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4 盗まれたシグネットリング

「で、もうリオはいないのに、なんであの家に行くの?」

 ぶらぶらと横を歩きながらジュアンがアイレンに尋ねる。


 アイレンは立ち止まり、恥ずかしそうな顔で

 バッグから小さなケースを取り出す。


 そしてその蓋を開くと、中には指輪が入っていた。


 宝石が付いているわけでもない、

 どちらかと言えば無骨な作りにもみえる。

 しかも一部が平らになっている指輪だ。


 ジュアンは不思議そうにそれを見て言った。

「これ指輪だよね? 男物?」

「ううん。私のものよ。

 ”シグネットリング”っていうのよ」


 そう言いながらアイレンは指輪の平らな部分を見せる。

 そこには複雑な文様と古代文字が描かれていた。


「ここね、印になってるの」

「ハンコ? 面白いね!

 指輪型の印鑑なんて」


 ジュアンは単純に面白がっているが、

 実は華族にとってはかなり重要な意味を持つ代物なのだ。


 さまざまな契約に使われるだけでなく、

 女性にとっては自分の分身とも言える存在だ。


 つまり、これを相手に渡すということは、

 相手に自分の全てをゆだねる、という意味を持っている。


 アイレンは両手でそれを包みながらつぶやく。

「これを、リオに届けてもらおうと思って」


 リオは別れ際、自分は先に出立するけど、

 仲間の楽師は後でここを離れる、と話していた。

 すでに請け負った仕事もあるから、

 急に全員が居なくなることはできないんだ、と。


 ”お守りに”と、リオは何よりも大切にしていた龍笛をくれた。

 アイレンも何か自分の大切なものを彼に渡したかったのだ。


 察しの良いジュアンは、これがとても大事なものであり

 リオに渡すことにも意味があるのだと理解した。


 だからニヤニヤ笑いながらも、

「よし! 早く行って、届けてもらいましょ!」

 とアイレンの手を引こうとした、その時。


「僕も一緒に行こうかな」

 ジュアンとアイレンが振り返ると。


 そこにはツグロが立っていたのだ。


「え、いつから居たの?」

「ついさっきからだよ。二人とも話に夢中で、

 声をかけ辛かったんだ」

 驚くジュアンに、ツグロは苦笑いで返事をする。


 アイレンは指輪の入ったケースを

 丁寧にバッグへとしまい込み、

 ジュアンと一緒に歩き出した。


 ツグロはそれをじっと見つめながら、

 アイレンの片側を歩き出す。

 しかし指輪には触れず、さも残念そうな顔で言ったのだ。


「……挨拶も出来ずに行ってしまうなんて。

 すごく残念だよ。来年の春が待ち遠しいなあ」

 スラスラと、心にもないことを言いながら歩きだす。


 つまりツグロは、本当につい先ほど現れたのだろう。

 アイレンのところにリオが来たことは知らないのだ。


「ええ、本当に」

 挨拶どころか、将来の約束までした、なんて言い出せず

 アイレンは不器用な笑顔でうなずく。

 隣でジュアンも笑いを押し殺すような顔で黙っている。


 ツグロは悲し気な顔で、アイレンに尋ねる。

「こんな風に別れるなんて始めただからなあ。

 戻ってこないかもしれないと思わない?

 もう、会えないかもしれないよ?」


「うふふ、ツグロったら悲観的ね。そんなに寂しい?

 大丈夫よ、絶対また会えるわ」


 アイレンは笑顔でそれを否定したが、

 その明るさに気分を害したかのように

 ツグロは強い口調で反論した。


「帰ってきたとしてもだ。

 もう、友だちではいられないだろう」

 ツグロの言葉の意味を、

 アイレンとジュアンは別の意味でとらえた。


 ジュアンがうんうんとうなずきながら言う。

「そうよねえ。もう、友だちではないわね」

 自分の味方をしてくれたと勘違いしたツグロは

 ニヤリと笑いながらジュアンに言う。


「まあ、ジュアンとはずっと友だちでいてあげると良いよ。

 同性だし、平民の友人ってのを一人くらいはさ。

 時勢を知るには必要だからね」


 どこか見下したような物言いに、

 ジュアンだけでなくアイレンも黙り込む。


 アイレンが冷静な口調で、ツグロをたしなめる。

「友だちは利益のためにつき合うものじゃないわ。

 そもそも私は……」


 言いかけるアイレンを片手で制して、

「ともかく、あいつが戻ってきたとしても

 アイレンや俺たちとはもう、住む世界が違うんだよ!」


 やっとツグロの言う”友だちではいられない”の意味が分かり

 ジュアンが憤慨しながら言い返した。


「本当に差別意識が強い華族様だこと!

 みんながみんな、そうだとは思わないことね!

 少なくともアイレンの御両親は絶対、

 そんなことは言わないわ!」


 その通りだった。

 ツグロもそれは否定できず、

 悔し気にジュアンをにらみつける。


 二人の視線が火花を散らす中、急に笑い声が聞こえ、

 ジュアンもツグロも驚いてアイレンを見た。


「うふふ、嫌だわ、ツグロったら面白い。

 住む世界が違うなんて、ファンタジーみたいね」

「えっファンタジー?

 いや、生活というか、人生というか……」


 必死でその意味を伝えようとするツグロに、

 アイレンは朗らかな口調で告げたのだ。


「住む世界はね、残念ながら、この世に一つなの。

 いま私たちが暮らしている、この世界だけ。

 みんな他にはどこにもいけないの」


 だから。

「たった一つしかないものを、

 勝手に分けようとしても無理よ」


 ジュアンは吹き出し、ツグロは話が通じないと思い

 イライラと首を乱暴に横に振った後。


 ツグロはアイレンにグッと近づいてきた。

 彼女の両肩をつかみ、震える声でつぶやく。


「現実を見ろよ。華族でいたいと思わないのか?」

「お父様やお母様と家族でいたいとは思いますけど」

 アイレンは当たり前のように答える。


 その答えを聞き、脱力したようにツグロは

 両手をアイレンの肩から荷の腕、そして手首へと

 ズルズルと滑らしていく。


 そして力なくダラン、と両手を下げた後。


 ふう、とため息を付き、

 両手をポケットに入れ、

 背中を向けて歩き出した。


 そして振り向き、アイレンに言う。

「……後でちゃんと話そう。

 きちんと僕の話を聞けば君にも分かるだろうし、

 君の気持ちも変わるさ」


 そう言って、足早に去って行ったのだ。


「……何あれ」

 遠ざかっていくツグロを見ながら、ジュアンがつぶやく。


 しかしすぐに気を取り直したように、

 アイレンに向かって元気よく笑った。

「さ、さっさと行きましょ!」


 アイレンはうなずき、

 リオの楽団が拠点にしていた家屋をめざした。


 ーーーーーーーーーーーー


「すみません、あの」

 忙しそうにしている楽団員たちにアイレンが声をかけると、

 中から太鼓を担当している恰幅の良い男の人が出て来て

 豪快な声で出迎えてくれた。


「ああっ! アイレン様!

 急な出立で申し訳ございません!」


 挨拶をすませると、忙しそうな彼を気遣い、

 アイレンはすぐに用件を伝えることにした。


「あの、リオに渡していただきたいものがあるんです!

 と、とても大切なものなんです!

 お願いできますでしょうか!」


 緊張と恥ずかしさで声をうわずらせながらアイレンが言うと

 太鼓担当の男は顔をひきしめ、

 片膝をついて答えた。


「もちろんです、お任せください。

 若君に、確かにお届けいたしましょう。

 この命に代えても!」

「い、いえいえいえ、命には代えなくて良いです!」


 そう言いながらアイレンは慌てて答える。

 そんな彼女に、太鼓担当の男は笑顔で尋ねた。

「で、何をお届けすればよろしいのでしょうか?」


 アイレンは慌ててうなずき、バッグに手を入れる。

「あ、あの、これを……あれ? あの……」


 ずっとゴソゴソしているアイレンを

 不思議そうに見ていたジュアンが、

 急にハッとした顔で叫んだ。

「……まさか、無いの?」


 その言葉に、泣きそうな顔でアイレンが答えた。

「無いの……どこにも」


 アイレンの大切なシグネットリングは

 厳重にしまい込んでいたはずのバッグから

 ケースごと消え失せていたのだ。


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