは、どうかこのままで。


 ご無沙汰しまくっております


 更新率が亀とかそんなレベルでなく申し訳ないです…

 書いたのが去年の秋頃で大体半年、温めるどころか発酵し腐りそうですが興味があれば本文も読んで頂きたいです。



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― 新着の感想 ―
[一言] 感想の返答の返答になります。 やっつけ感ですか?というより短編の終わらせ方としては理想的じゃないですかね? 僕としては、夕樹の歪んだ愛をそれでも受け止めたヒロインが、この後どのような経過…
[良い点] 2人の視点から物語が進んでいる点。 [気になる点] 以前よりは改善されていますが、行間をもう少しあければどうかと思います。 [一言] 本当にお久しぶりですね。前回の作品と同じく、一風変わっ…
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