気取り柄
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん? どうやら、あの学校の剣道部が活動中らしいね。体育館から音がする。
以前、師範にいわれたことがあるよ。声が大きく響く道場は強く、足や打突の音が大きく響く道場は弱いと。
声を出すことは、気・剣・体の一致につながるとされる。実戦的には剣や体こそ重視されそうだが、気が一番手に来ている以上はとても大事なことだろうな。
気迫が大事とされる場面は多く、競技的にも審判によく伝えることは大事になってくるところだ。相手を圧し、自分の気合いを高めるのにもつながる。
と、まあ理論的に話すとこのようなところだけど、君の好きそうなオカルトめいた話もあるんだよ。ちょっと聞いてみないか?
もう竹刀を握らなくなって久しいけれど、僕も昔は剣道をやっていた。
当時は、今よりも太っちょで体力があまりなくってね。身体づくりの一環として習っていたのさ。
そのときに、声を出すよういわれたのはもちろんなのだけど、僕はその声が妙に出なくなるときが、しばしばあった。
手を抜いているわけではない。この手の指導はきちんと受けなければもったいないし、場合によっては怪我を招くやもしれないことは、経験で知っていたからね。
ゆえに、出そうと思っても出ないのは怖いことだった。最初は師範たちに注意をされたのだけど、これこれこういう事情があってと話すと、次の稽古の際に少し残れるかと尋ねられたよ。
何かしらの対策があるのかと思い、即了承したよ。
次の稽古が終わったのち。
師範との約束通りに道場へ残った僕は、あらためて防具を身に着け、師範と立ち会った。
普段の地稽古と同じ感じだったが、いくらか師範が撃ち込ませてくれたような感じがする。そのうえで、やはり僕はときどき発声に詰まってしまう。
「やめ」
師範が合図し、双方離れた。
防具を取るようにいわれて、脱いでいる間に師範は一度道場を後にし、戻ってくるや僕を手招きしてきた。
案内されたのは、道場の裏手だ。
来るのははじめてではないから、おおよその地形は把握していたが、そこにいま見慣れないものが地面に突き立っている。
古びた刀の柄のように思えた。時代劇などで見るこしらえと似ている。
「これに手を当てて、いつも通りに発声してごらん。きっと声は出ないが、こいつが壊れたときに声は出るようになっているさ」
師範のいう通りだった。
柄に手を当てている限り、いくら頑張っても音は出なかった。だが、柄そのものはひとりでに傷んでいき、やがてぼろぼろと崩れる。
そのとたん、僕の声がはっきり響くようになった。もう途中で途切れることなくだ。
師匠によると「気」を吸い取りに来る輩が、道場の近くに現れることがあるという。僕のように声をとられるというのは珍しいケースらしい。
そのままだと生命力までとられるので、先んじて気を注ぎ込み、こうしてお腹を壊してやるのが大事なこともあるとか。




