75 餓者髑髏(がしゃどくろ)の心臓
「餓者髑髏が現れました!」
知らせを受け、クーカイたちは海岸まで走った。
海上の遠くに狐火がちらちらと舞い、
”敵はここに居る”ということを知らせていた。
「……そうか、そりゃ良かった」
神狐の報告を受けたケイシュンがうなずく。
彼らはうまく餓者髑髏を足止め出来たようだ。
何分経っても、こちらに近づいてくる様子はない。
「このまま、あいつを例の小島に誘導できそうか?」
レイオウが尋ねると、
ケイシュンは返事の代わりに片手をあげた。
その小島には誰も住んでいないだけでなく、
潰れそうな廃屋ばかりが並んでいる。
海中よりも戦いやすく、
被害を最小限に抑えるには最適な場所だった。
鬼火がゆっくりと遠ざかっていく。
神狐と犬神がけしかけて、小島の方向に誘導しているのだ。
作戦は今のところうまくいっていた。
しかし、レイオウたちのところに、
伝令が血相を変えて飛び込んできたのだ。
「この付近の崖の上に、
異常な数の妖魔や悪鬼が集まっています!」
レイオウたちが急いでその場所に向かうと、
想像以上に魔物の群れが溢れていた。
「おかしいな。通常敵対している妖魔同士が
互いを攻撃することなく一緒にいるとは」
レイオウは嫌な予感がして、
”破邪顕正の剣”を盾に強く振り払った。
ものすごい轟音と共に魔物が消え去り、
海を二つに割ったかのように道が出来る。
ふたたび魔物で埋まる前に、
レイオウたちはそこを駆け抜けた。
「誰かいるぞ! 人間の娘だ!」
クーカイが叫ぶ。
レイオウは魔物に取り囲まれていた人物を見て驚いた。
「……カアラか?!」
助けに来たのがレイオウだと知り、
カアラは両手を組み合わせて叫んだ。
「助けてレオ! 私、さらわれちゃったの!」
そして慌てて付け加える。
口をとがらせ、首をかたむけて
人差し指を頬に当てながら
できるだけ可愛い声でレイオウに問いかける。
「でもね、魔物は襲っては来ないから大丈夫。
……なんでかな? 崇拝してくれてるみたい。
ねえ、レオ。もしかして私、吉祥天なのかな」
羅刹はあの後ふたたび消えていった。
カアラは妖魔が襲って来ない理由を
それで突き通そうと思ったのだ。
”私が妖魔に襲われていなかったことを
彼らに証言してもらおう。
それなら、今度こそ吉祥天になれる!”
しかしレイオウは無表情のまま、
クーカイも他の兵も
気まずそうな顔でこちらを見ているだけだ。
何故なら。
少し言いにくそうに、クーカイが言った。
「……君はじゅうぶん、襲われているようだが?」
は? へ? と間の抜けた声を出して
カアラは自分の姿を見た。
鍛えられた者たちとは異なり、
彼女自身はよく見えていないようなので
兵士の1人が”能力”を用いて頭上に光を灯した。
ふわっと周囲が明るくなり、
カアラはやっと自分の今の状態に気づいた。
妖魔まみれなだったのだ。
その両足首には細い触手が巻き付き、
先端は足に刺さっていた。
腕や背中にはいくつかの吸血ヒルがついている。
そして自分の髪の毛だと思っていたのは
覆いかぶさるように付いた鬼蜘蛛だった。
「ギャアア!」
カアラは叫んで暴れまくった。
その勢いに、周囲にヒルが飛び散った。
動物程度の本能を持つ妖魔は
カアラを”ボスのためのエサ”として敬遠していたが、
まったく知性の無い下等な妖魔は
ごく普通にカアラを襲ってきたのだ。
ひとしきり妖魔を振り払った後、
白けた目で見ているレイオウにカアラは
大慌てで取り繕った。
「イヤっ! ……ち、ちがうの。
これは仲良くしているの!」
その時。必死に叫ぶカアラの声を、
ゾッとするような低い嗤い声がかき消した。
周囲の重力が強まったように圧力が増す。
死臭のような不快な臭いが辺りに漂う。
「羅刹……」
レイオウがつぶやいた。
闇の中から現れた羅刹は嗤っていた。
「仲良くしてる、とは笑止千万。
低級同士、気が合うらしいな」
そしてカアラの喉元に、長い爪を当てながら言う。
「……北王門の怜王。
よくも我が一族たちを手にかけてくれたな」
レイオウは北の調査を終えた後、
世界各地に現れた羅刹を、全て倒していたのだ。
「ああ。一匹逃したと知って残念でならないよ。
まあせっかく出てきてくれたのだ。
遠慮なく、仲間のところに送ってやろう」
カアラを人質に取られ、
身動きしないままレイオウが答える。
そして眉をひそめながら羅刹に尋ねた。
「その前に聞く。カアラをなぜさらった」
「やめてっ!」
答えさせまいとカアラが叫ぶが、
羅刹は面白そうな顔をしてニヤリと笑った。
「この娘と知り合いか?
まさか”破邪の王”であるお前の側に
このように罪と穢れに溢れた邪な女がいたとはな」
その言葉にレイオウは、少し困った顔をする。
まったくその通りだと思って。
「違うのよう。私、誤解されてるの、この鬼に……」
カアラは懇願するが、羅刹はとうとう言い放つ。
「何を間違うものか。
ここまで醜く穢れた魂の持ち主は珍しいぞ」
「まさか!」
クーカイが叫んだ。
羅刹は嬉しそうに笑って言う。
「ああ、あの方の”心臓”にピッタリだろう?」
違うと叫ぼうとするカアラを見下ろし、
羅刹は次々とカアラの罪や醜さを語り出した。
それはアイレンに対する数々の嫌がらせなど
ほんの一部に過ぎなかった。
自分の能力である”魅了”を駆使して男を使い、
妬ましい娘は徹底的に陥れ、
気に食わない商売人の店は嫌がらせか放火で潰させる。
盗れるものは盗み、弱みを握れば脅し、
金回りの良い男は騙して逃げる。
帝都に来る前も、来てからも、
欲しいものや嫌なことに我慢が出来ないカアラは
欲しいものを手に入れたり、
気に食わないものを排除するために、
罪悪感なく悪事に手を染めていたのだ。
「えっ、えっ、えっ、何で知ってるの?!」
驚くカアラに、クーカイが思わずつぶやく。
「……すごいな。よくもまあそれだけ……」
しかしレイオウは羅刹に言ったのだ。
「その程度の犯罪歴ならば、もっと上が数多いるだろう。
こんな小物、”心臓”になどなるものか」
羅刹はニヤリと笑って答えた。
「我らは人間の犯した罪自体には興味はない。
”なぜその罪を犯したか”、
そして罪を犯した後の精神だ」
そしてニヤニヤしながらカアラを見下して言う。
「己の巨大な欲望を常に増大させ、
異常な妬みや身勝手な憎しみを絶対に抑圧せず
永遠に餓え続け、他者から奪うことを止めない。
そのような者こそ、”心臓”になり得るのだ」
生まれつき貧しく、盗む事しか知らない子どももいる。
知識が乏しく、他にも選択肢があると知らぬまま
犯罪に手を染める者もいるが。
しかしカアラは違う。
貧しかったわけでも、
虐げられていたわけでもない。
華族であり、両親にもそれなりに愛され、
友人知人にも恵まれたカアラは違った。
ただひたすらに身勝手な”邪悪”だったのだ。
そして他責思考で自己中心的な彼女は、
決して反省などしない。
”止まる”ことなく、餓者髑髏に
他者への攻撃する力を与え続けるのだ。
まるで、心臓のように。
羅刹の言葉を聞きながら、カアラは絶望していた。
全ての悪事を、もっとも知られたくなかった
レイオウに知られてしまった。
そして妖魔にまみれ、失禁の跡がついた服に
鼻血にまみれた顔。
こんな姿を見られたのだ。もう、お終いだ。
そんなカアラを早く救おうと、
レイオウは剣を構えなおしてつぶやいた。
「まあ、お前たちの御託などどうでも良い。
返してもらおう。もしこの娘に何かあれば、
俺の大切な人は悲しむからな」
しかし、この言葉が引き金だった。
カアラの心の糸が、プツンと切れたのだ。
カアラは勢いよく立ち上がり、
羅刹をかばうように前に出て叫んだ。
「いいわよ、生贄になってあげるわよ!
そのがしゃなんとかのところに連れていきなさい!」
そしてレイオウ達に振り返り、
嗤いながら叫んだ。
「女一人守れないなんて、四天王のくせに情けない!
役立たずのくせに! 無能の女にお似合いだわ!」
羅刹は口元をゆがめ、カアラを見下ろした。
そして素早く抱え上げ、レイオウ達に背中を向ける。
レイオウが地面を蹴ったが、
ものすごい数の妖魔が目の前に飛び込んできた。
しかも羅刹の肩からこちらを向いたカアラが
低級妖魔に向けて”魅了”をかけたのだ。
一斉に飛び掛かってくる無数の細かな妖魔は
大きな敵よりもかえって対処が面倒だった。
それでもレイオウはクーカイとともに
それを瞬時に蹴散らしたが。
「……間に合わなかった」
クーカイがつぶやくが、レイオウは駆け出す。
「餓者髑髏のところへ急ぐぞ!」




