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42 セーランの変容

 セーランは自室で鏡を見ている。

 もう夜だというのに、灯りもつけずに。


 そこに怒り狂った表情の乳母が駆け込んできた。

「ちょっと! 姫様っ!」


 セーランの返事も待たずに、

 乳母は怒鳴り散らす。

「レイオウ様がいらっしゃったんですって?

 どうして私を呼んで下さらないのです?

 あんなに言ったでしょう、まずは私が出て……」


 セーランは鏡を見たまま尋ねる。

「先にお会いして、何をお話になるつもりだったの?」

 かすれたようなその声を(いぶか)しみながらも

 乳母はイライラと答えた。


「……世間話に決まっているでしょう。

 姫様が美しく身支度を整える時間を

 私が稼いであげる、という思いやりですよ!」


 セーランはそのままの姿勢で否定する。

「それは嘘ね。レイオウ様に頼んで、

 話を合わせてもらうつもりだったのかしら?」


 乳母はハッとし、小さな声でつぶやいた。

「えっ、校門でお会いしただけではないの?

 さっき侍従は、そう言っていたのに……」

「そうでしょうね。

 私が、乳母には”そう言え”と命じたから」


 淡々と述べるセーランに、乳母は固まってしまう。

 あまりにもいつもと様子が違うのだ。

 これは……間違いない。


「……お聞きになったのですか?」

「あら、何を、かしら?」

 セーランの声に、からかうような調子が含まれる。


 黙り込む乳母に、セーランはつらつらと告げた。

「本当は婚約など結ばれていなかったこと?

 それとも、レイオウさまには心に決めた娘がいて、

 その方と婚約が決まっていたこと?

 帝都でご購入されたたくさんのプレゼントは

 その方に全て贈られたということ?」


「ええっ! レイオウ様がご婚約ですって?!

 どこの娘ですか? いつの間にそんな」

 それを聞いた乳母は仰天し、目をむいて叫んだ。

 どうやら本当に、何も耳にしていないらしい。


 今の時間までおそらく、

 いつもの美容院で髪を整えてもらったり、

 爪を美しく染め上げてもらっていたのだろう。


 身綺麗にするのは”セーランのため”と言いながら。


 セーランは乳母に背を向けたまま言う。

「北王門家はもちろん認めているし、

 南王門家も、西王門家すら知っているそうよ。

 きっとお父様もお兄様もご存じでしょう。

 ……私以外は、みんな、ね」


 鏡を見つめ続けるセーラン。

 全てバレたと思った乳母は舌打ちし、

 大慌てで誤魔化そうとする。


「あーあ、なんと不甲斐ない。

 姫様がいつまでたっても北王妃として不十分だから、

 他の娘に横取りされてしまったのですよ!」


 クスっと笑い、セーランは言った。

「関係ないのよ。だってレイオウ様は、

 幼い頃から妻にするのはアイレンだと決めていたそうよ。

 私がどんなに努力しようとまるで意味がなかったの」


「えっアイレンですって?!

 あの天満院家の生意気な娘を?!」

 レイオウの相手が、

 自分に歯向かってきた華族の娘だと知り

 乳母の頭に血が上った。


「ありえませんわ! 華族ふぜいが!

 でも、確かあの娘は”無能”だったわよね?

 何の”能力”も無いくせに、北王妃が務まるわけ……」


「別に務めなくてかまわないのよ、あの娘は。

 レイオウ様はね、何の”能力”も持たない彼女を娶るために、

 一人で全ての敵を倒せるほどの強さを身に着けたそうよ。

 ”戦いになど出すものか、

 アイレンは安全な場所でのんびり暮らせば良い”ですって」


 フフフフフ……可笑しくてたまらない、

 というようにセーランは笑う。


 乳母は憤慨して叫んだ。

「なんと信じがたいこと! そこまで愛されているとは! 

 ああ、悔しい、私の計画が全て狂ってしまった」

 そしてその苛立ちはセーランへと向けられる。


 ずっと鏡を見続けるセーランに対し

 あざけるような、馬鹿にした声で言う。

「まったく情けなくて涙も出て来やしない。

 姫様は無能の華族にも劣る、ということですよ?

 ああ、出来の悪い(あるじ)に着くと、

 臣下の未来も真っ暗だわあ」


 気が弱く自己肯定感が低いセーランを、

 もともと軽んじていたこともあるが

 もはや”セーラン想いの、仕事の出来る乳母”を

 演じる意味はなくなったのだ。


 しかし乳母の暴言を無視して、

 セーランは静かに問うた。

「ねえ……今までのたくさんの花やプレゼント。

 あの贈り物はどなたから?」


 乳母は腕を組み、吐き捨てるように言う。

「私に決まっているでしょう!

 たまにああでもしないと、

 姫様はすぐにやる気を無くすんだから!」


 そして口の端をゆがめて、

 馬鹿にしたように言い捨てる。

「他に誰が、姫様なんかに贈り物を贈ると思います?

 私に感謝して欲しいくらいですわ!」


 セイランはゆっくり立ち上がった。

 そして振り向かないまま、くぐもった声で言う。


「ええそのとおりね。レイオウ様にも言われたわ。

 ”私には一度も贈ったことは無い”って。

 公衆の面前で、そう言い捨てられて。

 ……ねえ、私がどれだけ恥ずかしく、

 惨めだったか貴方にわかる?」


 乳母はさすがに目をそらした。

 レイオウが否定することは予想できたが

 ”照れていらっしゃるのよ”と誤魔化すつもりだったのだ。


「”私の婚約者”だと貴女が広めた方に、

 大勢の間で激しく拒絶され、否定され……」

 セーランは振り返りもせずにつぶやく。

 しかしその肩は、ガタガタと震えている。


 乳母はやっと気づいた。


 セーランは落ち込んでいたのではない。

 激しく、とても激しく怒り狂っているのだ。

 ……自分に対して。


 まずい! そう思った乳母は大慌てで叫んだ。

「全ては姫様のためだったのです!

 天帝に次ぐ北王門家に嫁げば、

 姫様の地位は確かなものになりますから!」


 セーランは首を横に振った。

「違うわ。 貴女は王妃の乳母として

 ”(つぼね)”の地位が欲しかっただけでしょう?」


 (つぼね)になれれば、身代を死ぬまで保証されるのだ。

 多くの侍女や侍従を従え、権力を振るうことも出来れば、

 贅沢を楽しむことも可能だ。

 しかも戦いや政務などの義務からも解放され、遊んで暮らせる。


 図星をさされ、乳母は否定しようかと思ったが。

 セーランは必死につかんだ、自分の”手駒”だ。

 出世のステップアップとして、

 まだまだ動いてもらわなくてはならない。


「ええ、その通りでございます。

 姫様に身を尽くしてきた私のために、

 どうか少しでも高い地位の方に嫁いでくださいませ」


 そして片手を頭に当て、考え出す。

「んもう、”北王妃”が失敗だなんて。

 ……いえ、まだ諦めるのは早いわ。

 ではセーラン様を正妃に、

 あの娘を愛妾に、と進言しましょう!」

 名案を閃いた! という顔で、乳母は叫んだ。


 しかしセーランは見ていたのだ。

 あの(とろ)けるようなレイオウの顔を。

 彼にもし、”自分を正妻にしてアイレンを妾にしろ”、

 などと言おうものなら。


「そんなこと進言してごらんなさい?

 すぐさま切り刻まれるわよ。

 そんなことより……」


 なおも自分を説得しようとする乳母に、

 セーランは低い声で言った。

「……よくも騙したわね、私を」


 そして鏡台に座ったままのセーランの首だけが

 ぐるりとこちらを向いて問うたのだ。

「絶対に許さない」


 乳母は言い訳しようとして、ゾッとした。

 セーランの顔は180度、こちらを向いてる。

 しかし、肩から下はそのまま鏡を向いているのだ。


 そしてその目は真っ赤で、瞳が細く縦長だった。

 ……まるで爬虫類の目のように。


「あの方のためと言われ、

 あんなに毎日毎日、努力を重ねたのに。

 休まず、楽しむことも許されず。

 不十分だと、まだ足りぬと責められ!」


 悔しい、悔しい、悔しいーーー!


 セーランの首が長く伸び、太くなっていく。

 胴もどんどん伸びていくが、代わりに手足は消え去った。


 ひいっ! と声をあげながら、乳母は一瞬、

 セーランが東王門家の”象徴の発現”を

 始めたのかと思った。


 だが、違ったのだ。


 美しかった顔は平たく伸び、口は耳まで裂けている。

 鱗は徐々に、黒いまだらのある毒々しい紫へと変わっていく。

 一抱えもあるような太い胴体をクネクネとのたうち回らせ、

 セーランだったものは、どんどん変容していった。


 全身に鳥肌が立ち、乳母は震えが止まらず、

 悲鳴をあげることすらできなかった。


 南王門家の者はその”象徴”である鳥になることが出来る。

 西王門家は”虎”などの肉食獣だ。


 そして東王門家の者は”龍”。

 セーランの父王は黒龍、兄は飛龍となれる。


 しかしまれに、龍になることができない者もいた。

 ……それならば、まだ良い。


 最悪なのは”龍になり損なってしまう”者だ。


 セーランは、まさにそれだった。

 つまり東王門の者にとって、

 最悪の”発現”になったのだ。


 乳母の目の前でとぐろをウネウネと巻き、

 先が二つに割れた舌をチロチロと出しながら

 平たい頭部をこちらに伸ばしてくる姿は。


 あの優し気な美姫はどこにもいなかった。

 セーランは”龍”ではなく。


 やっと声が出た乳母が叫んだ。

「だ、大蛇(だいじゃ)に!

 姫様が大蛇にお成りになってしまわれた!」


 そこには巨大な大蛇が、

 鎌首をもちあげ乳母を睨んでいたのだ。



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