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第1話:姉なんて、いらない

靴を脱いで玄関に入った瞬間、私は小さく舌打ちした。洗面所から漂ってくる、微かに湿った布と洗剤のにおい。今日はまた、あったのだ。洗濯機の上に干された、花柄のトレーニングパンツ。しかも2枚。


「……ほんと、また?」


制服のまま洗面所を覗き込むと、ピンクと水色のパンツがハンガーに吊るされている。どちらも、幼児向けのような模様。いや、実際そうなのかもしれない。だけどそれは――17歳、高校2年のうちの姉が、日中に履いているものだった。

私はため息をつきながらリビングへ向かう。こたつの中に、小さな背中が潜っているのが見えた。


「……ただいま」


返事は一拍遅れて、小さな声がした。


「おかえり、みなみちゃん」


ああもう、声まで子どもっぽい。私は無言で通学バッグをソファに放り投げ、そのままキッチンへ行き、水を飲んだ。


咲――私の姉。17歳、高校2年生。だけど身長はたったの121cmしかない。小学校低学年の平均と変わらないその背格好で、一緒に外を歩けば必ず「妹さん?」と訊かれる。私より30センチ以上小さくて、体重だってずっと軽い。歩くリズムも子どもみたいにトテトテしてて、後ろ姿なんてまるっきり小学生。

服は、もうずっと西松屋で買ってる。私が着ているSサイズの制服なんかじゃ、ぶかぶかどころか、袖も裾も地面を引きずってしまう。でも本人は「だって西松屋の服、かわいいもん」と笑ってる。……その笑顔が、また幼く見えるんだよね。

ファミレスでは、迷わずお子様ランチを選ぶ。「色々食べられるし、旗が立ってるのってなんか嬉しいよね」って、笑いながら。……17歳のセリフじゃないよ。


そういえば、まだ、生理も来てないみたいだった。洗濯しててもそれらしいものが見当たらないし、話題に出たこともない。私はもう1年以上前に来てるのに。――どうして、こんなに違うの?


「今日、学校どうだった?」


こたつからのんびりした声が聞こえてきて、私はピシャリと切り捨てた。


「うるさい」


咲はそれでも怒らない。ただ少しだけ、声のトーンが下がる。


「……ごめんね」


その言葉が、余計にイライラする。何に謝ってるの? 私に謝ってどうなるの?ごめん、って言えば、何もかも許されるとでも思ってるの?


咲のそういうところが、ずっと嫌だった。

昔は……そう、物心つく前は、私は姉の後ろをついて回っていた。遊び方を教えてくれて、絵本を読んでくれて、私が泣けば手を握ってくれた。


でも今は?


私が大人になっていく中で、姉は止まったままだ。

成長も、身体も、何もかも。


私はこたつを覗き込む。咲は毛布にくるまって、テレビをぼんやりと見ていた。部屋着のスカートが膝上でめくれていて、トレーニングパンツが少し見えている。

――そのパンツ、さっき洗って干してたのと同じじゃないの?

何も言わずに視線を逸らす。私が何も指摘しないのを、咲は安堵したように小さく息をついた。


夕食の支度は私の担当。両親は共働きで、帰ってくるのは遅い。咲はあまり火を使わせてもらえない。たまに包丁を握らせると、何かの拍子で手元が狂うから。不器用で、おっちょこちょいで、でも本人は精一杯。


ご飯を食べて、片付けて、風呂も私が先に入る。風呂上がり、着替えているとき、また目に入った。洗濯機の前に、畳まれた制服と、濡れたスカートと――さっき見えたトレーニングパンツ。


「……やっぱり昼間もしてるんじゃん」


乾いた声でつぶやいた。トレーニングパンツなんて、普通は大人が使うものじゃない。いや、大人どころか、高校生の姉が、毎日履いてるなんて――

もっと言うと、寝る時はもっと幼い――紙おむつを使っている。90%の確率でおねしょをするからだ。


私は、自分の足元を見る。長くなった脚。すらっと伸びた手足。最近、鏡に映る自分を見て「女の子らしくなったね」と言われることも増えた。一方で、姉はランドセルが似合いそうな体型のまま。


「……同じ姉妹なのに、なんでこんなに違うの?」


私はまだ13歳。だけど、うちには、子どもが二人いるようなものだった。

夜、歯を磨いて部屋に戻ると、こたつで寝落ちした咲の姿があった。上から毛布をかぶってるけど、顔が半分出ている。


「……寝たの? こんなとこで」


そう思いながら近づいた瞬間、鼻をつくような、あのにおいがした。くぐもったアンモニア臭。毛布をそっとめくると、咲のスカートとトレーニングパンツに濡れた跡が広がっていた。


「……また、やってる」


情けなさと、悔しさと、苛立ちが一気に込み上げた。涙が出そうになる。

だけど私は、黙って毛布を元に戻して、タオルを取りに行った。

こたつ布団が濡れないように、そっとタオルを下に敷く。咲はうっすら目を開けて、私を見上げた。


「……ごめんね」


その一言に、私はまた、何も言えなくなる。黙って部屋に戻り、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。


咲が嫌いだ。恥ずかしい。情けない。

でも――なんで、こんなに胸が痛いの?


「……私が姉だったらよかったのに」


つぶやいた言葉が、布団の中に吸い込まれていった。


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