第1章_第1節
「はぁ、はぁ」
銀髪の若者はその時、街中を走っていた。
彼は今混乱しており、現状をさっぱりと分からずにいた。
彼が今はっきりとわかっているのは、自分が大勢の人に追われていること、追っている中には鎧を身につけた衛兵だけでなく多くの庶民もいて、彼らは様々な武器を持ち、周囲で騒いでいること。その二つだった。注意を怠れば、おそらく、彼らに包囲されてしまう。
「天雲、こっち!」
幸いなことに、彼は今一人ぼっちではなく、前には境地におかれた女性がいた。
少年は器用に真っ暗な細い小道に曲がっていくと、そこにあった木製の壁には穴が掘られており、茶髪の女性は少年にそこへ急いで入るよう合図をした。
壁の中には独立した部屋があり、そこは雑物を積み上げるために使われていたらしい。彼女は外の人波を一瞥すると、手を挙げて高い戸棚を引き倒し、入口を封じた。このような狭い場所では人数の優位性は発揮できないが、外にいる人がここを攻め破るには時間がかかるだろう。
「これで、少しは時間を稼げるでしょう」
外の雑多な音を聞いた彼女はややほっとした表情を見せ、天雲の方へ体を振り向かせた。見慣れた、そして、きれいな彼女の顔を見て、天雲も思わず気持ちが休まる。
女性の名前はリザック・ドリアン。天雲にとってはまるで親族のような馴染みの存在だ。
彼女がいれば、天雲はめったに緊張と不安を感じない。それは現在の状況であってもそうだった。
しかし、このような馴染みの相手であっても、頭の中にある大量の疑問は解決するはずがない。それは、彼女の脳裏も同じように疑問だらけであろうことを天雲は察したからだ。
天雲はやや息をついて呼吸を整え、お姫様抱っこと族に言うような姿勢で抱いた少女に視線を下ろす。
このような混乱した状況下であったが、彼はまだ、一人女の子を抱えていた。
抱いていたのは非常に美しい少女だった。白い肌と、きれいな金髪、それにアクアマリンの瞳をしている。混乱のさなかであったから、天雲はまじまじと彼女を観察したわけではない。それにもかかわらず、彼女の美しさは、天雲に強い印象を与えている。
しかし天雲は、このような美少女を抱きかかえていることを喜んでいるわけではない。むしろ正反対の気持ちである。天雲とリザックをこんな窮地に陥らせたのは、他の誰でもない、彼女なのだから。
先に知っていたのなら、彼女を掴まえなんかしなかったのに……
天雲はちょっと後悔して奥歯を噛んだが、今はまだ休めるときではない。人波はまだ当分やまないことはわかっていたので、一刻も早くここから脱出しなければならない。
回りに置かれた雑物によじ登り、屋根を支える梁に上がる。少女は捕まえられてきたにも関わらず、この出来事に驚くでもなく、逃げだそうともしない。それどころか自分から天雲の背にしがみつき、天雲が這うのに便利に姿勢を取っている。リザックもほぼ同時に梁に登り、木の板で作られた天井を打ち壊して屋上に上がった。
天雲とリザックの二人は都市の地形に対して明るくない。このように四方八方からの追っ手がいる状況で厄介者を抱えて建物と街道の中を奔走するのはあまり得策ではない。屋上からはよりよい視野を獲得できるし、屋上であれば追っ手も多くは上がってこられないだろう。
何歩も走らないうちに、目前にある建物の屋上には何人かの人影が現れる。天雲は少女を一人抱えたままでは戦いづらいため、リザックが一人で対処せざるを得なかった。棍棒を持った民衆が襲いかかってくるよりも早く、リザックは彼らを倒していく。もう一人の追手である騎士は長剣を手にしており、天雲の抱えた人質の安否を顧みず、剣を振り回し、斬りつけようとしてくる。天雲はそれを傍へ一歩逸らして刃を避け、足を揚げてその騎士を直接に建物から蹴り落とした。
街道上では人々は大騒ぎだった。馬に乗った騎士達はこちらを見上げ、絶対に逃がしはしないとばかりに息巻いている。この状況では天雲とリザックは屋上で走るしかない。足元は瓦木で出来た屋根であり、踏み外してしまえば落ちてしまうかもしれない。ともすれば踏み外して落ちてしまいそうだった。抱えた少女の体重はさほど重くないが、彼女は鎧を着ている。それは天雲にとって、実に極めて大きな試練だった。
回りの人々は口々に「お姫様」と大声で叫んでいる。天雲は容易に彼女の身分を推測することが出来た。天雲とリザック、彼ら二人は確かに大きなトラブル中に巻き込まれたに違いない。
この戦闘によってすでにこちらの位置は明らかになってしまった。背後からも追い込まれた二人は迎撃を顧みず、ひたすら逃げ、ぎっしりと並んだ屋上から跳び下る。高い処から跳び下りたり、傾いた瓦から滑り落ちたりしながらも、天雲は走っている。どうにか逃げながらもこの姫を守り、害を受けさせないようすることに必死だった。
緊迫した状況の中であたりを見渡せば、二人はほとんど同時に、前方にはもう道がないことに気付く。唯一の道は、数メートルはあろう間隔を飛び越えて、向こうの屋上へ跳び移ることだ。人を1人抱いた状況ではたやすいことではない。
天雲はリザックと一瞬にして視線を交わす。天雲は振り向いて姫をリザックに託すと、助走をつけて向こうの屋上へ跳んだ。リザックは懐の姫に意地悪く微笑むと、同じように助走をつけたものの、向こう側に立つ天雲に向かって姫を放り投げた。
天雲は両手を伸ばして彼女を受け止めようとしたが、彼女の身に付けた鎧の重さはリザックの想像を超えており、数メートルの距離を飛ばすには不十分な力であった。みるみるうちに勢いを失ったか弱いお姫様は落ちていったが、天雲は片手で屋上の縁をつかみ、身の危険をも顧みずに体を伸び出し、危機一髪の時点で姫の手首を掴んだ。




