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番号違いの恋  作者: 蒼月想
3/14

3話:ポケットの中の既読

月曜日の昼休み。

昨日の雨が嘘みたいに晴れた空の下、私はオフィスの隅にある小さな休憩スペースで、コンビニのおにぎりをかじっていた。


「……今日、晴れたなあ」


誰に届くでもない呟きが、白い紙コップのコーンスープの湯気にまぎれていく。

バッグの中には、丁寧にたたんでビニール袋に入れた傘。湊に借りた、ネイビーの折りたたみ傘。

あの駅前で偶然出会って、なんとなくやりとりして、なんとなく借りた、あの傘。


そのとき、スマホがそっと震えた。


《昨日は、傘どうでした? 無事に溶けずに帰れましたか》


……“溶けずに”?

思わず笑いそうになるのをこらえて、私は親指で画面に言葉を打ち込む。


《おかげさまで無事に帰還しました。干してお返ししますね》


送信ボタンを押したあと、つい数秒間、画面を見つめてしまう。

ポン、と既読がついた瞬間、次のメッセージが届いた。


《じゃあ、お礼は傘の乾燥代でいいです》


《えっ、高くないですか。時価ですか》


《時価です。日替わりで変動します》


やわらかくて、少しくすぐったい会話。

スマホの小さな画面の中で、湊の言葉が、私の昼休みをそっと明るくしていった。



夜、最寄り駅からの帰り道。

昨日と同じ横断歩道の前で信号を待ちながら、私はふと周囲を見渡していた。

探しているわけじゃない。でも、視線は自然と動いてしまう。


――でも、彼の姿はどこにもなかった。


そりゃそうだ。偶然なんて、そんなに都合よく続くはずがない。


私はバッグの中に手を入れて、あの傘の感触を確かめる。

晴れているのに、持ってきていた傘。

きっとそれは、気のせいじゃない。



翌日の夜。

ソファでうたた寝していたところに、玄関のチャイムが鳴った。


「ん……?」


眠い目をこすりながらインターホンの画面を覗くと、そこに映っていたのは、よく知った顔だった。


「……えっ?」


慌ててドアを開けると、湊が立っていた。

手ぶらなのに、足元には白いビニール袋。


「こんばんは。傘、回収に参りました」


「……クリーニング屋みたいに言うの、やめてください」


笑いながら言うと、湊は小さくうなずいて、ビニール袋を掲げてみせる。


「お礼の代わりってことで、物々交換を」


「……なに、それ」


「どら焼き。あと、ちょっと小さいどら焼きと、ちょっと大きめのどら焼き」


「ラインナップ、全部どら焼き!」


「近所の和菓子屋さんで迷った末にこうなりました」


私は吹き出しながら、彼を家の中に招き入れた。



リビングのソファに並んで座り、ふたりでどら焼きを半分こする。

湯呑みに入れた緑茶の湯気が、曖昧な距離をふわりとつなぎとめてくれていた。


「……なんか、こういうの、いいですね」


湊がぽつりと呟いた。


「こういうの、って?」


「日曜に雨で出会って、火曜にどら焼き食べてるこの感じ」


「……ドラマにするには、ちょっと地味すぎますね」


「でも、退屈じゃないですよね?」


私は返事をしないまま、どら焼きをもうひと口かじる。

その甘さが、静かに、心の中まで染みていく。


 


夜遅く、湊が帰ったあと。

テーブルの上に残ったどら焼きの包みを片づけながら、スマホを確認する。


《どら焼き、次はもう少し冒険してみます》


《たとえば?》


《……たい焼きとか》


《それ、方向がもう別物では?》


笑いながら返信を打つ。

ポケットの中で、湊の名前が表示された通知が静かに灯っている。


まるで、まだ乾ききっていない傘の布地のように、ふんわりと、余韻を残したままで。


――この感じに、まだ名前はないけれど。

きっとそれは、悪くない始まり。

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