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番号違いの恋  作者: 蒼月想
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番外編・湊視点: ポケットの中の小さな声

引っ越しを決めた理由は、ちゃんと聞かれたら、きっとうまく答えられない。


「なんとなく」「タイミングがよかったから」

本当はもっと、たくさん言葉にできる気がしたけど、うまくまとまらなかった。


ただ、あの部屋の窓を開けても、彼女の声は聞こえない。

それがだんだん、妙に落ち着かなくなってきて。


コンビニで買ったアイスを片手に「これ、好きそう」と思うたび、

自分の暮らしの中に、彼女の居場所が勝手に増えていくのが、ちょっと嬉しくて、ちょっと怖かった。


だから、引っ越した。


「ちゃんとした理由」はたぶん、それだけだった。



一緒に暮らすって、もっと特別なことだと思っていた。

プロポーズがあって、家探しがあって、両親の顔合わせがあって――みたいな、きっちりした順番の中にあると思ってた。


でも、気がつけば、彼女の冷蔵庫に僕の飲みかけの麦茶があって、

洗面所には二本の歯ブラシが並んでいた。


休日の午後、カーテン越しの光がやわらかくて、

気づくと彼女がうたた寝していて、その隣で本を読む自分がいた。


なんてことない光景なのに、ふいに思った。


ああ、これがたぶん、好きってことだ。


何も起きていない日を、ずっと一緒にいられる人のことを、

僕はきっと、心の底から好きになっていた。



ある夜、彼女が古い封筒を机に置いた。


「……これ、渡そうと思ってたけど、やっぱりやめる」


そう言って笑うくせに、顔はほんの少しだけ赤かった。


「じゃあ、受け取るのやめるよ」


僕がそう返すと、彼女はちょっとだけ安心したような、ちょっとだけ残念そうな顔をした。

でもその顔を見て、なんとなく思った。


きっとこれからも、伝えそびれた言葉がいくつも増えていく。

だけど、それでいいのかもしれない。

すべての気持ちを言葉にしなくても、

彼女の表情を見れば、僕はだいたいわかる気がするから。



帰りが遅くなった夜。


玄関を開けると、部屋の中から「おかえり」の声がした。

僕のために用意されたスリッパと、温かい湯気と、カーテン越しの街の灯り。


その全部に、名前をつけるなら――たぶん、幸せって言うのだと思う。


ポケットの中に、まだ捨てられないチケットの半券がある。

あの日、彼女と偶然乗った映画館のやつだ。

内容は正直、よく覚えてない。でも、あのときの彼女の笑い声は、今もはっきり覚えてる。


「ねえ、明日もここにいていい?」


何気なく聞いたその問いに、彼女は当たり前みたいに言った。


「うん。ていうか、もういるじゃん」


そうか。そうだった。

僕はもう、とっくに、彼女のとなりにいる。


そのことが、こんなに心強いなんて、あの頃の自分は知らなかった。


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