36 帰還
ここは北王門家の大広間。
玉座に現当主である北王が座っている。
その両側を、”四天王家でも最強”といわれる
宰相や武将たちが並んでいた。
大きな扉が開き、侍従が声を張り上げる。
「若がお戻りです!」
「……通せ」
北王が短くつぶやく。
しばしの間の後、一人の青年を先頭に
旅装束のままの一団が大広間へと入って来た。
その姿に、臣下たちから静かな賞賛の声があがる。
北王と同じ銀髪碧眼で
背が高く、体躯はしっかりとしているが、
その顔は輝くように美しかった。
”傾国の氷晶妃”と讃えられた母譲りの美貌だ。
北王門家の嫡男、怜王。
一年前に見た時はまだ少年の面影があったのに
立派に成長したその姿は、
大国の王子としてだけでなく
四天王家最強の一族としての威厳も兼ね揃えていた。
「ただいま戻りました」
片膝をついて頭を下げる彼に、
父王ではなく横に立つ宰相が挨拶もそこそこに言う。
「若、いささか時間がかかり過ぎたのでは?
我々はまだ、東西南北の各所に現れた
”羅刹”を倒さねばならぬというのに」
その辺の兵では束になっても倒せぬほど凶悪な
”羅刹”が随所で暴れまわっているのだ。
「ここしばらくは身を潜めているようだが
尋常ではない強さと聞きます。
1体でも多く、倒していただかねばなりません」
武将もうなずきながら彼に言う。
別に彼らはレイオウに厳しく冷たいわけではない。
この世にはびこる夜叉や羅刹、妖魔を率先して倒す、
それが嫡男の仕事であるからだ。
北王も、レイオウも何も言わない。
一人の武将が、業を煮やしたかのように言う。
「もし独りでは討伐がお厳しいようでしたら、
早く”番”となる者をお決めください!」
その言葉を聞き、他の者も声をあげた。
「東王門家の姫は”賢く強い”と聞き及んでおります。
何より再三のお申し込み、これ以上は無視など……」
「一度も無視などしたことはない。
全て、はっきりと断っている」
レイオウは無表情のまま答える。
「しかしながら、”番”の力を得ることで
我々四天王家は強さを安定させてきたのです!」
四天王家にとって王妃とは、内政だけでなく
先頭にとっても王の片腕として働く者なのだ。
けっして煌びやかな服を着て微笑んでいるような存在ではなく、
外交や施政、そして討伐にも参加しなくてはならぬのだ。
それに加え、世継ぎの出産と育成。
並の人材では、こなすことなど出来ない務めだ。
「どうか、ぜひ……」
なおも食い下がる臣下たち。
レイオウは立ち上がり、最後方の侍従に合図する。
その侍従は前に出て、持っていた大きな箱を開いた。
レイオウはそこから1本の大きな角を取り出して言う。
「討伐対象となっている羅刹は、全て討ち取った」
「おおお!」
「何ですと!」
武将の間からどよめきが起きる。
レイオウは北の氷が溶け始めた調査に赴いたのち、
独裁国の内乱を平和的に収めた。
そこまでは皆、報告を受けていたのだが。
その後で各地を巡り、あっという間に討伐してきたというのだ。
精鋭ぞろいとはいえ、たった数人の部下を引き連れて。
角を見ていた武将が感嘆の声をあげる。
「もちろん本物だが……
この大きさならさぞかし巨大な羅刹であったろうに」
「しかもこの数。連戦だったに違いない」
レイオウの後方で控えていた”琵琶”が微笑みながら言う。
「瞬殺でしたわ。鬼どもめ、
今ごろ極楽浄土であぜんとしていることでしょう」
居並ぶ宰相も武将も、驚きで声も出せなかった。
いかに幼い頃から天才的と言われ、
その資質を誉めたてられていたとはいえ、
わずか16歳にしてそこまでの武力を誇るとは。
レイオウは自分の父に言い放つ。
「討伐は俺だけで充分だ。
だから俺の”番”に能力は不要」
そして全員に聞こえるよう、ハッキリと宣言する。
「俺の妃は、俺が選ぶ。誰にも口出しはさせぬ」
黙って聞いていた北王が、初めて口を開いた。
「……それを言うために、お前はこれまで
過酷な修行と修学を自らに課してきたというのか」
レイオウはうなずく。
後ろに控えていた楽頭が、ひれ伏したままで言う。
「恐れながら申し上げます。
実際的な武力の補助よりも、
精神的に支える形での力添えもあるかと存じます。
若は、それを望んでおられるのかと……」
「もちろん我々も引き続き尽力いたします!」
「ええ! 絶対に他の四天王に
後れを取るような真似はいたしません!」
レイオウの努力を無にしないために、
彼の部下たちは必死に懇願する。
北王はフッ、と笑い、レイオウに告げる。
「お前のその望み、我が許したとしても、だ」
レイオウは顔をゆがめる。
誰が許さないというのか? まさか天帝が?
そんな我が子に、北王は挑発するように言う。
「絶対にそれを許さぬ者が現れることを予言しておこう」
「誰ですか! それは」
レイオウが強い口調で尋ねる。
しかしそれには答えず、北王は言った。
「もう下がってよい。討伐、ご苦労であった。
……北王妃に顔を見せてやるが良い」
不満顔で下がるレイオウを見送った後。
臣下の一人が、北王に尋ねた。
「……あのような宣言、お許しになるのですか?」
北王は口元に笑みを浮かべて返す。
「あ奴はもともと、我の許しなど欲していない。
やるといったらやる、それだけだろう」
呆れたようにそっくり返る武将たち。
しかし、やがて、皆が笑い出した。
「……まったく、小さなことからお変わりない」
「尋常ならぬ意思の強さをお持ちだからなあ」
「そうだ、それに類まれにみる才能も」
彼ら北王門家にとってレイオウは
”天帝の資質”を備えた自慢の若君なのだ。
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レイオウはそのまま、
北王妃、つまり母の元へと急いだ。
父に言われなくても会いに行くつもりだったから。
北王妃は無理がたたって、ここ数年は病床にあった。
もともとガラス細工のような
繊細な美しさを持つ姫だったが
父王に選ばれたため、討伐と治世という
過酷な責務を負わされることになったのだ。
「母上、お加減はいかがでしょうか」
すっかり細くなり、小さく見える母親に
レイオウは胸が詰まりそうになった。
「まあ、大きくなって。
あっという間ね、子どもが大きくなるのは」
青い顔をしていても、北王妃は大変美しかった。
あまりにも重責である妃の仕事を
倒れながらもこなそうとする母の姿を
幼い頃から見ていたレイオウは
常に苦しく思っていたのだ。
”早く強くなって、母の代わりに戦いたい!”
最初はそういった思いだったが、
ある時期を境に変化したのだ。
「俺の代では、妻である妃を
こんな目にあわせたりしない。
戦いなどさせるものか!」
そうつぶやいたレイオウを見て、
母は困惑の表情で言う。
「あなたは誤解しています」
「誤解などではない!
戦いの傷が元ではありませんか!」
レイオウは母に言い返す。
しかし北王妃は、笑いながら言ったのだ。
「傷つくことを恐れて戦う者など、北王門家にはいませんわ。
私はあの人……北王様と共に戦えて嬉しかった。
”氷矢”の能力があって、本当に良かったと思ってるわ」
思いもよらぬ返答に驚くレイオウに、母はさらに言ったのだ。
「愛する者の役に立ちたい、
守りたいと思う方が自然でしょう?
あの人も最初は必死に私を止めたわ。
”かすり傷さえ負わせたくない”なんて言って。
でも、私の意思の方が強かったの」
レイオウは言葉に詰まってしまう。
もしかして父は、このことを言っていたのか?
レイオウが独りで討伐に出る事を、
たとえ父王が許したとしても、
レイオウの妻となる者が許さないのではないか、ということだ。
……おそらく、自分の時のように。
そして不安が押し寄せる。
”彼女も、自分の役に立ちたいと思ってしまうのだろうか。
しかも”能力”が無いことを悲しんでしまったら……”
考え込む息子に、レイオウの母君は、
息子の頬に手を当てた。
そして親しい者だけが呼ぶその名で、
彼を呼んだのだ。
「……あなた、大切な人がいるのね? リオ」