50 四天王家に命じる
世間が”吉祥天がご降臨された”と大騒ぎする中、
ジュアンの家の和菓子屋には、
ずっと行方不明だった兄が現れたのだ。
「今さら何しに帰ってきたのよ!」
ジュアンが怒り狂うのも仕方なかった。
どうしても和菓子に興味が持てない、と言い
8つ上の兄が家を飛び出たのが6年前。
しばらくの間、ジュアンの両親は落ち込んでいた。
兄の学校の成績は良かったこともあり、
そこそこの経営者にはなれそうだったのだが。
しかし無理やり家を継いだとしても
経営も彼の人生も上手くはいかなかったろう、と思い
気持ちを切り替えたのだ。
何よりも。
「お父さん、お母さん、心配しないで!
私がこの家を継ぐから!
私、大好きだもん、和菓子!」
幼いながらもハッキリもジュアンが宣言したことにより
ジュアンを後継者として育てながら、三人で頑張ってきたのだ。
しかし心のどこかで思っていた。
”いなくなることは無かったじゃない。
家にいたまま、別の道を探せば良かったのに”
寂しさと怒りをどこかに抱えたまま、
ジュアンは成長したのだ。
そんな彼女の気も知らずに、
兄の慶春は左右を見つつも、
豪快に笑いながら答える。
「いやあ、仕事で帝都に来たんだが、
うちの店が支店を出したと聞いて驚いてさ。
ちょっと見に寄った、って訳だよ」
その言葉に、ジュアンは心の奥が痛んだ。
”見に寄った”ということは、帰って来た訳ではないのだ。
その反動で、さらに冷たく突っぱねてしまう。
「そうよ、アンタが居なくたって、
うちの店はぜんっぜん大丈夫なんだから」
いつも冷静で客観的なジュアンらしくない言動に
お店の売り子たちが動揺していた。
中から出てきて様子を見ていた古参の職人が
ケイシュンに向かって穏やかに言う。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん。
どうぞ奥にお入りください」
しかしケイシュンは通りを眺めた後、
笑顔で首を横に振った。
「よせよ、もう坊ちゃんじゃねえよ。
今日はほんとに立ち寄っただけだ。
仕事が済んだらまた来るよ」
そう言って、じゃあなと手をあげて去って行ってしまう。
トレイを片付けながらジュアンは唇をかんだ。
”もう坊ちゃんじゃない、というのは
子どもではない、というより……
この店とは、私たち家族とは関係ないってことなの?”
店子が気遣うようにジュアンに尋ねる。
「あの方が、行方不明だったお兄さんですか?
……お戻りになられるのでしょうか」
「えええ? 今さら?
この店が世界的に有名になって、
社長たちが華族の仲間入りしたからって?」
別の店子が非難するように叫ぶ。
彼女は兄という人物を知らないから、
そんなことを言うのだろう。
ジュアンは苦笑いしてしまう。
兄は”有名”とか”地位”とか”お金”とか
本当に興味が無いのだ。
昔から、ずっと遠くを見ていた。
そういう兄が大好きだったのに。
「さあ! みんな! 売り切るわよ!」
気合をいれるようにジュアンが声をあげ、
みんなもうなずく。
そしてそれぞれが戻っていった。
たくさんの商品をさばきながら、
ジュアンはふと思った。
”そういえば仕事って言ったわね。
何をしているのかしら”
兄がやたらとキョロキョロしていた事を思い出し、
どんどん不安が沸き上がっていく。
”もしかして、兄さん。誰かに追われてる?”
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「よくぞ参られた。新しき四天王の血族よ」
帝都の中央にある、天帝がおわす紫禁城。
その大広間に、レイオウ、アヤハ、クーカイ、
そしてセーランが並んでいる。
セーランが入場した時には、さすがの高官たちもざわめいたが
彼女があまりにも堂々としていたことと、
レイオウやクーカイが彼女を令嬢のように扱い、
アヤハともにこやかに歓談している姿を見て、
”象徴を具現”したままでいるだけなのか、と考えた。
つまりは本人がどう振る舞うか、
そして周りがどう扱っているか、という情報で
大勢の人は対応を変えるものなのだ。
めったに人前には出てこない天帝の代わりに
その場を仕切っているのは丞相だ。
恰幅の良い体にニコニコとした丸い顔。
とびきり有能だが、温厚で物腰が柔らかいと
役人だけでなく一般人にも人気が高かった。
「瑞祥の現れ、心よりお慶び申し上げます」
クーカイが頭を下げて述べると、
丞相は嬉しそうにうなずいた。
横に立つ最高位と思われる金の衣をまとった天命師が
おごそかな声で皆に告げる。
「吉祥天様がご降臨されたと、我らに天啓が下された。
この世の全ての者が永きに渡って待ち望んだ悲願であり、
これはいうまでもなく素晴らしき吉事だ」
頭を下げたまま、レイオウが眉をひそめる。
それに気付かぬまま、天命師は言葉を続けた。
「その方は唯一無二にして世界の宝。
貴重にして重要、もっとも尊いお方なのだ。
若き四天王家の面々よ、命に代えても、
吉祥天様をお守りいただきたい!」
しばしの間の後、全員が頭を下げて言う。
「承知いたしました」
レイオウが一人、違う言葉を返す。
「この世の《《平安のために》》尽くしましょう。
それが我ら四天王家の本義でございます故」
どこか含みのあるような物言いに、天命師の顔を曇る。
その口が何か言う前に、クーカイが問いかける。
「その方……吉祥天様がどちらに?」
「ええ、お守りするのに居場所を知らぬではなりませんから」
アヤハも同意し、はっきりと尋ねる。
「……若き天王様方は、
なかなか増長されていらっしゃるようですな。
実力が、それに見合うものなら良いのですが」
どこか馬鹿にしたような口調で天命師はつぶやく。
それを丞相がまあまあ、と取りなした。
「まだお若いのだ。元気があるのは何よりではないか」
そう言って、レイオウたちに向きなおって言う。
「改めて、儂から頼もう。
吉祥天様は……儂の孫娘としてご降臨されたのだ」
すでに知っていた高官たちが、いっせいに拍手を送った。
天命師も笑顔に戻り、高らかに告げた。
「その通り。丞相様の孫娘が吉祥天様だ。
皆、正しく敬い、あの方の発する全ての命に奉じるのだ」
レイオウがわざと不思議そうな声で尋ねる。
「お生まれになったばかりの姫君が
どのような命を?」
すると天命師は、今度はあからさまに怒りを見せて怒鳴ったのだ。
「なんという無礼を! 北王門は天意に逆らうと申すか!」
すると、それまで黙っていたセーランが静かに言ったのだ。
「あら、何故それが無礼となるのですか?
命に従えと言われ、その命が何かと問うことが無礼だと?」
ただでさえ迫力のある大蛇の姿である上、
真っ白な体に淡い青紫の鱗、
そして首と腕には美しい数珠を付けている。
実はセーランの好きな漫画”クリスタル・ストーリー”に
出てくる善良な蛇神の姿をマネしただけなのだが、
神聖さや高貴さを感じさせるには十分なビジュアルだった。
天命師は神に叱られたように動揺した後、
目をそらし、苦々し気に吐き捨てた。
「……今後は吉祥天を主軸に政を行えという神託が降りたのだ」
高官からは驚きの声があがる。
それは彼らも知らなかったのだろう。
天命師は丞相を見つめながら言った。
「そのため、吉祥天様が幼いうちは、
そのご家族が意をくむ。それに従ってもらおう」
その場が静まり返った。
つまりは。
”今後は天帝には従わず、
吉祥天をもたらした丞相家に従え”
そう言っているのだ。
全員が硬直する中、レイオウは再び頭を下げて言う。
「天意をしかと承りました」
天命師は安心したように、ほっと息を着くが。
レイオウは顔を上げ、はっきりと告げたのだ。
「それに従うかどうかは、別ですが」
丞相が顔をゆがめ、天命師が吠えた。
「何を言い出す! 北王門!」
高官たちはオロオロするばかりだった。
レイオウは涼やかな顔でそれを無視し、退出の挨拶をする。
さらに何か言おうとする天命師に、笑顔で言ったのだ。
「この後、天帝妃に呼ばれております故。
……失礼いたします」
それを聞いた天命師の顔色が悪くなり、
すがるように丞相を見る。
丞相は目を細めて首を横に振った。
これを引き留めるのは悪手だと言っているのだ。
しかし丞相は、レイオウに続き、
クーカイやアヤハ、セーランも退出していくのを見て
さすがに声をあげて呼び止めた。
「若き四天王家は、天命を恐れぬようですな」
その言葉を聞き、先頭を歩いていたレイオウが振り返って言う。
「天命とやらもずいぶんと恐れ知らずに思うが?
俺の”破邪顕正”は相手を選ばぬぞ」
その言葉に、丞相は目を見開いて震える。
天命師は傍からみて分かるほど青くなっていた。
そしてレイオウ達が去った後も、
思うように事が運ばなかったどころか、
自分たちの”計画”に黒雲が立ち込めていることに
気付かずにはいられなかったのだ。