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番号違いの恋  作者: 蒼月想
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番号違いの再会

カラン――。


控えめな鈴の音を鳴らして、私はガラスのドアを押し開けた。

店内には誰もいなくて、やけに静かだった。窓から射しこむ日差しが、シャツの白さを際立たせる。


「すみません、379番の受け取りで……高山千紗です」


カウンターに番号札を差し出すと、奥から女性スタッフがぬっと顔を出した。無言でうなずき、後ろのハンガー棚をごそごそと探る。そして戻ってきた彼女の手には、ビニールに包まれた白いシャツが2枚。


「はい、お待たせしました」


受け取ってすぐ、私は首をかしげた。


(あれ……?)


タグの位置がいつもと違う。

肩幅も、なんとなく広い気がする。いや、たぶん気のせいじゃない。


「すみません……これ、もしかして……私のじゃないかも……」


言いかけたそのとき。


「たぶん、それ、僕のですね。番号、ひとつ違いです」


すぐ隣から聞こえた声に、私はびっくりして振り返った。


立っていたのは、黒縁メガネをかけたスーツ姿の男性だった。歳はたぶん、私と同じくらい。髪は無造作に分けられていて、声よりも目元が優しげだった。


「僕、378番です」


そう言って、彼は控えめに番号札を差し出して見せた。


「あっ……すみません、私が番号間違えて……」


気まずくなって、私はぺこりと頭を下げる。


「名前、ちゃんと確認しないとですね」


「いえいえ。こちらこそ、先に言えばよかった」


彼は少しだけ口角を上げた。

苦笑い、というにはあたたかすぎる笑顔だった。


「なんか、こういうのって……微妙に気まずいですよね」


彼が苦笑いを浮かべながら言った。


私はうなずいて、つい言葉がこぼれる。


「ですね……」


二人でシャツを交換しながら、どちらともなく笑いがこぼれた。

ほんの数十秒のやり取り。でも、不思議なほど印象に残った。



それから一週間ほど経ったある日の午後。

私は駅ビルの書店で、新しい万年筆を探していた。


文具売り場の万年筆コーナーをうろうろと眺めていると、不意に背後から声がした。


「……あれ? また偶然ですね。確か……高山千紗さん、でしたよね?」


まさか、と思って振り向くと――そこに、あのシャツの男性がいた。


「えっ……クリーニングの……」


「はい。あの“番号ひとつ違い”の」


彼は人差し指を立てて、いたずらっぽく笑った。


私は思わず声を漏らす。


「覚えててくれたんですね。名前まで」


「聞こえちゃったので、なんとなく」


照れくさそうに笑う彼の手には、一冊の本。


『なぜ猫は人を許してくれないのか』


インパクトの強いタイトルに、思わず吹き出しそうになる。


「……それ、タイトルですか?」


「ええ。完全に、ジャケ買いです」


彼は表紙を見つめたまま、まるで照れるように言った。


「猫に、なんか恨まれてるんですか?」


「むしろ、許されたいです。猫に。あと、人生に」


「……だいぶ重症ですね」


「ええ。でも多分、猫のほうがもっと根に持ってると思います」


私はつい、くすくすと笑ってしまった。


彼もそれを狙っていたのか、いたずらっぽく目を細めた。


「ところで、どうして私の名前、覚えてたんですか?」


ふと気になって聞いてみると、彼はちょっとだけ驚いた顔をして、すぐに眉を下げた。


「あ、あれは……受付で言ってたのが聞こえただけで。盗み聞きとかじゃないですよ?」


そして急に焦りだす。


「え、まさか……気持ち悪かったです?」


私はわざと真顔で一呼吸置いてから、ニヤリと笑った。


「はい。ちょっと気持ち悪いです」


「うわ、やっぱりか!」


彼が頭をかいて笑うから、私もつられて吹き出してしまう。


そのまま、会話が自然と続いた。


「……あのシャツ、ちゃんと着られました?」


私が尋ねると、彼は頷いた。


「ええ。友達の結婚式で。でも、正直スーツって苦手なんですよね」


「今もスーツ着てますよね?」


「仕事なんで。これはもう、人生という名の苦行です」


「スーツ嫌いな男性、ちょっと珍しいかも」


「“きちっと感”がダメで。肩も心も、カチカチになるんですよ」


「分かります。私は靴がそれです。パンプス履くと、心が靴擦れします」


その瞬間、彼は笑いをこらえきれず吹き出した。


「心が靴擦れ……それ、名言ですよ」


初対面に近いはずなのに、会話が止まらないことが、むしろ心地よかった。


「ちなみに、お仕事は?」


「広告代理店です。派手に見えて、実は地味な残業デスクワークですよ」


「へぇ。なんか、かっこいいですね」


「今の、たぶん社交辞令ですよね?」


「はい。120点のやつです」


「満点超えてる!」


ふたりでまた笑った。


「私はお客さん先のホームページとか作ったりします」


「なるほど。“パソコンカタカタ系”ですね」


「なんですか、それ」


「机に向かって、カタカタしてる系の人」


「じゃああなたも、カタカタ系ですよね?」


「同族ですね」


また、笑い合う。

それなのに、不思議と気まずさはなかった。


「……じゃあ、またどこかでお会いしたら」


彼がそう言って、会計へと向かった。


「はい。またどこかで」


私も背を向けたそのときだった。


「……あのっ、よかったら今度、お茶でもどうですか?」


背中越しに届いた声に、思わず振り返る。


彼はレジの前で立ち尽くしていた。

照れ隠しのように唇を噛んで、視線を宙に泳がせている。


「いや、その……“またシャツ間違えて渡してくれたら”とかじゃないですよ」


「それ、誘い文句としては最低ですね」


「うん、自分でも思いました。ほぼ事故狙いですよね」


「もはや保険金詐欺です」


「やっぱり……センスないなぁ」


彼は苦笑しながら頭をかいた。


「でも、“きっかけは何でもいい”って、誰かが言ってた気がして」


「その“誰か”、たぶん責任取ってくれないですよね」


「ぐうの音も出ません……」


私は、笑ってしまった。自然と、頬がゆるむ。


「……まぁ、嫌いじゃないです。そういうの」


彼の目が、ほんの少し見開かれた。


それから、ふっと笑って――言った。


「じゃあ……本当に誘ったってことで。連絡先、教えてもらえますか?」


「はい。“事故じゃない”やつで」


スマホを取り出し、LINEを交換する。


ほんの数分前まで、ただの偶然だったのに。

たったそれだけのことで、心が少しだけ、あたたかくなる。


「……ていうか、会計まだですよね?」


「やばっ!」


彼は小走りでレジへ駆けていった。


その背中を見ながら、私は思わずクスッと笑った。


帰宅途中、LINEを開くと、新しく追加された名前が表示された。


みなと けい


その名前を見つめながら、私はふっと笑った。

思ってたより――悪くない偶然だった。


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