第3話:知ることは死ぬこと
帰り道、お母さんから電話がかかってきた。連絡はLINEで済ます事も多いから珍しい。
『ごめん、みなみちゃん、圭子おばさんが亡くなって今日がお通夜で明日がお葬式なの』
圭子おばさんは私の大叔母にあたる。去年亡くなったおじいちゃんの妹だ。
『それでお父さんと宮城まで行くから、お願いね。それと明日、咲ちゃんの病院だから付き添ってもらえる?あの子あんなだから、タクシーに乗っても連れて行ってもらえないのよ』
お母さんの声は本当に参ったように聞こえる。
「わかった。何時から?」
『10時に予約済みよ。学校には忌引きって連絡しておくから』
学校を休めるのはありがたい。別に学校がイヤってわけではないけれど。
翌日。
アプリで呼んでおいたタクシーに乗って、病院へ。運転手さんからやはり、姉と間違われている。もういちいち訂正する気もない。
咲の病院は意外にも大きな大学病院だった。勝手知ったるなのか、ズンズンと咲は先へと進んでいく。受付の端末に通院カードをタッチすると幅広いレシートのような紙が出てくる。咲はそれを取り、慣れた様子で検査の待合室へ。
「あら、咲ちゃん、検査今日だっけ?」
「あはは、先月もそれ、言ってましたよ?」
「ワハハ、そうだね。それでそちらは妹さん?」
「はい、妹のみなみちゃんです」
紹介されたのでペコリと頭を下げる。顔馴染みの看護師さんらしい。
「そうそう、言い忘れてた。今日の検査入院着に着替えが必要なの。今から案内するね。妹さんは1時くらいにここに来てくれればいいわ」
咲と看護師は奥の方へと歩いていく。検査に時間がかかるのはお母さんから電話で聞いていたし、スマホをイヤホンと繋ぎ動画を見る。
長めの動画を3つ程見た時、肩をポンポンと叩かれて、イヤホンを外す。
「咲ちゃんの妹さんね?」
先程とは違う看護師さんだった。この病院では私はちゃんと『咲の妹』として見られている事に今更気づいた。
「詳しくは親御さんに報告するけど、一応あなたにも検査の結果を話しておきたいの」
私は「わかりました」とうなづき、立ち上がる。看護師さんについていくと『面談室』と書かれたプレートのある部屋に通された。中ではメガネをかけた女医さんが待っていて、咲の病状を話してくれた。
6歳の時の事故で成長が見込めない事。
神経も傷ついていて、おねしょやおもらしに繋がっている事。
ここまではなんとなく知っていた。でも、
6歳の時からおもらしは徐々に悪化していって、膀胱の容量が低下してきているのでもうすぐ我慢が一切できなくなる事。
手足に痺れが出るかもしれない事。
そして。
「全ての原因になった交通事故は2歳だったあなたを庇って起こった事なのよ」
突然、ハンマーで殴られたような衝撃。なおも女医は続ける。
「患者であるお姉さんの意向で、あなたに伝えられなかったみたいだけど、ご両親の意向で今回は伝えておきます」
気がつくと自分の部屋のベッドの上だった。どうやって病院から戻って、食事を作り、着替えて、眠ったのかあまり覚えていない。
私のせいで咲は、ああなった。それを私は恥ずかしいとか情けないと思っていた。
咲の時間は止まってるのに、私は勝手に『女』になっていく。
胸が少しふくらんで、生理もある。
それを申し訳なく思ってる自分がいた。
頭の中をぐるぐるとその事が駆け回り、寝付けない。窓の外はいつしか明るくなっていた。
「みなみちゃん、朝だよー。えぇ!酷い顔色!」
咲がノックもなしに入って来て、そう言って出ていき、すぐに戻ってくる。
「お熱測るね。わっ!9度2分!寝てていいよ。パンぐらいなら自分でできるから!」
頭の中がぐるぐるしていたのは、悩みだけではなかったようだ。しばらく目を閉じておく事にする。
どのくらい時間がたっただろう?突然、冷たい手が私のおでこに触れる。
「おはよう、みなみ」
お母さんだった。
「・・うして?」
どうして?という私の問いは声が上手く出せずにこうなった。それでも伝わったようだ。
「『みなみがすごい熱出したって』お姉ちゃんから連絡受けたの。仙台からだと、2時間あれば帰って来れるわ」
確かにそうだと思う。ただ、その瞬間少し部屋の空気が変わったような気がした。
「お姉ちゃんのこと、知ったんでしょ?」
私は少し間を置いて、うなずいた。
「……どうしたらいいかわかんない」
お母さんは、笑ってるのか泣いてるのかわからない顔をして、私の頭を撫でた。
「そう。わからない子には──これね!」
そう言って、ママはどこかから白いものを取り出した。
「亡くなった叔母さんが使ってたの貰ってきたの」「ちょ、ちょっと、やめてってば!」
逃げようとしたけど、足に力が入らない。2階の部屋から1階のトイレに行くのも無理だった。そのまま、私はママにおむつを履かされてしまった。
「寝てる間に熱測ったけど、9度8分あったわ。病院に連れて行きたいけど、無理そうね。はい、今日はもう寝てなさい」
しばらくして。お股のあたりが、あたたかくなった。最初は汗かと思った。でも違った。あっという間に、私はおむつの中でおもらししていた。
(……これが、お姉ちゃんの……)
考えまいとしても、頭の中に浮かんでくるのは、これまでお姉ちゃんに感じていた“情けなさ”とか“恥ずかしさ”という感情。それが、いまは自分に向かって返ってきていた。
カーテンの隙間から差し込む光が、まぶしくてやけに白く見えた。
しばらくして、階段を上ってくる足音が聞こえる。
「ねえ、入るよー」
お姉ちゃんだった。
もう、「咲」とは思えなかった。
自分より小さな身体で、でも私の何倍もしっかりしていて、あたたかくて、あの事故の痛みを抱えながら、私を守ってくれた──お姉ちゃん。
「おむつ、たぶん濡れてるでしょ?替えなきゃ」
私が答えなくても、お姉ちゃんはすぐに察した。カバンの中から新しいおむつと、ビニール手袋、清拭用のタオルを取り出して、迷いなく動き始める。
「ねぇ……ごめん」
思わず、口からこぼれた。
お姉ちゃんは少しだけ手を止めて、でもすぐにまた淡々と作業を続けた。
「何が?」
「……いろいろ、全部」
「ふふ。『いろいろ』が便利な年頃だね、みなみは」
優しい声だった。からかってるようにも聞こえたけど、怒ってる様子はない。
「でもさ、それよりちゃんと教えてよ。次からこういう時、どこにおむつあるとか、替え方わかんないと、私困るんだから」
その言葉に、涙がにじんだ。
「……私のほうが、お姉ちゃんだったのに」
「ううん。私は“お姉ちゃん”でいられてよかったよ」
そう言って、お姉ちゃんは最後にテープを留めた。やわらかなギャザーが太ももにフィットする。
「はい、これでおしまい。気持ち悪くなくなったでしょ」
頷くと、お姉ちゃんが少しだけ誇らしげに笑った。その笑顔を見たとき、私は初めて、「自分はこの人に守られていた」と、心の奥で認めた。