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3 しばしの別れ

「まあ、どうしたの? リオ」

 夕刻に家まで送ってもらったのに、また会えるなんて。

 アイレンは嬉しそうに彼を出迎えた。


 天満院家の豪奢な玄関で、リオは頭を下げていた。

 夜分に突然尋ねた非礼を詫びつつ、手短に告げる。


「今夜、出立することになったんだ」

「ええっ! そんな急に!?」

 嬉しい気持ちが吹き飛び、

 さすがのアイレンもショックで声をあげてしまう。


 いつもは(こよみ)が夏を告げるギリギリまでは居てくれた。

 込み上げる悲しみと寂しさに、アイレンの目が潤んでくる。


 追い打ちをかけるように、リオはさらに辛い事実を告げた。

「今度の旅は長くなるんだ。

 戻って来るのはおそらく、

 来年の春を過ぎてしまうだろう」


 これまでずっと、

 立春とともに訪れてくれていたのに。


 泣かないようにあごをあげ、

 歯を食いしばるアイレン。

 大切な人の旅立ちを涙で穢さないように必死でこらえる。


 リオはすまさそうに告げる。

「少しだけ、二人で話をしたいんだ」

 アイレンはうなずき、彼を館の中庭へと案内する。


 春の宵、月明かりの中、二人は向き合って立つ。

「……今度の旅は、いつもと違うのね」

 アイレンが静かに問いかける。


 リオたちの楽団の周回は、毎年ほとんど決まった場所だった。

 春は学校が多く慌ただしいこの東の国に。

 夏は暑さが厳しい南へ

 秋は収穫で忙しい西に、

 そして冬は極寒の北の地へ。


「バカねえ、逆にすれば良いのに。

 夏は北に行って、冬は南で過ごせば快適じゃない」

 以前、それを聞いたカアラはそうあざ笑ったが、

 リオは静かにそれを否定した。


「音楽は、必要としている者のところに届けなくてはならない。

 その時もっとも辛く、大変な人を癒すために」


「えっ、じゃあリオはずっとここに居てさ、

 他の国には別の楽師に行ってもらえばいいじゃん。

 リオってあの楽団の跡取りなんだろ?」


 それを聞いたツグロの言葉に、リオが笑って答えた。

「跡取りだからだよ。

 統べる者は多聞であること、つまり多くの知識を吸収し、

 全ての人の声を聞かねばならない、というのが家訓なんだ」


 あの頃、カアラもツグロも”良く分からない”という顔をしていたが

 アイレンは尊敬の気持ちでリオを見ていた。

 その(こころざし)も充分に理解できた。


 だから、夏の別れがどんなに辛くても耐えられたのに。

 今年の春が短くなるだけじゃなくて、

 来年の春になっても会えないかもしれないなんて。


 さすがにうつむきかけたアイレンは、

 思いもよらない言葉を聞いたのだ。

「大事な修行なんだ。

 ……この先、ずっと一緒にいるために」


 しおれかけた花が蘇るように、アイレンの顔が明るくなる。

 涙をこぼしながらも笑顔を見せて元気よく答えた。

「それならば、私も頑張ります!

 もっと学んで、もっと皆の役に立てるよう……

 それに、お母様みたいな淑女になって」


 そんな彼女にリオは微笑みながら首を横に振った。

「何者になろうなんて思わなくて良いんだよ。

 君はそのまま自由に楽しんで、愛し愛されて生きてくれ」


 リオが彼女を選んだのは、彼女の聡明さや勤勉さだけでなく

 常に自由で穏やかで、広く寛容な心の持ち主だからだ。


 ただし寛容さ、優しさといっても、

 安易に他人の罪を許したり許容するものでは決して無い。


 慈母のような愛を見せながら、

 過ちを律する強さや厳しさも備えている。


 リオは彼女を見つめながら改めて決意する。

 俺は君を選んだのだ、と。


「必ず帰る。だが待っている必要はない」

 リオの言葉の意味が判らずに当惑するアイレンに

 彼は言葉を続けた。


「君が待たずとも、どこにいようと、

 何をしていようと、俺は必ず君のところへ行く」


 あまりの嬉しさに声も出ないアイレンに、

 リオは(ふところ)から出した龍笛を差し出した。


「こ、これは大事なものでしょう?」

「これをお守りにして欲しい。

 きっと君を守ってくれるだろう」


 とまどいつつも受け取るアイレン。

 初めて手にするそれは、明らかに希少で価値の高い品に思えた。

 まるでお祖父様の家にあった骨董品のような……。


 龍笛に見惚れていると、リオがもっと驚くことを口にする。

「この笛に君以外の者は触れることもできないし、

 破壊することも不可能だ。

 そしてもし奪われることがあっても、

 これは必ず戻って来るから安心して良い」


「そうなの? なんて不思議な……」

 どうしてそんなことが出来るの?

 リオはまさか、”能力持ち”なの?


 黙り込むアイレンの目の前で、

 龍笛は一瞬発光した後、みるみる姿を縮小させた。


 驚きの声をあげるアイレン。

 小指くらいになったそれの音穴に

 リオは銀の鎖を器用に通した。


 それをネックレスのようにアイレンの首につけながら

 リオがつぶやく。


「しばしの別れだ。

 でも君と、”別れの挨拶”をするのはこれが最後だ」


 ーーーーーーーーーーーー


「で? 行っちゃったの?」

「うん。 行っちゃったの」

 親友の言葉に、アイレンは素直に頷く。


 彼女は織田 樹杏(ジュアン)

 身分としては平民だが、人気のある老舗和菓子屋の娘だ。

 向上心が強く、世話焼きで明るい少女だ。


 アイレンは成長するにつれ、

 カアラとは趣味嗜好の違いが大きすぎて

 一緒にいることが格段に減っていった。


 カアラの周りには彼女と同じ、

 平民に対する差別意識の強い華族や武家の子女が集まり

 アイレンの気持ちをいっそう落ち込ませるだけだった。


 そんなアイレンに対し彼女の母は

「華族はそんな人間ばかりではないから大丈夫。

 来年、女学校に上がれば、

 心根の素晴らしい子女に会えますよ」

 と慰めてくれたのだが。


 それでもアイレンは、

 まっすぐで頑張り屋さんのジュアンが大好きで

 この先もずっと友だちでいたいと思っているのだ。


 アイレンとリオの別れを聞いたジュアンは

 励ますような笑顔でうなずく。

「そっかー……じゃあしばらくの我慢だね。

 まあ、何かに集中していれば

 一年やそこらなんてあっという間に過ぎるんじゃない?」


 あっけらかんとした物言いに、

 アイレンは救われたような気持ちになる。


 ジュアンはどんどん提案してくる。

「もう一度会うまでに、習得しておきたい言語とか技術とか

 いろんな目標立てておくのはどう?

 それに、すっごく綺麗になっておかないとね!

 戻ってきたリオが気絶するくらいに!」


 気絶するほどの美しさって!

 アイレンは思わず吹きだした。


 ジュアンはうっとりと目を閉じて語り出す。

「リオってほんと、常人離れしたカッコよさだったからね。

 あんなに素敵な人、見たこと無いもん。

 ま、私には目の保養で充分だけど。

 あれの隣に立つには、よほどの自信家でないと無理よね」

 ……カアラみたいな。

 小声で悪口を付け加えるジュアン。


 そして思い出したように首をかしげる。

「うちのお父さんも不思議がってたのよ。

 他国の経済についてもスラスラ答えるし、

 計算も店子より早くって」

 彼女の家の和菓子屋は常に大繁盛だ。


「それに荷馬が逃げ出した時も、

 捕まえるだけじゃなくて、騎乗して戻ったのよ?

 どこで乗馬なんて覚えたんだろう、楽師なのに」


 そうなのだ。つくづくリオは不思議な少年だった。

 アイレンの両親も彼に対し、一目置くだけでなく

 常に礼節を持って接していた。


 理由をアイレンが尋ねると、父がぽつんと答えたのは。

「彼の精神は至高に近い……とても徳が高い子だから」


 リオ本人が自分について何も語らないとすれば、

 語るべきでないからだ。

 ならばそれを詮索することは無粋というものだろう。


 だからアイレンたち家族は、彼について

 ”楽師の若君”という姿を受け入れることにしていたのだ。


「ま、いっか。今度会ったら直接聞いてみよう~」

 快活なジュアンもあっさりと割り切ったようだ。


 アイレンは胸に手を当てて微笑む。

 そこにはあの、龍笛のペンダントがあった。


 これがあるだけでアイレンは彼に守られているような

 幸せな気持ちになることが出来た。


 それがとてつもなく強力な破邪の力を持ち

 自分を実際に守ってくれることになるとは知らずに。



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