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事故

作者: くつべら

小説と言えるか分りませんが、SFも交えて書いてみました。つまらないかもしれませんが、読んでいただけたら幸甚です。

                                   

 昨日の一件の事で、僕はとても精神的に疲れていた。

自室の絨毯の上に仰向けで寝ころび、天井の隅の方にある薄黒い小さな虫のようなものをじっと眺めながら、僕は昨日自分の身に起こった奇妙な出来事について、色々と考えを巡らした。

「あれは、一体何だったのだろうか?」

「あの時に、僕の目の前を横切って行った女性は一体誰だったのだろうか?」

 色々な疑問が頭の中に浮かんだが、思い出すだけで、何だか異様に頭が痛くなった。考えても分からないものは、考えるだけ無駄だと言う従来の言葉に鑑みて、僕は暫くの間は、

昨日の出来事について深く考える事をやめる事にした。

「ブー、ブー、ブー」と携帯メールの着信音が聴こえたので、先程から異様に痛む右目を、右手の親指の付け根の辺りで二三回左右に擦ると、さっと身を左側へ向けて、近くに置いてあった黒色の携帯電話を手に取った。

着信メールが二件来ていたので、さっそく確認した。

一件は、どうでも良いような人材派遣会社からの求人紹介メールで、もう一件は、知り合いの(とは言ってもかれこれ出会って三余年ばかりの仲なのだが)佐々木さんからのメールだった。佐々木さんからのメールには、

「最近、体調はどうですか?もしよろしければ、君に渡したい本があるので、京都まで出て来て貰えますか?出町のいつもの喫茶店に、2時と予定します。よろしいですか?」と書かれていた。

僕はその日、正直な所、あまり体調は優れなかったのだけれど、久しぶりに佐々木さんが誘ってくれたので、

「良いですよ。」

と返事だけして思い切って京都まで出かける事にした。


大阪の光善寺から京阪電車に乗って、京都の出町柳へ着くと、さっそく所定の喫茶店に入り、ウェイトレスのお姉さんにコーヒーとサンドイッチを注文してから、マイルドセブンの8ミリを吸った。

 煙草を吸いながら、僕の座った席のちょうど左側に貼って居た壁紙に視線を移した。その壁紙は、何処かの印象派の画家が描いたような絵で、傘を持った女の人が何処かの草むらで風にふかれながら立っている絵だった。僕はこの絵を高校時代に美術の教科書で見たような記憶があったのだけれど、それが何の絵で誰の作品かは、思い出す事が出来なかった。

 そうして、暫くの間その絵をじっと眺めていると、ウェイトレスがサンドイッチとコーヒーを持って来た。

「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

「ああ、はい、どうも。」と僕が言うと、

「ごゆっくりどうぞ(笑)。」

と言って、盆を胸に抱きながら「きゃっ、きゃっ」と言って、カウンターへ戻って行った。

カウンターの奥では、そのウェイトレスともう一人の若い女子学生風のウェイトレスが、僕の方をちらちら見て、何やら好意的な頬笑みをこちらへ向けていた。

僕は正直、女性に好意の目を向けられると凄く照れてしまう人間なのだけれど、ウェイトレスの女性の好意に答える為に、僕は右側の頬をウェイトレスの方へ向けて、視線をやや左斜め上へと向けながら、全体的にカッコよく見えるよう、自分の微々たる行動を意識的にウェイトレスから見てカッコよく見えるように、気を張って頑張った。

 そうやって、過度に意識的に頑張っていると、奥の扉が開いて、そこから佐々木さんの顔が見えた。佐々木さんは、すぐに僕の存在に気付き、ちょっと両目を見開いて僕に合図しながら、コートを店のハンガーに掛け、僕の居るテーブルの座席へと着席した。

「久しぶりやね。元気やった?」

佐々木さんは言った。その間、ウェイトレスは、僕とこの四十過ぎたおじさんの関係を怪しむような目でこちらを見ていた。

「元気ですよ。本当にお久しぶりですね。」

「ほんまやね。元気そうでなによりやわ。」

佐々木さんがこう言った処で、僕はウェイトレスの方をちらっと覗き見た。しかし、そこにはウェイトレスの好意的な目は、著しく怪訝な少し右頬を引きつったような笑いに変わってしまっていて、僕に対するウェイトレスの評価は地に落ちてしまったようだった。

「それにしても、山本君、昨日は大変やったみたいやね。」

佐々木さんは、昨日の一件について触れた。

「そうですね、まだあの時の光景が頭から離れないで、思い出すだけでゾッとします。」

「でも、あまり気にしない方がいいよ。あれは、事故と捉えた方が君のこれからの人生にとっても良いと思うよ。」

「そうですね・・・」

暫くの沈黙が続いた後、佐々木さんは、持ってきた紺色のビジネスバッグから一冊の本を取り出した。

「これ、この間本屋で見つけたんやけど、良かったら読んでみ。きっと、得るものはあると思うよ。」

「ありがとうございます。また、読んでみますね。」

僕は、丁度手のひらに収まるサイズの文庫本をジーパンの後ろのポケットに入れた。すると、佐々木さんが、

「山本君、そんなことしたら、くしゃくしゃになるやないか。鞄かなんか、ないんか?」と言った。

「ああ、すみません。うっかりしていました。」僕は言った。

僕は、他人から貰った物をすぐにジーパンの後ろのポケットに入れる癖があるのだ。しかし、僕は今日鞄を持たずに手ぶら(財布はもちろん持ってきたが)で遣って来たので、その文庫をテーブルの上へと置いてから、「この文庫に汚れを付けずにどうやって持って帰ろうか」と言う新たな問題の解決へ向けて頭を悩ました。

「何か、考え事かい?眉間に皺が寄ってるで。」

「ああ、すみません。」

佐々木さんは、僕の様子に何かしらの違和感があったのか、辺りを見回してから、女性店員に、

「お会計」と言ってから、僕に

「ちょっと今日は君と一緒に行きたい所があるから、ここはもう出るよ。結構、遠い所だから。」

 僕は、正直ちょっとびっくりして、

「ああ、はい、分かりました。」と、言ってしまった。

正直、僕は内心もう少しこの店内に居たいと思っていたのだけれど、佐々木さんの言う事には、どこか人を説得するような調子が含まれている事も手伝ってか、毎回僕は佐々木さんの言う事に異議を唱える事が出来なかった。

「千二百円です。」女性店員は言った。

「ああ、良いですよ。僕が自分で払いますよ。」

 佐々木さんが自分の財布から、僕のサンドイッチとコーヒー代を払おうとしているのを見てすかさず僕は言った。

「ああ、いいから、いいから。」と言って、佐々木さんは、僕の勘定代を支払ってくれた。

「ありがとうございます。また、お越しくださいませぇ~。」

 女性店員のからかったような「せぇ~」の言葉に、少しイラッとして後ろを振り向こうとしたが、少し大人になって、その声に背中を押される屈辱感を感じながら、僕は喫茶店の扉を力強く押し、外へ出た。

 外へ出ると、やっぱり少しイライラしたので、ちょっと店から離れた(店員から見えないような)所から、中の様子をちらっと見た。しかし、女性店員はもう、僕の事など忘れて、新しいサンドイッチを別の客へと運んでいた。


 佐々木さんと僕が知り合ったのは、ちょうど今から三余年前の事で、その時僕は大学を中退して、簿記の資格を取るために、京都にあるどちらかと言えばあまり名前の知られていない部類に入る資格の学校に通っていた。その学校の校長先生をしていたのが、佐々木さんで、僕は分からない問題があると、いつも佐々木さんに相談に行っていた。

 その頃から、僕と佐々木さんは、度々話すようになって、お互いの趣味が文学や哲学の本を読む事だという共通認識から、良く京都の喫茶店に行って自分が読んだ本について、あれこれ議論するようになった。

 佐々木さんは、小さい頃から、良く本を読む部類の人間だったようで、話す言葉のボキャブラリーの多才さも、並のレベルのものではなかった。だから、僕は、内輪で、佐々木さんの事を「師匠!」と呼ぶ事にしていた。しかし、佐々木さんは、僕が佐々木さんの事を師匠と呼ぶ事に、かなり恥じらいがあるみたいで、出来る事なら、普通に佐々木さんと呼んで欲しいと言われていたので、僕は傍目には親子と勘違いされてもおかしくない間柄のこのおじさんを、あえて、「佐々木さん」と呼ぶ事を僕の常習とする事に決めたのだった。


 佐々木さんと僕が、道を歩きながら、他愛もない話をしていると、前方に、かなり屈強で体格の良い男が、かなりアッパークラスの美人女性と歩いて来るのが見えた。

 僕は、強そうな男とすれ違う時に、何時も三通りの方法を試している。

一つは、男の目を見て、「なんやねん」的な強気な態度に出る。ただし、この方法は、相手の反感を買いやすいので、内心ビビリの僕はこの方法を試す時は、いつも心臓がバクバクしている。

 二つ目は、相手の目は見ずに、相手の顔を全体的にぼやける感じで見て、「見ているにも関わらず、見ていない」的な感じで、相手に自分を気付かれずに、尚且つ気付かれると言う、自称「ピンボケ作戦」を実行している。

 三つ目は、完全に相手を意識せずに、相手の存在を認識していながら尚且つ、相手に気付いていない的な「おとぼけ作戦」を実行している。この方法は、相手が近づいて来たら、近くの何の変哲もない電信柱なんかを見て、あたかも相手の存在に気付いていないかのように、その場を通り過ぎるという方法だ。しかし、この方法を試すと、上手くいくと無視してくれるが、失敗してぎこちなくなると「こいつ、ビビっていやがる。」と、鼻で笑われてしまう破目になる欠点がある。

 さて、僕はこの三つの方法の内、どれを試そうかと思っていると、ふと、無意識的に僕の目が、その強そうな男の目と合致した。

 男は、睨みを利かせて、僕をビビらそうと脅しに掛かったが、僕は、無意識的に、眉間に皺を寄せ、第一の方法を無意識的に決行する事になった。

 男は、僕の一瞥にひるむ様子もなく、(どちらかと言うと僕の方がひるんでいる感じだった)僕の近くまで来ると、僕とのすれ違い様に、物凄い「いやらしい」と言う言葉がこれ程的を射ている言葉は他にない程、僕の目を、そのいやらしくて恐ろしく見開かれた白目むき出しの眼剣で威嚇した。

 僕は、あまりのいやらしさに、すぐに目を伏せてしまった。屈強な男は、僕とすれ違って、二三歩僕の後ろに行った処の辺りで、「はっはっはっ!」と人を小馬鹿にしたような笑いを意識的にした。一緒にいた女の人も、振り向いて僕を嘲笑っているのではないか?と言う気がした。

僕は、かなり恥ずかしかったので、一度も後ろを振り向かずに、暫くの間、下を向いて歩いた。

そうこうして、佐々木さんと、一緒に道を歩いて行くと、ある広い施設のような建物が目に入った。その建物は、かなり古びていて、辺り一面に緑色の苔のような植物が張り付いていて、かなり見た感じ、陰気な建物だった。僕は、佐々木さんに

「ここが、そこですか?」と聞いた。佐々木さんは、

「そうだよ。」と少し何やら意味深な笑みを浮かべて、メガネの真ん中を右手の人差指で強く押した。

「結構、近かったですね。」

「そうかな、もうかれこれ、二時間は経っているよ。」

 僕は、佐々木さんの言葉にハッとして、すぐに自分の持ってきた腕時計で時間を確認した。時計の針は丁度午後の五時を指していた。店を出たのが三時過ぎだったので、やっぱり、かれこれ二時間はかかっていたと言う事になる。僕はびっくりして、

「あまりにも、色々と考え過ぎてしまっていて、こんなに経っているとは、思いませんでした。」と言った。佐々木さんは、

「君は、僕としゃべりながら歩いている時も、何処か、ぼーっとして、何か考え込んでいるようだったよ。体の方は、大丈夫かい?やっぱり、昨日の事が、影響しているのかな?」

 佐々木さんは、心配そうな目をして言った。僕は、

「いえ、大丈夫です。」と言った。でも、僕は内心かなり疲れていて、肩が重かったけれど、我慢して平生を装った。

「さっそく、中に入ろうか?」

「はい、良いですけど、ここは何の施設なのですか?」

「入って見れば分かるよ。」

 佐々木さんは、またもや意味深な含み笑いを浮かべて僕の方を見た。

「分かりました・・・」

 そして、僕たちは、その不気味な建物へと足を踏み入れた。


 中は、至ってシンプルな構造で出来た建物だった。全体的にどことなく暗い部屋だったが、一階には、左側に受付があって、白い艶のある肌を持った、四十代前半辺りの女性が、俯いて座っていた。玄関から、すぐの処には、大きな階段があって、それは三十段位で二階へと続くものだった。右手には大きな絵が描かれていて、なにやら、裸の男の人が両手で自分の体を抱きしめるかのような格好で、何処か遠くの虚空を見上げていた。

 僕は、何だか、少し気味が悪くなって、佐々木さんに尋ねた。

「この建物は、何の建物なのでしょうか?」

「ここは、植物園だよ。一見、中は暗くてお化け屋敷みたいだけれど、この階段を上がった二階の左手に、植物園へと続く細長い通路があるから、そこを抜ければ、いつもの日常の世界とはまた違った、美しい自然の世界が待っているよ。そこまで、行けば、君のその、しんどそうな顔も晴れると思うよ。」

「ああ、そうですか・・・」

 僕はこんな薄汚い建物が、まさか植物園なんかだとは思っても見なかった。だから、僕は、内心かなり安心して、実は、戦後の焼け跡に残ってそのままにされていた秘密の施設だとか、かなり危険な人体実験でもしているような危ない施設だと、本気で思いかかっていたので、本当に植物園なのかと、佐々木さんに三十回も聞いてしまった。

「もう、いいかな。ここは、まぎれもなく植物園なのだから、そんなに不安にならないで。じゃあ、さっそく、チケットを買いに行こう。大人千円、子ども五百円だ。と言っても、僕たちは大人だから千円にしかならないけどね。はっはっはっ。」佐々木さんは、肩を上下に振って笑った。僕は、どこにもギャグ的要素のない、面白い処など何処にも見当たらない、佐々木さんの発言に、少しイラッとした。

「では、さっそく買いに行きましょう。あっ、でもお金は私が出しますよ。」

「ああ、どうも。」

 僕は佐々木さんの笑いに悪意がなかったのに気付き、佐々木さんを許す事にした。

「でも、僕も、千円くらい大丈夫ですよ。自分で払います。」

「そうかい。なら、そうしよう。」

 そう言って、二人は、左手にある受付の四十代のおばさんにお金を払い、チケットを受け取った。チケットには、

〈植物園の館内に入園なされたお客様は、二時間以内に退園して頂くのが、当園の決まりとなっております。もし、二時間以内に退園なされない場合は、直ちに、お客様の記憶を改造させて頂く事になりますので、悪しからず、ご了承くださいませ。云々。〉と書かれていた。

「佐々木さん、何かこのチケットに、記憶を改造がどうのこうのと、書かれていますけど、大丈夫なのですか?何か、やばい気がするのですけど。」

「大丈夫さ、二時間以内に出れば問題ない。」

「さあ、行くよ。」

「はい、分かりました。」

 僕は、かなり不安になって、下唇をガタガタと震わしていたが、佐々木さんを信頼して、付いて行く事に決めた。


 植物園の入り口には、ストップウォッチが置いてあり、ガラスの扉の右上の辺りに、小さな紙が張ってあって、そこには、

〈当園のストップウォッチにて、時間を御計りください。決して、不正は行けません。尚、もしも、不正が発覚された場合には、当園は、チケットにも記載してある通り、記憶の改造を強制的に執行する事と致します。悪しからず、ご了承くださいませ。云々。〉

 僕は、植物園の入り口のこの壁紙を見ると、すぐに逃げ出そうと体が動いた。しかし、佐々木さんが、すぐに僕の腕を掴んで、僕を引き止めた。そして、僕に物凄い形相でこう言った。

「だめだ!逃げては行けない。君はもうチケットを手にしている。当園のルールでは、チケットを買った段階で、植物園を観覧する事が百パーセント義務付けられているんだ。だから、当園のルールを壊すような事はしてはいけない。さもないと、今度は、君が、あの女の子みたいになってしまうじゃないか!」

 僕はその瞬間、ハッとして、昨日の出来事を思い浮かべた。紫色のセーターを来た女の子が僕の目の前を通り過ぎていく。僕は、必死でその女の子を捕まえようと右手を伸ばす、けれども、女の子は、僕の目の前を通り過ぎて、何処か遠くへと消えて行ってしまう。僕が必死に女の子に手を伸ばしても、女の子は僕に気付く事すら出来ない。

「そうですね。分かりました。あの女の子みたいには、なりたくないので・・・。」

「よし、それでいい。君はそうあるのが一番なんだ。そして、それが一番正しい行いなんだ!」

「分かりました・・・。」

 暫くの間、僕はションボリしてしまっていたが、すぐに気を取り直して、ガラス製の扉を開け、佐々木さんと一緒にストップウォッチのボタンを「せえの!」で押すと同時に植物園の中に入った。ストップウォッチは1234・・・と、二時間の制限時間へ向けて、一秒一秒刻々と、時間を刻んで行った。


 植物園の中は、凄く奇麗で、まるで別世界に来たかのようだった。制限時間の事など忘れさせてくれる程、清く澄んだ風や、ガラス張りの天井から降り注がれる清らかな光、辺り一面に緑色の葉を茂らせた木々が立ち並び、見たことも聞いたことも無いような新しい種類の木々までもが、他の木々と調和して、心地よい室内空間を形成していた。

 僕と佐々木さんは、時間のことなど気にせずに、割とゆっくりと歩みを進めた。植物園に入る前までは、あんなにも時間を気にして、あたふたしていた僕が、植物園に入ると同時に、制限時間の事などまるでどうでも良いかのように、凄く落ち着いて、じっくりと植物観賞しようと、心に決めてしまった。

「佐々木さん、なんだか心地良いですね。」

「ああ、そうだね。でも、山本君、あんまり騙されちゃいけないよ。ここの部屋には、脳を刺激して心地良くさせる脳内麻薬に近いような物質が、流れているって話だからね。」

「そうなんですか。それでこんなにも心地良いのですね。気をつけないと。」

「でも、それはあくまでも噂で、ここの植物達の景観があまりにも上手く調和しすぎているから、それを受けて僕たちの脳が、幸福を感じる脳内物質を出しているのかもしれないね。ちょうど、美しい絵画を見たり、美しい音楽を聴いたりする時のように。」

「ええ、そうですね。」

 僕たちは、心地良い思いを抱きながら、近くに設置してある木製のベンチに腰掛けた。

「佐々木さんは、ここに何回か来た事があるんですか?」僕は聞いた。

「ああ、実は学生の頃から何回も頻繁に来ていて、今日でもう七十回目くらいじゃないかな?」佐々木さんは首を左側へと傾けながら言った。

「めっちゃ、来てるじゃないですか!」僕は、つい突っ込んでしまった。

「まあ、でもそこまで多い方じゃないよ。ここの常連さんなんかは、今までに千回や二千回ここに足を運んでいる人もいるからね。」

「そんなに、凄い人もいるんですね。凄いかはわからないけど・・・。」

「そんなことより、山本君、時間は大丈夫かい?いま、何時間何分か分かるかい?」

「ええと、いまは、え~~、えっ!さっ、三十分です!もう三十分も経っています!どうしよう!急がないと!」

「大丈夫、僕はここにはさっきも言ったけれど、七十回も来ていて、コースも道順も全て知悉しているから、ここで三十分なら、まだ十分間に合うよ。」

「そうですか、なら良かったですけど・・・。」

 僕は、少し不安になった。いくら佐々木さんが知悉しているからとは言え、まだ入って来てから、そんなに歩いていないのだ。さっきまでは、なんだか心地よくて時間なんて全然意識していなかったけれど、こうやって、ストップウォッチをまともにみて、何時何分を正確に確かめてみると、何だか鮮明に時間感覚が蘇って来て、意識すれば意識するほど、どんどん時間感覚が鮮明になって来て、時間の渦に飲み込まれてしまいそうな不安が一気に襲って来たみたいだった。

「早く、行きましょう!」

「ああ、分かったよ。」

 僕と佐々木さんは、先程よりも一段と速く歩みを進めた。


 緑色で満ちた観葉植物の部屋を抜けて、しばらく速足で歩いていると、目の前に、アフリカの砂漠地帯のような閑散として寂れた空間が開けた。辺り一面、サボテンが咲き乱れ、ちょっとでも気を抜くと、「すぐ貫通!」みたいに棘々しさの溢れた空間だった。

「佐々木さん、気をつけないと刺さっちゃいますよ。」

「大丈夫だよ、でも、僕は今までこの部屋でこのサボテンの棘に刺されて死んだ人を何人か見たことがあるからね。やっぱり、気をつけるに越したことはないね。」

「死人が出たんですか!」

「ああ、何人か出ているよ。みんな時間を気にして、焦りすぎたんだよ。まだまだ先があると思って、みんな大体ここに来るまでに、最低でも一時間はかかるからね。焦って棘にあまり注意が行かなかったんじゃないかな?ここの、サボテンの棘には、意図的に、猛毒が塗ってあるって話だからね。でも、あくまで噂だよ。死人が出たのは、本当だけどね。」

「死んだ方は、どうなったんですか?この園の責任問題になったんでしょうか?」

「さあ、分からないね。たぶん、不慮の事故として扱われたんじゃなかったかな。良く覚えていないけど、もうかれこれ三十年前の話だからね。」

「そうだったんですか。気をつけないと・・・。」

 僕たちは、これでもないくらいに過度に意識的に、サボテンの棘々をかわしながら、速足で、砂漠地帯を抜けた。

「山本君、いま時間は!」

「もう、あと制限時間まで十分ちょっとしかありません。早くしないと!あと、どれくらいで着くんですか!佐々木さん!」

「あと、ここの坂道を下って、その先にある、赤色の扉が出口だから、あと三キロあるかないかだ!急げ!全速力で走らないと間に合わないぞ!」

「はい!」

 僕たちは、死に物狂いで走った。全速力で走るのは、高校の体育の授業以来だったので、かなりヒーヒーだったけれど、記憶の改造なんて言う末恐ろしい破目にはなりたくなかったので、持てる力の限りを尽くして懸命に走った。

 佐々木さんは、もう四十を幾らか超える歳にも関わらず、物凄く足が速かった。僕も中学校時代は陸上部で短距離をやっていた程だったから、脚の速さには自信があったのだけれど、佐々木さんの脚の速さは、僕の比ではなかった。もしかしたら、地区大会の選手よりも早いんじゃないか?と思うくらいだった。

「佐々木さん、早いですね。」

「山本君!しゃべってないで走るんだ。記憶を改造されたら、あの女の子には、もう二度と会えなくなるんだぞ!!」

「えっ・・・!」

 僕は、一瞬ためらった。けれど、すぐに気を取り直して走り出した。

〈僕の目の前を、紫色の服を着た女性が、通って行く。顔はあまり良く分からないけれど、凄く全体的に美しい人だと思った。女の子は、僕の前を通過する時にどこか、勝ち誇ったような含み笑いをして見せたが、僕は、ただ、黙って彼女が通り過ぎるのを待つしかなかった。僕が両手を広げても、彼女が僕に心を開く事は決してないのだから〉

「急ぎましょう!佐々木さん!」

 僕は、最後の力を振り絞った。昨日、僕が受けた屈辱を力の糧にして、思いっきり走った。

「くそったれ~!!」

 僕は、昨日の事を思い出すと物凄い力が湧いた。昨日受けた屈辱を振り切るかのように、僕は目の前を全速力で走っている佐々木さんを追い越した。

「山本君、早いね。あと少しだよ。あっ!あの先にある赤い扉がゴールだよ!山本君、いま、時間は?!!」

「あと、三十秒です!」

「急ぐんだ!!」

「はいっ!!!」

「汗汗汗・・・」

「汗汗汗・・・」


気がつくと、僕は、古ぼけた小さなロビーの床の上に、大の字で転げていた。佐々木さんは、僕の隣で、床に転がったステンレス製のメガネを前かがみになりながら、懸命に探していた。佐々木さんのいる位置のちょうど左手には、赤色をした鉄製の扉が半開きになっていたので、僕は、ここのロビーがゴール地点で、僕たちは無事にゴール出来たのだと悟った。ただし、気になるのは時間だった。今は七時四十分で、僕たちが植物園の館内に入ってストップウォッチを押したのが、ちょうど五時三十分だったので、ぎりぎり間に合ったのか、それとも、駄目だったのか判別がつかなかった。

佐々木さんは、相変わらず、さっきからずっと半目をつむり前かがみになって、自分のメガネを探していたので、僕は佐々木さんのメガネを拾って、佐々木さんに渡した。

「ありがとう、山本君。助かったよ。」

 佐々木さんは、メガネを着けると、両目が「キラーン」として、かなり一瞬何処かの俳優と見間違えたが、すぐにまぶたが閉じて普通のおじさんに戻った。

「ところで、佐々木さん僕たちは間に合ったんですか?」

「ああ、まだ分からないよ。暫くすると、あの奥にある、あそこの(指さしながら)銀色のスピーカーから、アナウンスが聴こえてくるから、もう少し待って。」

「はい、分かりました。もうじきですね?ドキドキしますね。」

「うん、たぶんギリギリだったからね。」

「もし、万が一、間に合って居なかったら、どうなるんですか?」

「チケットにも書いてあった通り、記憶が改造される。これまでにも、記憶が改造されて、まるで別人のようになって、退園していった人も沢山いるよ。中には、記憶の改造目的に、わざと間に合わせなかった人もいるみたいだけどね。どの道、どうやって、改造されて、どんな風に変わってしまうのかは、当人にしか分からないからね。当人に聞かなくちゃ分からないんだけれども、その当人が前の記憶を持っていないから、自分が別人になった事に気がつかないんだよ。だから、当人に聞いても「何の事ですか?」と言われるだけで、何一つ、記憶の改造の事については、分からないまま、ベールに包まれているんだよ。」

「そうだったんですか。何かこわいですね。」

「ああ、何だか久しぶりに緊張してきたよ。」

「僕もです。」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 暫く、僕たちが、緊張して、だんまりしていると、僕たちの立っている位置から、ちょうど右側の奥の壁際に設置されている銀色のスピーカーから、アナウンス音が聴こえて来た。

「ピン、ポン、パン、ピーン」

 僕は、何か最後の効果音が、可笑しいな?とは思いながらも、あえて、聞き流すことに決めた。最初のアナウンス音が聴こえると、今度は若い女性の声で、アナウンス放送が流れ始めた。

「え~と、先程、七時二十九分五十九秒頃に於きまして、二名の観覧者が無事、制限時間内にゴールされました。謹んで、御喜び申しあげますと共に、当園の規定に依りまして、この、え~っと、山本博さんと、佐々木秀介さんには、記念品として、金のマグカップを贈呈したいと思います。本当に、おめでとうございます。ゴホゴホッ!!」

 このアナウンスの女性はアルバイトか何かの人なのかな?等と、あまりにもテキトウな放送を聴いて、少々イラッとしたが、僕は無事に二人がゴール出来たことにこれまでにない深い喜びを感じた。

 佐々木さんも、かなり喜んでいるようで、帰り際に受付の四十代のおばさんから、金のマグカップを受け取った時も、何だか子どもみたいにはしゃいでいて、内心少し恥ずかしかった。幸い、今日この時間には僕たち二人と、新しく来た二十代前半の女性以外には、誰もいなかったので、無駄に恥をかかずに済んだ。


 植物園からの帰り道、佐々木さんは上機嫌だった。何度も何度も金のマグカップを覗き見ては、子どものようにはしゃいでいた。

「山本君、やったね。おかげで、金のマグカップを頂戴する事が出来た。実は、僕は前からこの金のマグカップがどうしても欲しかったんだよ。本当に、今日は付き合って貰ってありがとう。早速、今日、これでビールでも飲んでみるよ。うん、きっと、美味しいんだろうな~!!」

「ああ、そうですか。金のマグカップ、ね・・・。」

 僕は、正直、今日佐々木さんが僕を植物園へと連れて行った理由が、金のマグカップの為だとはっきり分かった時、深い失望感を体に感じた。また、それと同時にあんなにも頭の良い、あらゆる学問に造詣の深いあの佐々木さんが、これ程までに、金のマグカップごときに喜ぶのには、少なからず、何かしらの理由があるのではないかと、僕は思った。そして、僕は右手に持っていた金のマグカップをよくよく注視してみた。でも、この時、僕は歩きながらマグカップを見ていたために、前方に注意を払うのを忘れてしまっていた。

「ガシャン」

 僕は前方から来ていた自転車にぶつかってしまった。自転車に乗っていた女性は転げて道端に転倒した。僕は後ろ向きに尻もちをついて倒れた。そして、その反動で金のマグカップは、バラバラに砕けて、舗道に散らばってしまった。

「すみません!お怪我はありませんか?」

 僕は舗道に転げて倒れている、二十代前半の女性に尋ねた。

「ええ、大丈夫。ちょっと膝を擦りむいてしまったみたいだけど、他は大丈夫みたい。私も、よそ見していて、全然前に気付かなかったの、ごめんなさいね。」と、言って女性が顔を上げると、僕はハッとして、サスペンスドラマ風に驚いて言った。

「あなたは!!きっ、きっ、昨日の!!!」

「えっ?何?昨日って?」

 女性は、


まだ、執筆中ですので、続きに関してはしばらくお待ちください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回も、作風は、現実と非現実が交じり合う感覚が面白く読めました。書き方も、落ち着いて書かれているように思えます。また、植物園が時間制限を過ぎると閉鎖されるという設定は、非常に面白い発想です…
[良い点] 独特の文章と表現の方法はひきつけられる物があり、 不思議な世界観は読む時間も忘れさせられました!(植物園ではありませんが(笑)) [気になる点] ただ、ちょっと不要な表現も多い気がしました…
感想一覧
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