44 悲しい歴史
妹のセーランが乳母に騙されているらしい、と聞き
東王門家の嫡男 空槐は飛龍に姿を変え
大急ぎで飛んできたのだが。
時すでに遅し。
セーランは最悪の形でその事実を知ってしまい
信頼していた者に騙されたことだけでなく、
今までの努力が無駄になったことに対する怒りと悲しみで
”龍”ではなく”大蛇”へと変容してしまったのだ。
そして大蛇はまだ暴れ続けていた。
身近な大木へと巻き付いたかと思うと、
それをバキバキ……とへし折ってしまった。
「あれが……わが妹……。
蛇となってしまうとは!」
飛竜は人間の姿へと戻り、苦し気につぶやく。
彼はよろけるように前へ出て、レイオウに並んだ。
青く長い髪を背中で結んだ美しい青年は
やはりセーランと面差しが似ている。
その目は見開かれ、大蛇を凝視していたが、
すぐに顔をゆがめてこぶしを握り締める。
彼は、震える声でつぶやく。
「……なんということだ、
”象徴の具現”に失敗した者を、
東王門家から出してしまうとは」
人の姿に戻ったアヤハが必死にかばう。
「セーランの苦しみを思えば、仕方のない事です。
とりあえず元の姿に戻れるよう……」
「それが無理なことを知っておろう! 南王門の姫よ!」
前を見たまま空槐は声を荒げ、
アヤハはうつむき、両手で顔を覆う。
その通りだった。
王家にとって”象徴の具現”は名誉なことだ。
南王門家は鳥、東王門家は龍。
それに成ってこそ、王族の証だから。
もし成れなかった場合は臣下へと下ることになる。
それはそれで、一門を支えることに変わりはなく、
いささか不名誉ではあるが、悲劇では無いのだ。
しかし”成り損なった”場合。
どうやってももう、人間の姿には戻れない。
一生を中途半端なままで生きるしかないのだ。
たいていは醜い異形の姿となるため、
身内が泣く泣く斃し、弔ってやることになる。
だからレイオウは、空槐が来る前に
事態を収束したかったのだが。
「待て、結論を急ぐな。まずは万策を試してからだ」
レイオウの言葉に、クーカイは目を閉じて言う。
「なんという醜く恐ろしい姿になってしまったのだ。
哀れなセーラン。おお天の神よ、
我が妹が何をしたというのだ?
常に努力し、慎み深く優しいあの子が!」
クーカイの目の端から、涙が流れ落ちる。
そして刀を構えて叫んだ。
「いま兄が、お前を全てから解放してやろう!
怒り狂い、我を忘れているうちに……」
「だから、待てと言っているだろう!
東王門は真面目だが融通が利かぬ!」
レイオウが怒って制止するが。
セーランの兄は、涙をぬぐった後、
努めて冷静な声で宣告する。
「いいや、あれが街に出てはもう遅い。
俺は東王門家 嫡男として
あの大蛇を討伐対象として指定……」
「空槐っ!」
レイオウが叫んでその前に立ちはだかり、
アヤハは空槐の袖をつかんだ。
やはり彼女が人々を襲い、被害を出してしまう前に
”身内の不始末”として自ら殺すつもりなのだ。
にらみ合うレイオウとクーカイ。
しかし、その時。
のほほん、とした声が聞こえたのだ。
「討伐対象ではなくて、保護対象の間違いですわね。
だってあの方は、とっても貴重な方ですもの」
三人が振り返るとそこには。
アイレンとジュアンが立っていたのだ。
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「討伐の必要はありませんわ」
そう言ってアイレンは、片手を挙げた。
それを合図に、裏門から樽を転がしながら
男たちが入って来たのだ。
「では、順番にお願いいたします!」
初めの男が勢い良く、大蛇へ向かって樽を転がした。
それはぶつかる直前、セーランが叩き潰す。
中から勢い良く、水があふれ出す。
「そんなものであれが倒せるか!」
クーカイが叫ぶと、アイレンはムッとして言い返す。
「倒すつもりなどありません!
セーラン様が傷つかないよう、
古く壊れやすいものを選んだのですから」
男たちは順々に、樽を転がしていく。
決して複数個を同時には投げたりしない。
あくまでも、次々と、休みなく、だ。
セーランはそれを尾っぽで打ち返したり、
頭部で叩き潰したりする。
たまに”縄を自在に動かす”、という
元々セーランが有していた”能力”を利用して
転がって来た樽に巻き付かせた後、
締め付けて破壊している。
「あ! あれは!」
アヤハが叫んだ。
セーランが潰した樽から、
キラキラとスパンコールが飛び散ったのだ。
セーランは驚いたように身を引き、
周囲に飛び散るそのキラキラを見た。
しかし慌てて、次に転がって来た樽を尾っぽで叩き割る。
すると今度は中から、たくさんの花びらが舞い散った。
全ては中に、アイレンが仕込ませたのだ。
破壊と同時に、爽快感や幸福感が得られるように。
アイレンの意を察したレイオウが、
風を起こし、転がる樽の勢いを増した。
つまりこの”ゲーム”の難易度を上げることで、
セーランがさらに樽の破壊に集中できるようにしたのだ。
案の定セーランは、転がる樽を勢いよく破壊していく。
大蛇の体の扱いにも慣れてきたようで、
その攻撃方法は合理的で的確なものに変わっていった。
「さすがです! 素晴らしい攻撃力ですわ!」
アイレンが褒めるので、クーカイはとまどう。
しかしその動きが少しずつ鈍くなっていく。
さすがに疲れてきたのだ。
それに気づいたアイレンは次の指示を出した。
裏口からテーブルを運んでくるウェイターとともに、
新たにコック姿の男たちが入ってくる。
全員、クローシュ(銀色の丸い蓋)を被せた
大きなお皿を両手で持っていた。
その後には二人ががりで大きなトレーカートを運んでくる。
上には目にも華やかなホールのケーキが並んでいた。
「娘よ! どういうつもりだ!」
クーカイの叫びを無視し、
アイレンは彼らに指示を出す。
彼らはうなずき、庭にそれを設置し、
一礼して去って行った。
最後の樽は、中途半端なところで転がった。
それを潰そうとやってきたセーランは
たくさん並んだ食べ物を見つけ、体を硬直させる。
そしてテーブルごと叩き潰そうとしたが。
「あの乳母が食べるなって言ったから?
まだあの人の言うことを聞くのですか?」
そう言ったのはジュアンだった。
「うるさい! あんな命令、二度ときくものか!」
セーランはそう答え……手前にあったステーキに噛みついた。
真っ赤な目を細め、何度か咀嚼した後、のみ込んでいく。
そして思わずつぶやいた。
「お、美味しい……」
たくさん動いでお腹が空いていたのか、
テーブルの上の御馳走を次々と食べていく。
ローストビーフ、スペアリブの煮込み、チキンの丸焼き。
最初は丸飲みに近かったが、
だんだんきちんと咀嚼し味わうようになる。
そして並んだホールケーキを見つけると、
真っ赤だった目が青紫へと変わった。
「まあ、なんて可愛いケーキでしょう!」
そう言ったあと、少しとまどったが
思い切ったようにパクリ、とかみつく。
そして目を閉じて、上を向いている。
もう一度目を開いた時は、真っ青な目になっていた。
元々のセーランの瞳と同じ色だった。
体の鱗も毒々しい紫が、どんどん薄くなっていく。
セーランはケーキをひとつずつ食べていく。
その目から、涙をこぼしながら。
「ずっと、食べてみたかったの。
……私、まだいろいろやりたいことがあったのに」
セーランはもう、冷静だった。
だからこそ、自分が”象徴の具現”に失敗し
もう二度と元の体には戻れないことを理解していた。
兄がこの場に来ていることも、
刀を構えていることにも気付いていた。
そして、その目から涙がとめどなく流れてることも。
セーランは驚き、嬉しくなる。
厳格な父に似て兄はいつも、セーランに厳しかった。
あの常に冷静で理知的な兄が、泣いているなんて。
「お兄様、お手間をおかけいたします。
この恥さらしな姿をどうか滅していただけますか」
「蛇は恥さらしなどではありません。
前にも申し上げた通り、財運を司る素晴らしい存在です」
ジュアンがすかさず抗議の声をあげる。
「それに、あなたは世界で唯一の、希少な存在なのです。
何よりこの先、自分自身のために生きてみませんか?」
アイレンの言葉に、セーランは首を横に振った。
「それは無理です。私はもう、
この姿でしか生きることができません」
クーカイが歯を食いしばり、アヤハも涙を押さえた。
しかし、アイレンは強い調子で言う。
「だからこそ、なのです。
これまでの歴史、セーラン様の置かれた状況になった王族は皆
一人残らず悲劇的な最期を迎えたのです。
貴方もそうするおつもりですか?
妹に手をかけた兄が、この先
心から笑えるとお思いになりますか?」
セーランは叫んだ。
「では、どうしろというの?
この姿で生きろと言うの?」
アイレンは首を横に振る。
「そのままで生きるべきとは微塵も思いません。
セーラン様、みなで探していきましょう。
”元”に戻る方法が、本当にないのかを」
レイオウもうなずき、セーランに語り掛ける。
「前例がないのは、探し続けた者がいないからだ。
皆、同族によってすぐさま始末されたからな。
俺も昔から納得がいかなかったよ」
セーランはうつむき、涙をこぼす。
「でも、何年経っても……一生戻ることができなかったら」
アイレンもうなずく。
「もちろん、ある程度の期間をもって
策の練り直しはしなくてはなりません。
だから一番大事なのは、その姿でいかに幸せに生きるか、です」
意味が分からず小首をかしげるセーランに、
アイレンは笑顔で言った。
「食べたいものを食べ、やりたかったことをしましょう。
旅行にも行ったり、ごく普通に学校にも通うのも良いです。
今までの哀しい歴史を、セーラン様が塗り替えるのです!」