69 次代の天帝
天帝の病床が悪化してしまった。
急遽、次代の天帝として選出されたのはレイオウだった。
いったん解散した後、
夜になって宮中へと集められた。
沈痛な面持ちで側仕えの侍従が天帝の様子を報告する。
「ここ数日の間で、どんどん衰弱が激しくなり、
起き上がるのはおろか、まぶたを開けることすら
出来なくなってしまわれたそうです」
そしてその横で天帝妃がずっと、
夫であり幼馴染である彼の手を握り、
いつ”その時”が訪れても良いように、
片時も離れずにいるそうだ。
「このままでは天帝妃様もお倒れになってしまいます」
侍従が心配そうに言ったが、
セーランは悲し気にうつむいて言う。
「天帝妃様も、それをお望みなのでしょう。
……番の鳥のようなお二人でしたから」
天帝はもともと西王門家の出であるため、
その”象徴の具現”は”白い獅子”であった。
それはとても珍しい具現化だったが、
見る者が言葉を失うほどに美しく、そして強かった。
そして天帝妃はなんと”雌の獅子”。
生まれながらに彼らはお似合いであり、
それがなかったとしても相思相愛の二人だったのだ。
連れ添って20年近くの月日が流れた。
その悲しみは如何ばかりかと皆が案じる。
一同が沈み込む中、大臣の一人が意を決したように話し出す。
「これまで何度も、天帝様より
”帝位を誰かに譲りたい”とのお申し出がありましたが
前例がなく、またふさわしい者もいないということで
必死に説得し、見送って参りました」
天帝は政治家や国王、大僧正といった
”組織のトップ”とは異なり
生きながら神格化され、
紫禁城から世界を守る存在だ。
「しかし、天帝妃が笑顔でおっしゃったのです。
”もう大丈夫です。次の天帝が見つかりました”と」
皆の視線がレイオウに集中する。
彼女は必死に願っていたのだろう。
夫の心の重責を取り払うべく、
次の天帝にふさわしい者が現れることを。
そして、ついにレイオウを見つけたのだ。
彼女はすぐさま天帝に報告し、彼の同意を得た。
そして丞相の事件の収束を待って
やっとレイオウを指名し、帝位の譲渡を宣言したのだ。
正直、四天王家の間でも”間違いなく彼だ”と思われていた。
それほどレイオウは別格だったのだ。
レイオウは少し困った顔をしてつぶやく。
「そもそも天帝の成すべきことがわからぬ。
討伐でも治世でもないのだ。
確かに世界をお守りくださっているのは
四天王家が一番わかってはいるが……」
天帝の居室には”天系図”と”地系図”が鎮座してある。
”天系図”は天の気運や未来を現し、
”地系図”は現実世界を現す、と言われている。
それを用いて、天帝は”世界を守っている”と言われるが
具体的に何をしているのかは、
天帝妃すら知らないのだ。
次の天帝に代わる時も、別に引継ぎなども必要なく
天帝となった者が”天系図”と”地系図”をひとめ見れば
己のすべきことがわかるらしい。
クーカイも首をひねりながら言う。
「”天系図”は布でぐるぐる巻きにし、
宝物庫にほおり込まれていた……。
つまり”使っていなかった”ということになるな」
「それでも悪鬼の居場所はお教えいただけましたし、
その力も抑えられていました」
かばうように、セーランが兄に言い、
クーカイももちろんだ、とうなずく。
具体的な仕事について考え込む彼らに対し、
大臣は慌てた様子で手を振って言う。
「そのようなことは後でで良いのです。
今は、帝位を引き継いでいただき、
現天帝のお心を少しでも安寧にして差し上げるのが
我らの望みなのです」
いまわの際の天帝の心残りは、
やはりこの先のことなのだろう。
才能ある立派な若者が
自分の後を引き継いでくれると知れば
穏やかな末期を過ごすことができるかもしれない。
レイオウはしばし考え込み、
返事をしようと顔をあげるが。
「お待ちください、北王門どの。
天帝になられるには、条件がひとつございます」
人垣が割れ、奥から歩み進んできたのは。
「真麻姫!」
誰かが叫んだ。
父親譲りの銀髪に紫の瞳、
母親によく似た華やかな美貌。
彼女は天帝と天帝妃の、末の娘だった。
父が危篤だというのに、
いかにも姫、というようなドレスをまとい。
頭にティアラまで乗せているのを見て、
アヤハは内心、”噂どおりなのね”と呆れていた。
天帝と天帝妃は3人の子をもうけたが、
上の二人は誠実で堅実な人柄だと評判だった。
しかし末の娘は年が離れており、
幼い時分に天帝が病に倒れたため、
そして天帝妃が看病でかかりきりになったこともあり、
”天帝”という存在や、その家族がどのようなものか
あまり理解していないようだった。
おそらく自分の事を、
”世界を統べる王の娘”だと思っているようで
傲慢を通り越し、常に上からものを申す、と
侍女たちの頭を悩ませているのだった。
彼女は皆の前を堂々と横切り、
レイオウの前に立った。
そしてニコリともせず、彼を見上げて黙り込む。
レイオウはすぐに礼をし、
「天帝の御様子をお聞きし、
ご家族のご胸中はいかばかりかと
察するだに痛恨の極みであります」
マアサ姫は”何を言ってるの?”という顔で眉をひそめた。
もっと違う挨拶をして欲しかったのだ。
例えば”麗しの君”といって手にキスをするとか。
せめて”お会いできて恐悦至極に存じます”とか。
しかしレイオウはすぐに視線を大臣に送って話し出す。
「ともかく帝位については時期尚早だと思われる。
まずは父に報告し……」
「だから! 貴方が天帝になるには条件があるのです!」
無視されたと思ったマアサ姫がいきなり叫んだ。
びっくりして皆が見守る中、彼女は言ったのだ。
「もし貴方が天帝になりたいというのであれば、
私の婿になっていただきます」
何か言おうと口を開きかけたレイオウに、
畳みかけるようにマアサ姫が言う。
「当然ですわよね? 天帝の家系に入るのですから。
兄たちはすでに西王門へ戻っておりますし、
私しか継ぐ者がいないんですもの」
それを聞き、全員が思った。
”ああ、この方は本当に知らないのだ。
天帝の地位は世襲制ではなく、
四天王家から選ばれることを。
その家族は天帝が退くと同時に、
天帝の出身国に戻るということを”
だから彼女の兄たちは、
先んじて西王門へと戻っていったのだ。
大臣の数人が歩み出て、
その事実を告げようとした時。
レイオウが無表情のまま答えたのだ。
「それが条件ですか。では……」
マアサ姫は目を輝かせ、
クーカイやアヤハは目を閉じて口をぎゅっとつぐむ。
次にレイオウが何というか、
彼らには分かっていたから。
そして、案の定。
「では、お断りさせていただこう。
俺は天帝には成らぬ」
レイオウは歴史上初めて
”天帝の座を蹴った男”として名を残したのだ。




