74 優しき獅子王
魔物たちが襲って来ないことを
”自分は吉祥天だ”と誤解し喜ぶカアラを、
現れた羅刹はあざ笑いながら言ったのだ。
”お前はただの生贄だ”、と。
誰よりも醜く、汚らしい魂を持つカアラは
餓者髑髏の”心臓”に選ばれたというのだ。
「がしゃどくろの、しんぞう?
……何よそれぇ」
泣き声でカアラは尋ねるが、返事はもらえなかった。
羅刹はじっと、どこかを見つめている。
その方向にカアラが顔を向けると
暗闇にぼんやりと崖が見えた……あの先は。
”……海? ここって、海の近くなの”
ぼんやりとカアラが考えた時、
頭上で羅刹のつぶやきが聞こえた。
「……もうすぐだ。
前回は天帝と四天王に邪魔されたが
今度こそ、我々の望みが叶うのだ」
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皆が戦いの準備を進める中。
レイオウは後宮に来ていた。
しかし今回は天帝妃にではなく、
天帝に呼ばれたのだ。
”二人だけで話がしたい”、と。
それを大臣をはじめ、周囲の者はみな
今後や餓者髑髏の対策について
助言をくれるのだと思っていたが。
……レイオウは違った。
胸の龍笛を”破邪顕正の剣”に変え、
天帝の寝所へと足を踏み入れる。
「そのようなものを構えずとも、
全てを話すつもりだ、レイオウ」
天帝はベッドに横たわっていた。
長い銀髪は真っ白に変わり、頬はこけている。
しかし”絶世の美男子”と言われた面影はそのままに
紫色の瞳で優しくレイオウを見つめていた。
20歳で天帝となり、数々の功績を残した傑物。
真っ白な獅子の姿で悪鬼を瞬殺する姿は
あまりにも強く、そして神々しく、
今でも人々に語り継がれているくらいだ。
最愛の天帝妃とは三人の子に恵まれたが、
在位わずか10余年で病魔に伏してしまった。
それから長きに渡り天帝不在のまま、
宮廷と四天王により、世界の平定は保たれていたのだ。
「”天系図”についてお尋ねいたします」
レイオウは静かに問いかける。
なぜ封じていたのかを聞きたいのに、
天帝は少し笑って、当たり障りのない説明を始めた。
「”天系図”とはさしずめ”未来”。
そして”地系図”は現在の世界だ。
”天系図”を読み解き、”地系図”に力を送る。
これが天帝の役目だ……覚えておくが良い」
”近く、この地に妖魔が大量発生する”
”数日後、この場所で悪鬼が村を襲う”
”冬になるまでに、この島には幽鬼がもたらす疫病が流行る”
”読み解く”にも莫大な力が必要である上、
その後、”地系図”へ深く干渉し、
天帝の力を”作用”させるのだ。
それは四天王家や武家へこの世界で起こることを
あらかじめ知らせるだけでなく、
敵の力を弱めておくことも出来るのだ。
天帝は咳をしながら話を続けた。
「”天系図”は宇宙を封じ込めているが、
”地系図”に広がっているのはこの世界だ。
世界地図がそのままあるかのように見えるが、実際は違う。
地震で地形が変われば自然と”地系図”も変化し、
積雪すれば白くなり、干ばつすれば緑が失われる」
さすがのレイオウも息をついた。
”天系図”も”地系図”も、どちらも分厚い水晶板の中に
宇宙や実世界の状況をそのまま封じているとは。
なんという素晴らしくも恐ろしい宝物なのだろう。
天帝は腕をのばして言う。
「その上に手を置くと、ゆっくりと沈み込んでいく。
そして実際に”世界に触れる”のだ。
さまざまな情報が流れ込んでくるが、
それを瞬時に選別し、妖魔や悪鬼の力を吸収する。
君たち四天王は、その流れを察知し、
すぐに討伐に向かってくれるのだろう?」
レイオウはうなずく。
彼らが通常、討伐に向かう時は、
宮廷の依頼や民間からの被害報告だ。
しかしそれ以上に強大な敵、
例えば羅刹や大規模な妖魔発生などは
天帝からもたらされる”兆し”を受け取って出撃していた。
レイオウはあらためて感謝の意を伝える。
「天帝のご尽力に感謝申し上げます」
天帝は悲し気にレイオウを見ながら言う。
「礼を言われることは無い。
これが私の責務であり……何より。
私が皆を裏切っていた事、すでに気付いておろう?」
レイオウは頭をさげたまま、顔をゆがめる。
尊敬する天帝の口から、聞きたくなかった言葉だ。
しかし彼が言う通り、本当はわかっていた。
「何故です? なぜ悪鬼や妖魔に加担するような真似を?」
強い口調で問いただすレイオウに、
天帝は小さく笑って答えた。
「それは違う。
魔物の側に回ったわけではない。
私は……世界の全てを守りたいと願っているのだ」
天帝は静かに語り出す。
「悪鬼は人間の恐怖から生まれたもの。
妖魔は人間の妬みや害意などの悪意から造られたもの。
……それはもう、気付いておろうな?」
レイオウはうなずく。
吉祥天の出現により、一度は消滅した彼らが
月日とともにどんどん復活するのは
人間から悪意や恐怖がけっして無くならないからだ。
天帝は苦しげに言う。
「”地系図”に手をつければわかる。
彼らの呪詛は人間に向けられたものだ。
勝手に生み出したくせに、勝手に恐れ、
そして勝手に討伐しようとする人間に」
人が生み出しておいて、それを滅する。
なんという身勝手さ。
レイオウは全てを理解した。
この天帝は、白き獅子王は、
その荘厳な美しさと強さだけではなく、
飛びぬけて優しいことで有名だったのだ。
そして優しすぎた天帝は、
あまりにも”世界の全て”に同化しすぎた。
彼にとってはもう、人も、鬼も、妖魔も
等しく”世界”の一部だ。
天帝は切ない顔で問いかける。
「毒をもつ生物は死すべきなのか?
攻撃せずには生きられないのは彼らの責任なのか?
好きでこの世に生まれたわけではなく
在るだけで疎まれるとは、あまりにも哀れではないか」
言葉を選ぼうと逡巡するレイオウに
天帝は畳みかけて言う。
「そして気付いたのだ。
彼らには彼らの役割がある。
人は恐れねば、謙虚になれない。
人は傷つき、失わなくてはならない。
また作り上げようと努力しなくなるから」
レイオウは目を見開いて絶句する。
天帝は悪鬼・妖魔の存在を”必要悪”だと肯定しているのだ。
「……その役割は天災など、妖魔でなくとも
人に知らしめるものはたくさんございます」
さすがに意を唱えたレイオウに
天帝は悲し気に首を振った。
「そうだな。ただそれだけではない。
問題は、吉祥天の存在によって、
それが一掃されることだ。
それは人と魔物が築き上げた全てを破壊してしまう」
吉祥天の名が出て、レイオウは動揺してしまう。
どうしてもアイレンの顔が浮かんできた。
天帝は天井を見つめながらつぶやいた。
「竹は120年に一度咲く。
しかし開花後、竹は一斉に枯れてしまう……」
そして皮肉な笑いを浮かべて言う。
「吉祥天の出現後、
妖魔や悪鬼が消滅した世界で起こるのは”混沌”だ。
あの時期に、何も伝承が残されていないのが何よりの証拠。
人々が自分の暮らしを客観的に見つめられるようになるのは
悪鬼や妖魔が復活を始めた頃だ」
一掃することで、かえって人界に混乱を招くというのだ。
人々は平和のために傲慢になり
”魔物”という共通の敵が生まれるまで
人同士の諍いは続くのだ、と。
だから天帝は、そのサイクルを止めたかった。
悪鬼や妖魔を無くそうとするより
それと戦いつつ、共に生きるべきだと思ったのだ。
このバランスの取れた世界を守りたかった。
吉祥天の存在は、世界の均衡を崩す存在。
だからその存在を消し去ったのだ。
理由は分かった。しかし。
レイオウは天帝に、さらに追及したのだ。
「吉祥天の存在を隠したかった理由は分かりました。
しかし、それだけではありませんね?
なぜ餓者髑髏の存在を告げなかったのです?」
北海に隠され、天衣翡翠に封じられながらも
ひそかに成長を続けていた餓者髑髏。
天帝はとっくにその存在に気付いていたはずなのだ。
天帝は目を閉じ、黙り込む。
レイオウはさらに問い続けた。
「餓者髑髏がもし、
”心臓”を得るようなことがあれば
あれを倒すことは不可能になります」
前回出現した際には、それを阻止しようと
天帝は命を落とし、四天王や武家からも
多大な死者を出したのだ。
もし”心臓”を得れば、今度こそ
”完全な恐怖と絶望”が完成してしまう。
何も答えない天帝に、レイオウは唇を噛んだ。
”己が生み出した恐怖とともに生きよ”
まさか、そう言うことなのか?
やがて天帝は口を開いだ。
「レイオウ。我らは戦い続ねばならない。
”能力”を持つものの義務を果たし、
創り出したものの責任を、取らねばならないのだ」




