21 奪うつもりが奪われる
アイレンを孤独にするために
ジュアンの家の和菓子屋を陥れ、
この町から追放しようとしたカアラ達。
それは完全に失敗に終わり、
大金を失い、警察にも目をつけられる始末だった。
警察はまだ、”主犯は没落華族の男だ”と考えているため
カアラの父はなんとか捕まらずにすんでいた。
取り調べを受けた際、カアラの父は
「確かにあの日、あの男には会ったが、
何か思いつめた様子だったから励ましただけだ!」
などと言い、ごまかし続けたのだ。
しかし彼らが抱える今の問題は、”経済的な困窮”だった。
元々、祖父の代から小さな工場を経営をしており
細々とした収入をそれで得ていたのだ。
天満院家の金庫から横取りした財を失った今、
収入といえばそれだけだ。
豪奢な屋敷に住んでいるだけで、
食事などその他の生活は以前と変わらぬままだった。
それでもカアラは自慢であり、幸せだったのだが。
しかし今、それすらも失おうとしていた。
「なんだと? 今、何と言った?」
「ですから、はやく賃料をお支払いください。
何カ月滞納していると思ってるんです?」
以前、この家の契約書を持ってきた代理人の男が、
屈強な男たちを従え、家に乗り込んで来たかと思うと
「滞納している家賃を早く支払え」
と言ってきたのだ。
「何を言う! 俺はこの家を、
アイレンから譲り受けたんだぞ!」
「ええ、だから、天満院家の方から、
”ここに住む権利”を譲り受けたんですよね?」
「そうだ! だからこの家は、俺の家だ!」
代理人は呆れたような顔で、カアラの父に契約書を見せた。
「確かに”あなたの住んでいる家”ですが。
あくまでも賃貸。地主に借りているだけでしょう」
その言葉に、カアラの両親は驚愕し、契約書を読み始める。
しかしそれは言い回しが難しく長文であり
以前も挫折したように、すぐにそれから目を離してしまう。
そしてお互いに視線を交わし、
「お前に読んでおけといったはずだ」
「あなたがサインする契約書でしょ!
まさか読んでいなかったの?」
などと責め合い始めた。
「いったい何と書いてる! 要点を言え、要点を」
と混乱するカアラの父に、代理人はため息をつき、説明する。
この土地と屋敷は、もともとこの地の華族の持ち物だった。
しかしその華族は成人した嫡男を事故で失ってしまう。
さらに経済的に困っていたこともあり、
ここを売らねばならない……と思い悩んでいたところ。
アイレンの父が、数年の期間限定で
高額の賃貸料を支払い、
ここを借り受ける約束をしてくれたのだ。
それならば売らずに済み、お金も入り、
後を継ぐ孫が成人となった時に、ここを受け渡すことができる。
ここの地主は、アイレンの父に大変感謝していたという。
「まあ天満院家の方も、あと1年くらいは
ここに住むおつもりだったようですが。
それをあなた方の願いをきき、
”借りる権利”をお譲りしてくださったんですよ」
カアラの父は口をあけたまま固まり、
カアラの母はその場に崩れ落ちた。
しかしワガママで世間知らずなカアラは、
この家が自分たちの持ち物でないことに腹を立て
男に向かって食ってかかったのだ。
「じゃあ、買い取ればいいんでしょ!?」
すると代理人が言い返した。
「話をちゃんと聞いていましたか?
地主様はお孫さんにいつか受け継がせたいから
賃貸契約の形をとったのですよ?
どんな大金を積まれても、
息子さんの思い出のあるこの家は売らないでしょう」
カアラは悔しそうな顔をした後、
くるりと父に向きなおって言う。
「もう良いわよ、こんな家。出て行ってやるわ!
お父様、もっと良いお家に移りましょう!」
その言葉に、男もうなずいていう。
「ええ、そうすることをお勧めいたします。
自分たちの身の丈にあった暮らしを、ね」
「なんですって!」
ものすごい形相で叫んだカアラの目の前に、
男は一枚の書類を突き出して言う。
「まあ、どこに行こうと、ここで暮らした6カ月分の賃貸料は
きちんと支払っていただきますけどね」
並んだ数字を見て、カアラは息をのんだ。
こんな大豪邸を借りたのだ。
賃貸料といえど、街中の小さな家が買えるくらいの金額だった。
屈強な男たちが、出番が来たとばかりに前に出てくる。
それを見て、カアラの父が叫んだ。
「家のものを差し押さえる気か?!
待て! 待ってくれ!」
そんなことになったら、すぐ競売にかけれ、
この小端館家が破産したことが
全ての華族に知れ渡ってしまうのだ。
カアラの父は苦悩の表情を浮かべた後、男に言ったのだ。
「……金は明後日までには届ける。
町の自宅を売れば、それ以上の金にはなる」
「あなた!」
「お父様!」
しかし、それしかなかった。
受け渡し期日や方法を取り決め、
男たちは屋敷から去って行った。
真っ青な顔で、カアラの母がつぶやく。
「……この屋敷を出ましょう。これ以上は住めないわ」
無言で部屋を出て行く父。
母が言う通り、すぐに引っ越し先を
探さなくてはならないのだ。
どこか、親子三人が借りられる小さな家を。
カアラは椅子に座り込みながら考える。
”アイレンからこの屋敷を取り上げたつもりが、
逆に住む家を失うなんて……”
執事はともかく、アイレンは
自分たちがこうなることなど想像もしていなかっただろう。
ただ自分の住んでいたところに、従妹一家が住み出した。
彼女にとってはそれだけのことだった。
悔しくもなんともなかったに違いない。
カアラは唇をかみしめる。
あの子を絶対、悔しがらせてみせる。
私のことを羨んで、妬んで、
惨めな思いをさせてやるのだ。
思えば思うほど、自分に跳ね返って来るとは知らずに。
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アイレンを裏切れと言われ、断固断ったジュアン。
彼女の家もまた、
引っ越しの準備をせざるを得ない状況だった。
「本店は今までどおりここだとしても……
帝都の支店も立派なものにしなくてはならなんぞ」
ジュアンの父は設計士などを呼び、連日頭を抱えている。
なんせ、”天帝御用達”の店だ。
しかもお店を立てる場所は
向こうが用意してくれるのだ。
「歴史と風格を感じさせつつ……
お客様を待たせない効率的なレイアウトで……」
帝都に店舗ができた日には、
父は間違いなくそちらに行くことになる。
そして店を軌道に乗せるまでは、帰っては来ないだろう。
店員たちもまた、より遠方の人が楽しめるような保存法や
品質が長持ちするパッケージ、
そして帝都にふさわしい新商品の発案に沸き立っている。
この賑わいとともに、
父や彼らがここから帝都に去って行ったら、
きっと寂しくなってしまうな……ジュアンはそう思った。
しかし彼女は家族にも店員にも優しく
何よりも商売が好きな娘だった。
彼らに協力し、少しでも良い方向に運べるよう
さまざまな気配りで支えていたのだ。
カアラとジュアンの、対照的な2つの家。
この先もさらに、かけ離れていくことになる。
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「本当にごめん!」
必死の様子で、ツグロが頭を下げている。
「え? なんのこと?」
アイレンはきょとんとした顔で立ち止まる。
久しぶりに会った幼馴染が、
学校の前で待ち伏せていただけではなく、
いきなり謝罪してきたのだ。
やっとアイレンに会えたのだ。
ツグロはなるべく多くの人の目にとまるよう、
大声でアイレンに叫んだ。
「じゃあ、君はもう怒ってないんだね!?」
「え? ええ、何にも怒ってないわ」
その言葉を聞き、ツグロは安心する。
これで”身勝手な婚約破棄をした”と自分を責める人々に
”アイレンとは和解した。彼女はまったく怒っていない”
と言い返せる。
そして久しぶりに会ったアイレンを見て、つくづく思う。
”カアラの話では、アイレンは相変わらず
豪華な家に住み、良い暮らしをしているらしい。
しかし、それは天満院家の一部のお金でまかなっているだけで
彼女はすでに華族といえるかどうか怪しいものだ。
そもそも無能だしな。もう、ただの金持ちの平民だ”
そして、前から聞きたかったことをアイレンにたずねた。
「あのシグネットリング……リオに届けるつもりだったの?」
いきなりの話題に、目を見開いた後、
アイレンは恥ずかしそうにうなずいた。
それを聞き、ツグロは
リオに対する劣等感と嫉妬に囚われつつ
「……ああ、お似合いだよ。二人は」
と強がってみせた。
心の中で、
”だって、平民同士だもんな”
と付け加えて。
そんな真意を知らずにアイレンは嬉しそうに笑った。
「ありがとう! ツグロ!」
そして手を振り、別れる。
そしてツグロは上機嫌で歩き出した。
「さ、これで良い。カアラとの結婚話を進められる!」
ツグロはまだ、カアラが天満院家を継ぐと思っていた。
しかし最近カアラは”忙しい”といって
あまり会ってはくれない。
でも”自分と結婚したい”といったことを信じ、
自分とカアラで天満院家を盛り立てていくのだと思っていた。
カアラ達が、住む場所すら失ったことも知らずに。
いっぽうツグロと別れたアイレンが自宅に帰ると。
「お嬢様!」
メイドが満面の笑みをうかべ飛び出してきたのだ。
その後ろから、執事が穏やかな笑みを浮かべ、手紙を差し出した。
「それは……」
「リオ様からでございます」
アイレンは小さな悲鳴をあげ、その場で開封してしまう。
はしたないことではあるが、
とても部屋まで待てなかったのだ。
その手紙は、とても簡潔なものだった。
たった一行。
”君のご両親と弟君は無事だ”
そこにはそう、書かれていたのだ。