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現実世界

作者: P4rn0s

朝が来るたびに、今日も生きてしまったなと思う。

目覚ましの音が鳴る前に目が覚める。

もう何年も、まともに眠れていない。

カーテンの隙間から薄い光が差し込んで、天井に斑点みたいな影を落としている。

それを眺めながら、起きる理由を探す。

何もない。

でも、起きなければならない。


部屋は汚れている。

ペットボトルが転がっていて、コンビニ弁当の空箱が積み重なっている。

昨日の夜、食べ残した惣菜が腐りかけている。

それを見ても、もう何も感じない。

汚いとか、恥ずかしいとか、そういう感情が消えて久しい。

生きることに意味を感じなくなった時、人は驚くほど無頓着になる。


出勤時間が近づく。

会社に行きたくない。

でも、行かないと生活が詰む。

電車に揺られていると、目の前の吊り広告に「新しい自分へ」「変わるチャンス」なんて言葉が並んでいる。

吐き気がする。

自分が変われるなんて、そんな幻想、誰が信じるんだ。


会社に着いても、誰も僕に興味がない。

上司は僕の名前を間違える。

同僚は形式的に「お疲れ様です」と言うだけで、目を合わせない。

仕事はミスばかりだ。

確認不足だと言われても、確認する気力がもうない。

昼休みになっても、食堂に行く気がしない。

トイレの個室に閉じこもって、スマホの画面をぼんやり眺めて時間を潰す。

タイムラインには、誰かの幸せそうな投稿が並んでいる。

恋人と旅行。

昇進祝い。

結婚報告。

全部遠い国の出来事みたいだ。


午後の仕事中、ふとした拍子に涙が出そうになる。

理由はわからない。

悲しいことがあったわけでもない。

ただ、体のどこかが勝手に壊れていく感覚だけがある。

それでも何も言えない。

誰かに「大丈夫?」と聞かれることもない。

僕がいなくても、世界は普通に回る。


夜、会社を出ると雨が降っていた。

傘を持っていない。

駅までの道を、ゆっくり歩く。

スーツが濡れて重くなる。

それでも構わない。

濡れているのが自分だけで、なんだか安心する。

他の人たちはきちんと傘を差して、誰かと話しながら歩いている。

僕だけがこの街で取り残されている。


帰りの電車は満員だった。

押しつぶされるような圧力の中で、ふと窓に映る自分の顔を見る。

誰だこいつはと思う。

昔はもっと、ちゃんとした目をしていたはずだ。

でも今は、濁った水の底で息をしている魚みたいな目をしている。

誰も気づかない。

誰も見ない。

このまま消えても、誰も困らない。


家に帰っても、電気をつけない。

暗闇の中で服を脱ぎ、床に転がる。

音も光もない部屋は、墓みたいに静かだ。

テレビをつけても笑えない。

YouTubeを開いても興味が湧かない。

画面の中の人たちは、ちゃんと呼吸をしている。

僕はそれができない。

深呼吸をしても、肺の奥まで空気が届かない。

ずっと浅い息を繰り返して、息苦しさだけが積もっていく。


ふと思い出す。

昔、誰かに「君って真面目だよね」と言われたことがある。

それを褒め言葉だと思っていた。

でも今では呪いみたいに感じる。

真面目に働いて、真面目に我慢して、真面目に生きて、それで残ったのがこれだ。

何も手に入らなかった。

何も報われなかった。

努力なんて、幻想だ。

やればできるなんて、嘘だ。

やっても何も変わらない。


冷蔵庫の中には、コンビニのサラダと安い発泡酒がある。

それを無言で口に入れる。

味はしない。

酒を飲んでも酔えない。

ただ喉の奥が少しだけ熱くなる。

テレビのニュースが、「若者の自殺率が上昇しています」と言っている。

僕はチャンネルを変えない。

ただ黙って聞いている。

まるで、他人の話みたいに。


夜が更ける。

外では雨がまだ降っている。

屋根を叩く音が一定のリズムで響く。

眠れない。

布団に入っても、目を閉じると頭の中がうるさい。

過去の失敗、誰かの言葉、どうでもいい後悔がループする。

明日も同じように始まって、同じように終わる。

そのことが、何より怖い。

終わらない日常という地獄に閉じ込められているようだ。


朝が来る。

光がまたカーテンを透けて入る。

昨日と同じ。

何も変わらない。

変わる理由もない。

僕はもう、自分がどこに向かっているのかもわからない。

生きているのか、生かされているのか、その違いさえ曖昧だ。


出勤の支度をしながら、鏡を見る。

無表情の自分が映る。

「今日も頑張ろう」なんて言葉は、もう出てこない。

ただ、また一日をやり過ごすだけ。

それが、生きるということなのだろう。


そして僕は、今日も何事もなく、少しずつ沈んでいく。

誰にも知られないまま、ゆっくりと。

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