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番号違いの恋  作者: 蒼月想
7/14

7話: ポケットの中の手紙

土曜日の午後。

空はからりと晴れて、湿気ひとつない風がベランダのカーテンを揺らしていた。

洗い立てのシーツを干しながら、私はぼんやりと空を見上げていた。


ポケットの中のスマホが小さく震えたのは、そのときだった。


《来週、少しだけ仕事の部署が変わるかもしれません》


湊からだった。

いつものような簡潔な文章。でも、“少しだけ”の中に、どこか不安の色がにじんでいた。


《大変ですか?》


少し間を置いて返ってきた返事は、短くて正直なものだった。


《まだわからないけど、なんとなく落ち着かないです》


その言葉を読んだ瞬間、心の奥が少しだけきゅっとなった。

湊の、あの少し気だるげな顔。駅前で見かけた、パンの袋を片手に笑っていた横顔。

そして、傘。

私の傘を、彼はまだ持っているだろうか。


いや、あれはもう、渡したのでも借りられたのでもなくて――

あの日から、もっと見えないものが少しずつ交換されていたのかもしれない。



午後三時。

私は、湊の部屋の前にいた。


チャイムを押すと、思ったよりすぐにドアが開いた。

寝ぐせのついた湊が、スウェット姿で顔を出す。


「……お疲れさまです。っていうか、ほんとに来たんですね」


「“少しだけ落ち着かない”って、誰かに言いたいってサインでしょ」


「そんな深読みされるとは思ってなかった……」


そう言いながらも、湊は部屋に通してくれた。

テーブルの上には、飲みかけのコーヒーと、読みかけの雑誌。

生活感にまぎれる湊の姿が、なんだか少し安心する。


「こないだの……あのとき、助けてくれてありがとうございました。膝、治りました?」


「うん。絆創膏のおかげ」


「ならよかった」


ちょっと照れくさそうに笑った彼の顔に、私はあの日の光景を思い出していた。

思いがけず再会したスーパーの前。

そして、そのあとに聞きたくても聞けなかった、いくつもの言葉。


「……あの」


湊が急に口を開いた。


「この前、駅前で誰かといたの見ましたよね?」


思わずドキッとした。

心の中でずっと引っかかっていた、その話題を彼の方から出してくるなんて。


「うん。……女の子、だったから」


「あれ、いとこなんです。田舎から出てきて、就職活動してて。こっちで面接あるからって連絡もらって、駅で待ち合わせしてただけで……」


「いとこ」


「はい。年下ですけど、子どもの頃はよく一緒に遊んでたんです。でも、会うの何年ぶりだったかな……」


心の中で、何かがすうっと溶けていく音がした。


「……そうだったんだ」


「誤解させてたら、すみません」


「ううん。言ってくれてありがとう」


ようやく、静かに息ができる気がした。



そのあとしばらくは、ふたりとも無言でソファに座っていた。

だけど、それは気まずさじゃなくて、たぶん余韻だった。


湊は何かを思い出したように立ち上がり、小さな引き出しを開けた。

そして、白い封筒を私に差し出した。


「これ、少し前に書いたんです。異動があるかもしれないって話が出てたときに、もし急に会えなくなったらと思って……」


封筒の中には、一枚の紙。丁寧に折りたたまれていた。

そこに書かれていたのは、手書きの短い言葉。


――《もし、会えなくなっても、忘れないようにと思って書いてました》


――《でも、会えなくなる前に渡せてよかった》


読みながら、私はなぜか少し泣きそうになった。


「……なんか、ずるいですね。先にこういうの書かれちゃうと」


「ずるかったらごめんなさい。でも、渡せてよかったです」


私はその手紙を、そっとポケットにしまった。


「じゃあ、こっちも渡します」


そう言って、私はバッグの奥からメモ帳を取り出した。


「今日、書きました。“手紙をもらった”って。それだけ」


湊はちょっと驚いたように、それを受け取った。


「このメモ帳、前にコンビニで見たやつと一緒?」


「そう。それからずっと持ち歩いてる」


湊はそれを両手で包むように持ち、静かにうなずいた。


「……大事にします」


その言葉に、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。



帰り道、私はずっとポケットを触っていた。

その中には、くしゃっと丸まった湊の手紙。


まだ「好き」とは言っていない。

でも、それよりも少しだけ深いものを――

言葉や時間を、少しずつ、私たちは交換してきたんだと思う。


次にどんなページが開かれるのか、まだわからない。

でも、そのメモ帳が湊の手元にあると思うと、今日という日がそっとやさしく終わっていく気がした。


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