自転車の下の猫
高校二年の夏、牧村が専門学校に行って美容師を目指すという話は、瞬く間にクラス中に知れ渡った。
「何考えているんだろうね」
「美容師なんかじゃ食べていける訳ないじゃん」
「受かる自信がないから逃げただけだろ」
――だよなあ。
東野が感じたことと、クラスメイトの反応は全く同じだった。
「俺さ、進路変えようと思ってるんだ」
一週間前、並んで自転車を押しながら帰宅している途中、牧村が唐突に切り出す。
「え? まさか文系にするとか言わないよな」
牧村と東野は理系クラスに所属しており、共に国立大学を目指そうと同じ塾に通いながら日々勉強に励んでいた。
「専門行って、美容師になりたいって思って」
東野は開いた口が塞がらなかった。
つい最近も、将来はプログラミングの勉強をしてシステムエンジニアになりたいと言っていたし、美容に興味があるなんて聞いたことは一度だってない。
「なんでまた美容師?」
「いやまあ、何となく……」
――何だよそれ。
二人の通う学校は都内でも有数の進学校であり、専門学校に進学希望を出す生徒などいなかった。
担任も困惑し、個別で面談をしていたりしたが、牧村の決意は揺らがなかったようだ。
裏切られたような気持ちと、なんで自分から茨の道に進むのか理解できない気持ちをぐっと押さえ、東野は牧村の肩を叩く。
「わかった。頑張れよ」
こんなに切なくなる嘘をついたのは初めてだった。
それから十数年が過ぎた。
果たして牧村は、周囲の陰口をものともせず専門学校に進学、有名店で修行した後、独立して自分の店を持ったことを東野はSNSで知った。
――見なきゃ良かった。
一方の東野は国立大学の受験に三回も失敗し、現役の時は眼中になかった私立大学に入学。
夢も目標も無くなり、卒業後は会社を一、ニ年勤めては転職することを繰り返していた。
また転職を考え始めた会社からの帰り、一匹の白猫が駐輪場に停めた自転車の影に隠れていた。
東野が近づくと、猫は不満そうに短く鳴くだけで、動く気配はなかった。
「いいよな、お前はちゃんと自分の意思があって」
ふと、美容師になんて無理に決まってんだろ、と牧村を心の中で笑ったことを思い出した。
そんな自分が、今ではふらふらしている。
――たまには止まってみるか。
東野は苦笑しながら、自転車をそのままにして立ち去った。




