61 謎の行商人
「セーランっ!」
外に出るなりクーカイが叫び、妹を抱きしめる。
ここまで、ずっと耐えていたのだ。
「お兄様、御心配おかけして申し訳ございません。
討伐自体はすぐに済んだのですが……」
抱きしめられたセーランが慌てて詫びる。
クーカイは身を離し、彼女の顔を覗き込んで言う。
「討伐のことはさほど心配していない。
あ奴らが用意する敵など、
辛酸を舐めて来た我々の敵ではないからな。
そうではない、セーラン!
元の姿に戻れたのだな!」
兄に言われて、セーランはやっと気が付いた。
そして着物を見ながら言ったのだ。
「ええ、そうなんです。久しぶりでしたので
着付けに手間取ってしまいましたわ」
違う! といわんばかりにアヤハが叫んだ。
「やっと戻れたんじゃない!
どれだけ心配していたことか」
みんな大蛇となったセーランに対し
明るく普通に接していたのだが
心の内では密かに案じていたのだ。
しかし当のセーランは重責から解放され、
さらには多くの娯楽に夢中だったため
たいして気にしていなかった。
大蛇の姿でも、漫画は読めるのだから。
アイレンも嬉しそうに言う。
「本当に良かったですね。
楽しみがまた増えますもの」
え? やっぱり娯楽なの? という顔でアヤハが見る。
しかし涙ぐんだクーカイはうなずき、
セーランの青く長い髪を撫でながら言った。
「ああ、そうだそうだ。
実はな、この美しい髪に似合う
真珠の髪飾りを用意してあるのだ。
淡い桜色のドレスもあるのだぞ?」
大蛇となったセーランに渡せずにいた
土産の数々を思い出し
クーカイは嬉しそうに語る。
「ありがとうございます、お兄様。
楽しみにしておりますわ」
そう言って笑うセーランを見て、アヤハは思った。
”どこか、前と違うわ”
元々セーランは美しい少女だった。
勉強と修行に明け暮れる生活に疲弊していたが、
それでもじゅうぶんに綺麗だった。
しかし今のセーランは、それ以上だ。
青い瞳は潤み、薔薇色の頬をしている。
自信と余裕に溢れ、幸福感を感じさせた。
”まさか……セーラン、あなた!”
アヤハは気付いたのだ。
セーランが恋をしていることに。
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「まあ、そんなことがあったんですね」
セーランの話を聞き終えて、アイレンは息をついた。
討伐を終えたはいいが、
見届け人はセーランを”討伐対象”だといい
賞金稼ぎたちに襲わせたのだ。
しかしそれを、偶然居合わせた男が助けてくれたのだと。
「まさかその方が、ジュアンのお兄さまだったなんて」
アイレンが感激しながら胸に手を当てる。
「知り合いか?」
「ええ、幼い頃に会ったきりですが。
動物が大好きな、朗らかで温厚な方でしたわ」
レイオウに聞かれ、アイレンが答えた。
セーランは彼を思い出しながらうなずく。
「ええ、とても優しくて爽やかな方ですわ」
そしてどこか惚気るように言ったのだ。
「それに慶春様が教えてくださったの。
あの家で悪い計画が立っていることを」
「待て! なぜその男はそれを知ったのだ?」
クーカイの問いに、レイオウがつぶやく。
「白い狐を使った、と言っていたな?
もしかすると、彼は……」
セーランは笑顔でうなずき、
彼から聞いた話を語り出した。
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「どういうことですの! お父様っ!
叔父様のせいで、私の立場は……」
「落ち着きなさい、今、ちゃんと説明する」
興奮する娘に、丞相は静かに答える。
しかし内心は荒れ狂っていた。
四天王家の4名は討伐を簡単に成功させてしまった。
そしてアイレンに窃盗の罪を着せる計画は失敗し、
しかもそれが世間に露見してしまったのだ。
”いや、まだだ。この子がいれば大丈夫だ”
吉祥天の親族である我々に逆らう者などいない。
そう思いつつ丞相が孫娘を見つめていたら。
「天命師さまがお見えです」
侍女の声が聞こえ、ガラッとふすまを開け、
天命師が駆け込んでくる。
「叔父様っ! いったいどういう……」
「なんだこれはーーーーっ!」
部屋中に響き渡る声で、天命師が叫んだのだ。
その目は、丞相もその娘も見ていなかった。
何か恐ろしいものを見るような目で、
部屋の四隅を見渡している。
「……どうした? 何が視える?」
弟の”能力”を知っている丞相が尋ねると、
天命師は震えながら答えた。
「なぜ、こんなものがこの部屋にいるのだ?」
そう言って、血走った目で丞相の娘を見て叫ぶ。
「お前! この部屋に客人を入れたのか?」
あまりの剣幕に丞相の娘は平伏して謝る。
「申し訳ございません! 古い友人でしたので」
丞相は庇うように弟に言った。
「あの三人は身元も”能力”も明らかな者だ。
何も問題はないはずだが」
天命師は部屋の隅を見つめたまま答える。
「……それ以外の者も入れただろう!
それもかなりの”能力者”を!」
「いいえ! 他には誰も入れておりません!」
天命師は顔をしかめ、クンクンと匂いを嗅ぎ、
娘の横に寝かされている赤子を覗き込んだ。
そしてヒイ! と叫んでのけぞった。
「なんだこれは! ”匂い”をつけられているではないか!」
力のあるものには見えるのだ。
赤子の額に付けられた印が。
丞相は娘に命じる。
「ここ数日のことを全て話してみよ!」
怯えながら娘が語ったのは
買い物の話ばかりだった。
さまざまな業者を呼びつけ、
”吉祥天の母にふさわしい”衣服や宝飾品を
次から次へと購入したという。
「御用達の店ばかりであろうな?」
父親の問いに、娘は小声で”たぶん”と付け足した。
あまりに多くの業者を呼び付け、
しかも”なるべく希少なものを”と望んだため、
見かけぬ売り子も何人か混ざっていたのだ。
「その中で、この子に近づいた者はいるか?」
天命師が尋ね、娘は必死に思い出そうとする。
「そんな者は……あ!
一度だけこの子を、売り子の側に
連れて行ったことがあります」
「なぜそのような危険なことを!」
「それはいったいどのような男だ!」
父と叔父が同時に叫んだ。
娘は震えながらも語り出した。
その男は他の商人に声をかけられて来た、
世界各国を回っている行商人だった。
”ハンサムな売り子が来ている”と
侍女たちが騒ぎ出し、
あっという間に囲まれていたそうだ。
その様子を見た丞相の娘は
彼を侍女の群れから取り上げ、
自分だけに商売をさせたのだ。
この家で、いやこの世界において、
良い物を得る権利があるのは自分なのだから。
目の前にかしこまる男は、
行商人にしては身のこなしに品があり
優し気で端正な顔をしていた。
彼は挨拶した後、
座敷に商品を広げて軽妙な口調で語り出した。
「ご出産されたばかりとお聞きしました。
本当におめでたいことでございます。
そうですね、どれをお勧めしようかな……」
そして目の前に並んだ珍しい品々の中から、
5つ並んだ可愛らしい人形を示して言う。
「これが良い。こいつぁ縁起ものです。
赤は武運、緑は健康運、黄色は金運、
青は学問や出世運、桃色は愛情運。
これには面白い習わしがありましてね?
赤子に自分で選ばせるんですよ」
「まあ自分で? どうやって選ばせるの?」
横にいた侍女が問うと、
彼はいたずらっぽい笑みを浮かべ
五色の布を取り出して言った。
「これを一番初めに引っ張った色が、
その赤子の選んだもの、ってことになります」
”面白い!”と娘も侍女たちも沸き立った。
そのような占いはみんな大好きだったのだ。
丞相の娘はいそいそと
赤子を奥から連れて来た。
そして彼の前に差し出そうとしたら。
「いえ、手前などが近づくのは失礼になります故」
と固辞し、五色の布を側にいた侍女へと手渡した。
彼の謙虚な振る舞いに好感を持ちつつ、
丞相の娘はそれを侍女から受け取り、
赤子の前に垂らしたのだ。
「さあ、何のお色を選びますかね?」
彼が言い、皆がワクワクしながら見守る中、
赤子はふと手を伸ばし、緑の布を掴んだのだ。
男は驚いた声で言う。
「こいつぁすげえ。”健康”をお選びとは!
健康は全てを得るようなもんだ。
他の運なんざ、健康が無ければ意味ねえからな」
確かにいくらお金があっても武術に優れても
健康でなければ何も出来ないのだ。
侍女たちや他の売り子が口々に、
”さすがは吉祥天さま”とほめそやし、
丞相の娘は誇らしさに歓喜した。
お代を払うと侍女が言うと
行商人は爽やかな笑顔でそれを断った。
「これはお守りとしてお贈りいたします」
と言い、緑色の可愛い人形をくれたのだ。
「間違いない……その時だな。
”匂い”を付けられたのは」
天命師が苦々し気に吐きだす。
その男が五色の布を自分で垂らさなかったのは、
皆がそちらに集中する間に、
赤子に”匂い”をつけるためだったのだろう。
娘は困惑顔で天命師に尋ねる。
「しかし、何も匂ってはおりませんが」
天命師は部屋の四隅を見ながら答えた。
「我らには匂わぬ……”神狐”が好む匂いだからな」
彼の目に見えていたのは、
部屋の四隅に鎮座する白狐たちだった。
輝くような白さに、ふさふさの大きな尾。
吊り上がった真っ赤な目、食いしばった歯。
明らかな敵意を自分と丞相に向けている。
「我らはずっと見張られていたのだ。
こちらの計画など、全て筒抜けだったであろう」
怒りと恐怖に震えながら、天命師はつぶやいたのだ。




