第4話(最終話):姉でいられる日
私、広瀬咲は──もう“お姉ちゃん”じゃない。
おもらしは慣れていた。恥ずかしくないわけじゃないけど、小学生の頃からずっとだったし、誰も咎めたりはしなかった。けれど今日のは、違った。
あれは、三時間目の現国の時間だった。体がふわっと熱くなって、あ、ダメだ、って思ったときには、もう遅かった。おむつの中で音がした。じゅわっとした感覚はあった。
でも、それは……大きい方。
匂いでバレる。机を引いて距離をとる子。先生の優しいけれど明らかに「赤ちゃん扱い」の声。手を引かれて、私は保健室へ。
それがすごく……しんどかった。
さらには昼休み、いつものママのお弁当。だけど手がうまく動かない。痺れて、箸が震えて、上手く掴めない。からあげをこぼして、口の横にケチャップがついて、ブラウスにもシミが広がって。
「スプーンの方が……」「お口ふいてあげるね」
そんな声を、私は受け止められなかった。私は、『小学生より幼い存在』になっていた。もう“お姉ちゃん”じゃ、ない。
帰ってベッドに入っても、胸の奥がズキズキする。みなみには知られたくない。私が、情けないだけの『手がかかる存在』になっていくことを。いまさら、『お姉ちゃんぶってる』って思われたくなかった。
──なのに。
夜、ノックもなく私の部屋にみなみが入ってきた。手におむつと、部屋着を持って。
「ねえ、お姉ちゃん。つけて」
一瞬、意味が分からなかった。でも、みなみは私に背中を向けて、スカートを脱いで、すっと足を広げて立っていた。無言で。じっと待っていた。
「なんで……」
「……お姉ちゃんにしかできないでしょ」
私は泣きたくなった。情けなくて、嬉しくて、でも怖くて。
でも、手順を思い出しながら、私はみなみにおむつを履かせた。テープを止めるのに少し時間がかかった。手がまだうまく動かなくて。それでもみなみは何も言わなかった。最後まで、じっと待っていてくれた。
それから、毎月第2金曜日。帰ってくるとみなみは「お願いね」と言って部屋に入ってくる。何も言わずにスカートを脱ぎ、私の目の前でおむつを差し出す。
私はお姉ちゃんの顔をして、あの子にそれを履かせる。その時間だけは、誰にも奪えない、私の時間。
手が動かなくても、言葉が出にくくなっても、何もできなくなっても──その時だけは、“私は、あの子のお姉ちゃん”なんだ。
ある第2金曜日の夜。おむつのテープを止め終えた私に、みなみが微笑んで言った。
「ありがとう、お姉ちゃん」
私は何も言えず、ただ頷いた。泣きそうになるのをこらえながら、私は胸を張っていた。
──私はまだ、姉でいられる。