32 四天王家の姫君
アイレンとカアラが入学した帝都の名門校には
世界を魔物から守護する”四天王家”の姫君が
二人も入学していたのだ。
いざ授業が始まると、
初めはみんな遠巻きにしていたが、
常に穏やかで優しい姫君たちと接するうちに
どんどんその距離を縮めていった。
「清蘭は本当に、全てにおいて完璧でいらっしゃるのね」
一人の女生徒が、うっとりと褒めたたえる。
毎回のテストは、どの教科もほとんど1番。
教養も兼ね揃え、身のこなしも淑女の見本のようだった。
「まあ、そんなことはありませんわ。
まだまだ努力が足りないと注意を受けますもの」
そう言って笑うセーランに、みんなが驚いてしまう。
「えええっ!? そんなこと、どなたが?」
「セーラン様がまだまだでしたら、
私なんてどうなってしまうの?!」
それを聞き、常にセーランの側から離れない乳母が口を挟む。
「私が、でございます。皆さまは良いのですよ。
セーラン様はこの先、大国の妃となられるのですから
生半可な知識や”能力”では許されないのです」
その厳しい言葉にセーランは一瞬、辛そうな顔をした。
しかしそれを見た乳母がすかさず、
とりなすようにセーランに小声で言ったのだ。
「あの方もご期待されているのですから、ね?」
それを聞き、セーランの顔がぱあっと明るくなる。
そう言ってにこやかに答える。
「私もまだまだ、努力が足りないと思っておりますわ」
”ああ、恋する人のために頑張っておられるのだな”
皆がそれを察し、微笑ましく思っていたが。
「ねえ、その話だけど……」
南王門家の彩羽姫が口を挟むと、
乳母は思い出したように慌てて遮った。
「失礼つかまつりました!
この話はまだ、内密でしたのに」
それ以上は何も聞いてくれるな、というように
無理やり話を終わらせるのだ。
去って行くセーランたちを、腑に落ちない顔で見送るアヤハ。
彼女の側使えがたずねる。
「いかがされましたか? アヤハ様」
「私が聞いていることとは違うのよ。
北王門の嫡男……怜王は、どの国のどの姫との婚姻も
頑なに拒否をしている、そうお父様は仰っていたわ」
それを聞き、側使えも解せない顔で返す。
「確かに”公表していない”というのも理解できませんな。
本来、四天王家たがいのためにも、このようなことは
早めにお知らせくださる習わしですから」
どの国の姫がどの国に嫁ぐか、というのは
世界の均衡を考慮しても、とても大切なことだから。
周りの女学生もそれを盗み聞きながら、
公表しない理由は何故なのか、不思議に思っていた。
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「ねえ、乳母や。レイオウ様から文は届きました?」
自室でセーランが、乳母に問いかける。
乳母は一瞬、作業する手を止めたが、
笑顔を作って振り返り、答えた。
「まあ! あの筆不精な方が文など。
今回もお花と贈り物が届きましたわ」
そうですわよね……とつぶやきながら、セーランはうつむく。
案外マメに、特にセーランの誕生日や
何か賞を得た時などに、花や贈り物を届けてくれるのだが、
手紙をくれたり、会いに来てくれたことなど一度も無かったのだ。
「ねえ、どうして公表してはなりませんの?
私、正々堂々と、あの方の婚約者だと名乗りたいですわ。
でないと、誰かにその立場を奪われてしまいそうで……」
セーランが悲し気に訴えると、乳母は困惑した顔をする。
そして急に厳しい顔つきになり、セーランに告げたのだ。
「レイオウ様はおそらく、
姫様が婚約者として不十分である、
とお考えなのでは?」
それを聞き、セーランは落ち込んでしまう。
”私を婚約者として告知するのは恥ずかしいのか”、と。
追い打ちをかけるように乳母が続ける。
「まだ苦手な学問もございますし、
”能力”の扱いも不安定でございます。
レイオウ様がお認めになるまで
もっと努力なさいませ、姫様」
”もっと賢く、”能力”に長け、美しくならないとダメなの?”
そう思いながら、セーランは疲労を感じ俯いている。
乳母は彼女の顔を覗き込むようにして言った。
「大丈夫ですわ、姫様なら出来ますとも。
アヤハ様はすでにご婚約が調っておられますし
誰もセーラン様を超えるものなど現れませんわ」
セーランはうなずくが、まだ顔は沈んだままだ。
ダメ押しのように乳母は彼女の肩に手をかけてつぶやく。
「あまりにも不作法なお話でお聞かせできませんでしたが
レイオウ様は御父君に
”早くセーランを妻に迎え、子を成さねばならぬのに”
などとせっかちな事を訴えておいでだそうですわ。
まったく、レイオウ様ったら……」
それを聞き、セーランの顔は真っ赤に染まり、
瞳に輝きが戻って来る。
あの美しい若君は、自分を強く求めているのだ、と思って。
しかし自分が至らぬゆえに、
話を進めることだ出来ないでいるらしい。
「早く、誰もに認められるよう、尽力いたしますわ!」
やる気を取り戻し、セーランはさっそく自習室へと向かった。
その背中を乳母は、満足そうに眺めていた。
”もう少しだ。もう少しで私の悲願が叶う”
そんなことを思いながら。
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「入学してビックリしたわ。
ここって案外、平民の子も多いのね」
ジュアンがそう言うと、アイレンが説明する。
「この学校は意欲ある者を受け入れてくれるから。
”能力”の有無なんて関係ないのよ」
華族や武家が本来持っているはずの特別な”能力”。
それを持たずに生まれたアイレンだが、
本人はたいしてそれを気にはしていなかった。
勉学や修練でいくらでも補えるのだから。
アイレンは成績優秀ではあるが、
もちろん苦手な教科もある。
ジュアンに至っては和菓子屋の経営に必要そうなものは
飛びぬけて優秀だったが、
直接は関係の無い学問となると赤点スレスレだった。
今日も、テスト対策のために自習室に来ているところだ。
「だって、興味がもてないんだもの」
そう言うジュアンに、アイレンが笑って言う。
「直接には関係なくても、どの学問も必ず関わって来るわ。
知識ってぜんぶ、つながっているんですもの」
「うーん、でも全部理解するには時間が足りないよね。
頭もパンクしそう!」
ジュアンが両手で頭を抱えると、アイレンも笑いながら
「本当に。たまに覚えたはずの知識が
耳から零れ落ちそうになるわ」
と言いながら両耳を押さえた。
笑い合う二人の背後から、優し気な声が聞こえる。
「フフッ、本当に。
身に着けねばならない知識が
あまりにも多くて大変ですわよね」
二人が振り返ると、そこには書を抱えたセーランが立っていた。
発光しているかのような美しさに
ジュアンは思わず目を細めてしまう。
「セーラン様、ごきげんよう」
アイレンが挨拶をしている間に、
割り込むように、他の女生徒がセーランに話しかけた。
「まああ、セーラン様でも大変だと思われますの?
あんなに易々と、何もかもこなされていらっしゃるのに」
「ええ、本当に。全てが完璧ではありませんか」
女生徒たちは口々に褒めたたえるが、
セーランの笑顔は少し悲しそうだ。
するとアイレンがいきなり言ったのだ。
「えっ! もしそうでしたら、
大急ぎで娯楽に興じられたほうが
良いかもしれませんわね」
何を言い出したの? という顔で、
周囲の女生徒がアイレンを見ている。
セーランも驚いて問いかけた。
「それは、どのような意味合いでしょうか?」
アイレンは小首をかしげながら、答えた。
「そもそも知識の習得に終わりはありません。
それでも私たちがそれを得ようと頑張るのは、
”自分が持っているもの”で頑張るためです」
すると女生徒たちが同意する。
「なるべく多くの知識を得た者が
その後の生活を豊かに暮らせるのですわ」
「たくさん”武器”を持っているようなものですものね」
しかしアイレンは首を横に振る。
「確かにそういう面もありますが、絶対ではありません。
知識人がみな幸せかというと、そうではないですし。
そもそも”知識を得る”のが生活の主になっては
元も子もありません」
今度はジュアンが、アイレンの言葉に同意する。
「お金を稼ぐのは大事だけど、
使うのも同じくらい大事なことよね」
アイレンはうなずき、いたずらっぽく言う。
「食材がいくらたくさんあっても、料理して、
それを食べる時間だって必要ですから」
そして少し心配そうにつぶやいた。
「セーラン様はもう十分に
お役目を果たしておられます」
セーランは気が付いた。
この子は、私の疲労に気付いている。
それだけではなく、この”完璧さ”に
どれだけの労力をかけているかも。
生まれながらに”知っている”者などおらず、
”何でも易々とこなせるようになる”には
血のにじむような努力が必要なのだ。
苦労をねぎらうだけでなく、
休息を取った方が良い、と案じてくれているのだ。
いつも乳母からダメ出ししかされないセーランの心に、
アイレンの優しさが染み渡る。
沸き上がる喜びに、お礼を言おうとした、その時。
「わきまえなさい、たかが華族の分際で!」
切り捨てるような言葉が自分の背後から聞こえ、
思わず顔をゆがめて振り返るセーラン。
そこには鬼の形相で、セーランの乳母が立っていたのだ。