73 やっと特別な人間になれた……?
カアラは戦慄していた。
真っ暗な部屋の中、
おびただしい数の悪鬼や妖魔がひしめいているのだ。
それぞれが醜く奇怪な姿で、
牙を剥いたり、舌を伸ばしている。
「い、嫌……来ないで! 誰かあ!」
ベッドの上で手足を縮め、
ガタガタと震えるカアラが叫ぼうとすると。
「無駄だ。誰もここには来ない」
部屋の最奥、最も暗い部分から声が聞こえた。
「誰?! 早く助けてよ、ねえ」
しゃべれるということは、人間なのだと思って。
しかし闇の中からぬうっと現れた姿を見て凍り付いた。
ゴツゴツとした真っ青な巨体に長い手足、
ボサボサの長髪で、大きな目玉に剥き出しの牙、
そして額には大きな角がある。
カアラは必死に思いだそうとして考える。
”なんだっけ……この姿。
人語を解する鬼……”
そして思い当たり、絶句する。
「嘘でしょ……なんでこんなところに」
ゆっくりと近づいてきたその鬼は、
ベッドの上で失禁しているカアラを見下ろす。
あまりにも恐ろしい姿。
溢れ出てくる邪悪な力。
カアラは最後の力を振り絞り、叫んだ
「どうしてこの帝都に、羅刹がいるのよおおお!」
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「餓者髑髏を見失っただと!?」
侍従からの報告に、クーカイが思わず声を荒げる。
宮廷の会議室で、皆が沈痛な面持ちで集っていた。
帝都での対策はレイオウたちに任せ、
四天王家は安易に帝都へは動かず、
餓者髑髏や妖魔がどのような動きを見せても
すぐに対応できるよう、東西南北全ての領域の警備を強めたのだ。
それはレイオウに対して、
次期天帝としての力を期待する意味も込められていた。
申し訳なさそうな偵察隊を見ながら、
セーランはとりなして言う。
「仕方ありませんわ、お兄様。
深海に潜られては追えようがありませんもの」
レイオウはしばし考え、彼らに言った。
「あいつの移動方向を調べたが、
間違いなく向かっているのはこの帝都だ。
到着するのは……おそらく明日の早朝だろう」
最後に確認された地点からの距離と、
平均移動速度を用いて
到着時刻を頭の中で算出したのだ。
アヤハは厳しい顔でうなずきながら言う。
「上陸前に仕留めなくては。
私たちが早めに”飛んで”いくわ」
南王門の”象徴の具現”は鳥であるため、
彼らの軍は空から攻撃ができるのだ。
「ああ、俺たちもいこう」
東王門のクーカイは龍の軍を率いて、
セーランは蛇と成れば、海中でも戦うことは可能だ。
「戦いにそなえ、数多くの船を出そう。
ただし戦に出るのは俺と八部衆のみだ」
レイオウが言い、側に控える八部衆がうなずく。
舟はおそらく、すぐに餓者髑髏に破壊されるだろう。
海上に漂う木片や樽を利用し移動する
卓越した体術の持ち主でなくては、生き残れないからだ。
「いえ、我々も船に同行させていただきます。
弓矢と槍、その他飛び道具も用いることで
あの悪鬼の力を少しでも削ぐ所存でございます」
その場にいた武家を代表して八幡守の当主が声をあげる。
「我々は港や海岸に並び、
”破邪”や”浄化”の呪文”を唱えましょう。
もちろん聖鈴を鳴らし退魔の力を強めます」
僧家たちも真剣な面持ちで、静かな決意を見せる。
前回、餓者髑髏が現れたのは200年前のことだ。
その時の被害の記録は、とても痛ましいものだった。
荒れ果てた土地、崩壊する村や町、
そしておびただしい死者の数。
今回は絶対に、それを繰り返してはならないのだ。
たとえ、自分たちの命を失おうとも。
しかしその時、覚悟を固める彼らに
やけに陽気な声が響いた。
「まあ落ち着け、そう力むこたあねえよ。
今、港の辺りは俺の狐っ子が見張ってるからさ。
ガイコツさんが近づいたらまずは、
狐っ子やワンコをけしかけて足止めしてみるよ」
ケイシュンが場に似合わない爽やかな笑顔で現れたのだ。
レイオウは少し驚くが、口に笑みを浮かべてうなずく。
「それは心強いな。前回、餓者髑髏が現れた際には
貴殿の扱うような動物霊の味方はいなかった。
”魔力の質”から考えても、効果は高そうだ」
「まあ! 犬のお友だちもいらっしゃるのね!
他にはどんな動物が……」
セーランが嬉しそうに割り込み、
アヤハに”後にしなさい”とたしなめられる。
それでもケイシュンは優しい目でセーランに答える。
「いろいろいるが、こんな大仕事はアイツらが一番だ。
猫もいるけど……なんもしねえからな」
「うふふ、猫は何もしないのが仕事ですから」
セーランは楽しそうに笑っている。
”二人とも、場をわきまえよ!
皆が命懸けの戦いを前にしているのだぞ”、
と喉元まで込み上げた言葉を、クーカイは飲み込む。
明日が無いかもしれないからこそ、
可愛い妹には今、幸せを感じて欲しいと願って。
あの乳母のせいでセーランは
楽しい娘時代を二年も無駄にしたのだ。
大好きな人と何気ない言葉を交わす時間を
大切にしてあげたいではないか。
「猫ちゃん、見てみたいですわ」
「うーん、猫は呼んでも来ねえからなあ。
猫を呼びたきゃ、魚かマタタビかな」
そう言って小さな香袋を取り出し、小さく何かを唱える。
そしてそれをセーランに手渡して言う。
「ほい、これ。”解除”しといたからな。
持ってるとそのうち現れるかもよ。
……ま、猫の気が向いたらな」
嬉しそうに受け取るセーラン。
和やかに語り合う二人を見ながら、
クーカイはそんなことを思うが。
ケイシュンは顔を上げ、皆に告げた。
「それじゃあ俺は先に港に行ってるよ。
ガイコツさんの都合で予定が早まったりしたら
もてなしが遅れちまうからな」
片手をあげる彼に向かって、
セーランが焦ったように言う。
「私も参りますっ!」
そしてクーカイに向きなおって懇願する。
「ね、いいでしょう、お兄様。
二人で夜通し港をお守りしますから!」
さすがにそれは、クーカイも首を横に振って答えた。
「ダメだ……俺も行く」
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「何なのよぉ……これ……」
カアラは泣きそうな顔で周囲を見渡している。
あの後、羅刹が手を伸ばした瞬間、
カアラは恐怖のあまり気を失ったのだ。
目覚めると、どこか屋外に運ばれていた。
暗くてよく見えないが、地面に寝かされていたようだ。
”潮の香りがする……海が近いのかしら”
そして周囲を見れば。
「キャアアアア!」
周りをぐるりと、悪鬼や妖魔が取り囲んでいるではないか。
”状況は変わってないじゃない!
むしろこんな夜中の町はずれっぽとこ、
誰にも助けてもらえないわ!”
身動きも出来ず、カアラは縮こまっているが。
ふと、気付いたのだ。
こんなにたくさんいるのに、一匹も襲ってはこない。
それどころか、彼女を包囲しながらも、
どこか恐れるようにこちらを見ているだけなのだ。
ためしに、そっと手を伸ばして見ると。
飛び掛かってくるどころか、
その方向にいた妖魔はビクッとした後、
じっと見つめてくるだけだったのだ。
”え、襲わない……ってことは!”
カアラは歓喜し、叫んだ。
「やっぱり私が吉祥天だったんじゃない!」
こんなにたくさんいるのに、襲って来ないんだもの。
間違いないわ、私、吉祥天だったんだわ。
嬉しさでニヤニヤが止まらなくなる。
”これが明らかになれば、
みんなの見る目が変わるわ。
もちろんピーターとの結婚も無くなるし”
カアラの妄想は止まらない。
”吉祥天だと認めさせたら、宣言するのよ。
世界を救いたかったら、
私の願いは全て叶えなさい、って。
たくさんのドレスでしょ、宝石でしょ、
ううん、何よりも”
両手で頬を包み込みながら、カアラは笑った。
”すぐにレイオウと結婚するの。
そしてアイレンは私の侍女にして、
私たちのラブラブな結婚生活を見せつけてやるんだわ!”
カアラはその場に立ち上がる。
そして女王のように悪鬼や妖魔を見下ろして微笑む。
やっと”特別な人間”に、
世界に注目される存在になったのだ。
「醜い下僕ども! お前たちも私に従うのよ!」
カアラがあごをあげ、魔物に命じた瞬間。
その体は真上から殴られたように
地面へと叩きつけられた。
「ぎゃあ!」
痛みに転がるカアラを見下ろしながら、
戻ってきた羅刹が冷たい声で言う。
「何様のつもりだ。この世で最も下等な者の分際で」
鼻血を押さえ、涙を流しながらカアラは叫ぶ。
「何でよ? じゃあなんでコイツら、
私を襲わないわけ?」
その問いに、羅刹は鼻で笑って答える。
「当然だろう。お前は生贄なのだから。
ここまで醜く、汚らしい魂を持つ者は滅多にいないからな。
だからお前は、餓者髑髏様の”心臓”に選ばれたのだ」




