76 戦いの始まり
羅刹はカアラをかかえ、ひとっ飛びに小島へ向かう。
その肩に担がれ、カアラは焦っていた。
自分に何かあったら”アイレンが嘆く”と言われ
思わずムキになってしまった。
”私がいなくなったことをアイレンが知ったとしたら。
あの偽善者は間違いなく、私を心配するでしょうね。
『カアラ、どうか無事でいて』、なーんて言って”
ムッとしつつも、ふと恐ろしい羅刹の顔が視界に入り、
震えが止まらなくなる。
生贄ということは、殺されてしまうに違いないのだ。
”なんとか隙を見て、逃げ出さないと……”
カアラがそう考えていたら。
「きゃあ!」
いきなり地面に投げ出されてしまったのだ。
起き上がり、文句を言おうと顔をあげると。
そこには海から上陸したばかりの餓者髑髏がいた。
「ひっ! ば、化け物……!」
カアラは尻もちをついたまま後ずさる。
暗闇の中にびしょ濡れで立っている巨人は
無数の死者の遺体でできていた。
その死体も、白骨のものもあれば腐敗しているものもあり
さぞかし恐ろしい死に方をしたのだろうと想像できるほど
むごたらしく破損しているものもあった。
それらの共通点はひとつ。
うねうねと動いているのだ。
何かにすがろうとしているのか、
白骨となった腕を伸ばしてきたり、
切り刻まれた顔から長い舌を出して嗤ったり。
そういった無惨な姿が、人の形に集まり、
カアラを見下ろしていたのだ。
おびただしい死体が組み合わさって出来た巨人。
それが餓者髑髏だった。
カアラはガタガタ震えながら、激しく後悔した。
”なんで生贄になるなんて言ってしまったんだろう。
ああ、レオ、早く助けに来て!”
あんなに罵り、助けを拒むような真似をしたのに
身勝手なカアラは都合の良いことを考えていた。
むしろ助けが来るのが遅いことに、激しく怒っていたのだ。
羅刹が、人間にはわからない言語で
ずっと餓者髑髏に語り掛けている。
それは呪詛のように辺りに響いていた。
カアラの息がだんだん苦しくなる。
餓者髑髏の出す毒素にやられたのだ。
”苦しい! くるしいー!”
カアラは喉をかきむしる。
その時、餓者髑髏の周りを飛んでいた鬼火の一つが
カアラのところにまっすぐに飛んできた。
恐怖のあまり、振り払おうと思ったが
鬼火はふんわりとカアラを包んだのだ。
「きゃっ! 熱……くない?
あれ、息ができるようになったわ」
どこかで、コン、という狐の声が聞こえた。
餓者髑髏の周りに飛んでいた鬼火は
実はそれはケイシュンの遣わせた神狐と犬神だった。
いきなり現れた人間の娘の”穢れっぷり”に最初は戸惑ったが、
とりあえず助けよう、と判断したらしく、
カアラを毒素から守ったのだ。
しかし、そこを羅刹が棍棒を振り回し、
神狐を振り払ってしまう。
犬神たちがすかさず群れをなし、
羅刹に噛みついて動きを封じるが。
いきなり餓者髑髏が崩れ落ちたのだ。
カアラに向かって雪崩を起こしたかのように、
覆いかぶさっていく。
そしてカアラを埋め、大きな遺体の山へと姿を変えたのだ。
満足げに見守る羅刹に対して、
神狐や犬神は焦ったようにその周りをまわっていた。
カアラを助け出そうと必死なのだ。
イヤアーーー!
中からずっと、カアラの悲鳴が聞こえてくる。
カアラは体をたくさんの虫が這いずるような気持ちの悪さを感じていた。
必死にもがいていたが、
やがて体を引き裂かれるような激痛を感じた。
ギャアアアアアアーーー!
断末魔の声が響いた後。
遺体の山は徐々に形を変えていく。
だんだんと盛り上がり、手足が分かれ。
元の巨人の姿に戻っていったのだ。
しかしさっきまでと異なり、
その胸の中央には、大きく醜い瘤が出来ている。
それは常に激しく伸縮を繰り返していた。
あたかも、心臓のように。
羅刹はその足元にひざまづいた。
そして犬神が、悲し気な声で遠吠えする。
”完全な恐怖が完成してしまった”、と主に告げて。
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「……遅かったか」
この場に駆け付けたレイオウとクーカイ、
そして知らせを聞き、途中で合流したアヤハとセーランは
目の前にそびえる”恐怖の王”を見上げていた。
カアラを”飲み込んだ”後、餓者髑髏は島を移動していた。
全てを破壊し、全ての生き物に”死”を与えるために。
この4人に毒素は効かないとはいえ、
餓者髑髏の放つ妖気は禍々しく、
その重圧で動きづらくなっていた。
アヤハが額に汗を浮かべて言う。
「じきに世界は修羅場になるわ」
”心臓”を得た餓者髑髏は世界に恐怖と混乱を与える。
それを元に、全ての悪鬼や妖魔はいきなり数を増し、
さらにその力も以前とは比べ物にならぬほど増す、と言われていた。
「こうなることを予期して、
帝都に戦力を集中させなかったが。
これが在る限り、妖魔の動きは収まらぬ」
クーカイも苦々し気につぶやき、セーランもうなずく。
「私たちだけで、出来る限りこれを弱めなくては」
しかし先頭のレイオウが、前を見たまま言った。
「いや、弱めるのではない……倒すぞ、こやつを」
そして破邪顕正の剣で餓者髑髏を差して言う。
「見よ。あの”心臓”はまだ飛び出たままだ。
伝承では必ず、体内に収まっていた。
あれはまだ完全ではないのだろう」
餓者髑髏はまだ、完全体になっていなかった。
カアラはまだ”心臓”として融合していないのだ。
すでに、活性化しだした妖魔や悪鬼に対し
四天王を筆頭に多くの武家が世界中で討伐を開始していた。
僧家も必死に祈りをささげ、
破邪や浄化を繰り返していた。
そうして人の住まう地への侵入を防ぐのだ。
華族は被害地への支援や社会のインフラを維持するため
協力し合い、人々の生活を守っていた。
前回のような痛ましい被害を出さないよう、
全ての者が一生懸命だった。
人々のために、これを絶対に滅しなくてはならない。
レイオウは剣を構えて叫んだ。
「これから俺が、これを切り裂く。
分断したそれがふたたび融合する前に、
出来る限り削ってくれ」
クーカイが、アヤハが、セーランが応える。
「龍の力を持って全てを滅してやろうぞ」
「南王門の名にかけ、地獄の業火で焼き尽くすわ」
「屠ることが悪鬼への、最後の慈悲となるでしょう」
仲間の言葉を背に受けて、レイオウは駆け出す。
そして大きく跳躍した後、まずは上から振りかぶる。
目がくらむような閃光とともに疾風が巻き起こる。
餓者髑髏に縦に亀裂が入った。
落下しつつレイオウは素早い動きで切り刻んでいく。
その拍子に大きな塊が遠くへと跳ね飛ばされた。
「あれは俺が追う!」
その方向にクーカイが龍となって飛び去った。
「私はこっちね!」
アヤハが鳥へと姿を変え、また飛ばされたひとつへ向かう。
セーランは転がった大きな塊に向かうが、
なんとそれは転がり……崖から海に落ちたのだ。
「お待ちなさい!」
セーランは蛇へと変容し、海へと飛び込んだ。
レイオウは残された最も巨大な塊を前に
ふたたび剣を構えなおす。
そして、大きな瘤を見ながらつぶやいた。
「再生する前に、完全に切り刻まねばならないが。
様子が伝承と違うのは、”心臓”がカアラだからか?
……もしかすると」




