6 あきらめない幼馴染
「私とジュアン、あの道は通ってないのよ」
その言葉に、ツグロだけでなくその両親も凍り付いている。
アイレンはまっすぐツグロを見たまま、
とても残念そうに続けた。
「お土産をご用意するために、
いったん町に出るルートを通ったの」
楽団に行くのに、しかもリオに指輪を届けてもらうのに、
なんのお礼も渡さないのは気が引けたから。
「……嘘だ」
かすれた声で反論するツグロに、
アイレンは首を横に振る。
「本当よ。実際、お土産も買ったし、
町で何人もの人に会ったわ」
黙り込むツグロの代わりに、素野原氏が叫ぶ。
「別にあの道を通らなくても、どっかで落として
それを動物が運んだのだろう!」
「それは無理というものだ。
このケースには、害獣・害虫除けの機能がある」
アイレンの父が言う通り、
人間以外は触れることは出来ないのだ。
「では誰かが拾って、あの崖に投げ捨てたんですわ!」
素野原夫人も負けじと声を張り上げる。
それを聞き、素野原氏もツグロも
”そうだ! そうに違いない!”などと叫んだ。
アイレンの父はツグロに尋ねた。
「さっき君は、”アイレンの後を追いかけた時にこれを見つけた”
と言っていたね?
つまりアイレンは町に向かう途中の道でこれを落とし、
それを拾った者があの崖まで行って投げ落とした、
その後で君が拾ったことになる」
「……」
ツグロは気まずそうな顔で黙り込んだ。
アイレンとツグロが別れた後、
すぐに追いかけたというなら、
ほんの数分間の間だ。
限りなく不可能に近い話だし、
ひとめ見て高価とわかる宝飾品を投げ捨てる意味もわからない。
アイレンの父は、あえて優しい口調でアイレンに言う。
「まあ大丈夫だ。さっき言ったろう?
友人に頼んだ、と。彼ならすぐに解明するさ。
なんといっても帝都の警視だからね」
それを聞き、素野原家の三人の顔色が悪くなる。
帝都の警察は、とんでもない”能力持ち”しかいないのだ。
「そ、その必要はもうないだろう?
指輪は見つかったのだから。なあ?」
慌てるように言いながら、素野原氏は作り笑いを見せる。
アイレンの父は口元に上品な笑みを浮かべつつ、
首を横に振った。
「いや、もし誰かが投げ捨てたとしたら犯罪だからね。
それに、拾ったことに対する報酬を求められている以上
経緯を明らかにするのは避けられませんよ」
「は、犯罪だなんて、そんな……」
素野原夫人も動揺を隠せなかった。
しかしツグロは開き直ったようにつぶやく。
「……では、良いです。
あの道を通らなかったんだろ? アイレン。
じゃあこれは、アイレンのものではなかったんだ」
そう言って素早くポケットにしまい込む。
「いや、一度こちらに見せてくれないか?
アイレンの指輪ケースによく似ているから」
アイレンの父が頼んだが、ツグロは不貞腐れたような顔で断った。
「お断りします」
「ツグロ、どうして……」
「これ、僕が拾ったものだから僕のものだ。
君のじゃないなら、どうしようと勝手だろ?」
彼の後ろで勝ち誇った表情の素野原夫妻に、
アイレンの父は静かに告げた。
「……これまで我々は長いお付き合いをしてきました。
出来ることなら、不要な諍いは避けたいと願いますが」
「そう思うなら、最初からこちらの要求をのんだらどうです?
ツグロをアイレンの夫として迎えてくださいよ」
素野原氏の図々しい要求に、
アイレンの父が最終通告を告げようとした時。
「お嬢様、先ほどお呼びになった方がおみえになりました」
「ええ! すぐにこちらへ!」
執事の言葉に、アイレンは嬉しそうにうなずいて言った。
誰が来たのかと、皆が見守る中。
部屋に入ってきたのは、街の駐在さんだった。
「急にお呼び立てして申し訳ございません。
昨日のものが見つかったようですから」
「おおっ! もう見つかりましたか!」
アイレンの言葉に、駐在さんは驚いた顔で答える。
アイレンは自分の両親を振り返って言った。
「無いとわかってすぐ、
ジュアンが”まずは届けを出せ”って言ったの。
紛失した時刻と場所を公的に記録して、
無くしたことを認定してもらうために」
あの時ジュアンはまず、
アイレンに”遺失届”を出させたのだ。
それは、華族にはあまり無い発想だった。
仕事や、犯罪に関わったケースなら別だが、
何か落とし物をしたとしても、
個人的に人をやとって探したり、
新しいものを買うか、の二択なのだ。
アイレンの言葉に、ツグロは眉をひそめる。
公的に記録? 無くしたことを認定?
「で? それはどちらに?」
アイレンの父は経緯を説明した。
ツグロが崖で拾ったと言ったこと、
報酬を要求したこと、
返還を拒否していること、全てを。
平民である警察を軽く見ている素野原氏は
「お前は関係の無いことだ。さっさと帰りたまえ」
と言い、片手で追い払う仕草をした。
しかしアイレンは笑顔で否定したのだ。
「この件は届け出を出した時点で、警察の所掌となります。
私の指輪は遺失物として処理され、
見つかった場合は私のところへ戻してくれるの」
駐在さんはツグロに向かい、片手を差し出して言った。
「ケースをお出しください。確認いたします」
ツグロは怒ったような口調でそれを拒否した。
「これは違うよ! アイレンが通ってない場所に落ちてたんだから!」
「しかし第三者がその場所に投げたのかもしれない、
そう言ったのはあなた方だが?」
アイレンの父がすぐに言い返す。
自分たちの言葉に追い詰められ、
悔し気に黙り込む三人。
駐在さんはうなずき、ツグロに詰め寄った。
「お出しください。たとえアイレン様のものでなくとも
拾ったものである、というのは間違いない事実です。
拒否すれば遺失物等横領罪となります」
青い顔で震えていたツグロはゴソゴソした後、
顔をあげて小さくつぶやいた。
「……無くしたようです。ポケットにありません」
そう言いながらホラ、何も入ってないでしょう! と
自分の上着のポケットを大きく広げてみせる。
またもや”能力”を使い、どこかに移動させたのだ。
困惑する駐在さんに、アイレンの母が静かに言った。
「彼の背中側、上着の下。
ズボンのベルトにはさんでいるわ」
それを聞いたツグロが動く前に、
アイレンの父が彼の両腕を素早く抑えた。
駐在さんが派手に上着をめくると、
確かに背中側のベルトに、
アイレンのシグネットリングケースが挟まっていたのだ。
駐在さんからそれを受け取り、
アイレンは中身を確かめた。
それは確かに、アイレンのシグネットリングだった。
うなずくアイレンを見て、彼女の両親はホッと息をついた。
「遺失物を発見し、持ち主へと無事に返還!
良かったですねえ」
駐在さんが嬉しそうにアイレンに言う。
それを見て、ツグロが顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「アイレンのだというのなら、お礼は?」
「そうだ! そんな大事なものを拾ってあげたんだぞ!
こちらの要求通りにしてもらおうか!」
鼻息荒く詰め寄ってくる素野原氏に、
駐在さんが飄々とした調子で答えた。
「落とし物の価値の5%から20%の範囲内と決まっております。
プラチナの指輪ですから……まあまあの金額ですな」
それを聞いた素野原夫人が身をよじらせて抗議する。
「これは女性にとって大切な大切なシグネットリングですのよ?
金銭に換算できるものではありませんわ!
もっともっと価値のあるものなんですから!」
それに対しても困ったような顔で駐在さんは答えた。
「個人的な思い入れというのは無関係ですよ。
まあ落とし主が深く感謝しているなら
多少は上乗せされるかもしれませんが」
それを聞き、素野原氏はアイレンを睨みつけて叫ぶ。
「感謝するに決まっているだろう!
お前はそこまで恩知らずではないはずだ!」
アイレンは笑顔のまま、はっきりと言い切った。
「もちろん感謝はしますが、
こんなもののために未来を失うなんて馬鹿げてますもの。
これが手に戻ることの条件が”意味不明な結婚”なら
この指輪は無くしたままで結構ですわ」
バッサリと切り捨てられ、あぜんとするツグロたちに、
アイレンの父が最終通告を出した。
「この指輪を無くした経緯はいずれ明らかになります。
友人と警察がしっかりと調べてくれるでしょうから。
謝礼はその後、相談することにしませんか?
……互いのためにも」
「……そ、そんな。調べるだなんて」
動揺するツグロに、アイレンの父は厳しい口調で続ける。
「友人の”能力”は素晴らしいものだからね。
”能力”とは、正しく使うべきものだ。
犯罪に使った華族の成れの果ては、恐ろしいものだよ」
目を見開いたまま固まるツグロ。
彼の両肩に手を置いて、アイレンの父は少し悲し気に
小さな声で言ったのだ。
「まだ間に合うよ。君は行く道を選べる」
その言葉に、ツグロは一瞬泣きそうな顔になった。
アイレンを見ると、心配そうな顔でこちらを見ている。
ツグロは一瞬、何か言おうと口を開いたが。
その背後から、急にハハハと笑い声が響いた。
顔を赤くしたまま、目は怒りに満ちたままで、
素野原氏が笑い出したのだ。
「調べたければ調べるがいい!
ツグロが指輪を拾った礼として
この家に迎えてもらう、これは絶対に譲らんぞ!」
ずっとアイレンを狙ってきたのはツグロだけでなかったのだ。
父も母も、天満院と繋がりを持ち、
その財産の恩恵を得るために必死になっていた。
そしてこんな窮地になろうと、
目先の欲に囚われた彼らは
絶対に諦めることは無かったのだ。
ツグロの顔がみるみると、
彼らと同じ強欲で狡猾な表情へと変わっていった。
そしてアイレンに向かって、にらみつけるように言った。
「悪事にしろ、正しく使おうにも、
なんの”能力”も無い君はしょせん無力だ。
華族でいたいなら、この提案を受け入れろよ、アイレン」