20 悪意には悪意を、好意には好意を
「……参ったわ」
ジュアンがぐったりとソファに倒れ込む。
それを見ながらアイレンが優しく笑って言った。
「ちょっとは休んだほうが良いわ」
しかしジュアンはがばっ! と起き上がって言う。
「ううん、お店に戻る。だって……
みんなに恩返ししたいもの」
そしてエプロンをつけなおし、店舗に戻っていった。
ジュアンが疲れ果てているのは、
彼女の家の和菓子が
いまだかつてないほど売れているからだ。
店舗にあふれかえるお客様を見ながら、
ジュアンは感動で一瞬立ち止まり、感慨にふける。
”まるで夢みたい。
ほんの数日前は、とんでもない濡れ衣をかけられて
お店は閉めざるを得なかったのに。
それが、こんなことになるなんて”
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確かにその通りだった。
数日前までジュアンの家の和菓子屋は
”不正な製造を行っている”という噂を流された後、
実際に店の倉庫から違法な薬物が発見されたのだ。
店主の父親はすぐに警察に連れて行かれてしまった。
お店は、本店も支店も全て休業し、
母も、ジュアンも、店員たちも、
途方にくれてしまったが。
しかしすぐに全員、心を奮い立たせて行動しだした。
「落ち込んでるような時間はないわ!
すぐに誤解を解くこと!
お客様の信用を取り戻すことよ!」
そこに、アイレンと執事も駆けつけて来て
ジュアンの手を握って励ました。
「ジュアン! 絶対に大丈夫だからね!」
「すぐに”探査能力”のある知人に依頼しました。
また薬物の出所もすぐに明らかになるでしょう」
そして次々に、不可解な点が明らかになっていく。
倉庫につけられた防犯カメラが壊されていたこと。
出入りする不審者が確認されたこと。
”毎日食べていた人”を何十人検査しても、
その薬物を摂取すれば必ず出る反応が
誰からも検出されなかったこと。
もちろん常連客は”あり得ない”と味方になり、
捜査に協力してくれた。
そして何よりも。
「薬物の入手経路が明らかになりました。
とある没落華族が先月、入手していたそうです」
そしてその家の使用人たちが自白したのだ。
自分の家の主人が、”鍵を開ける能力”を使い
和菓子屋の倉庫に薬物を置いたことを。
「俺は見張るように言われただけだ」
「私は”倉庫に薬物がある”って
通報するように命じられただけです」
彼らが口を揃えて言うのは、
”自分の主人は多額のお金で依頼を受けた”ということだ。
しかし。
「まだ主犯は逃走中なのよね」
悔しそうにジュアンが言い、アイレンが慰める。
「きっとすぐに捕まるわ。逃げられるわけないもの」
主犯の男は、大金を持ったまま逃走している。
だからこそ報酬を得られなかった使用人たちは
主を裏切って次々と自白したのだ。
そんなふうに、カアラたちが
ジュアンの家の和菓子屋を陥れようとした事件は
あっという間に解決した。
ここまでは、お店の人々は警察、常連客、
アイレンの意を汲んだ執事の”力”によるものだろう。
しかし、本当に”あり得ない”のはここからだった。
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「……マズいぞ、お前たち。
大変なことになった」
カアラの父が悲壮な表情で、
妻と娘を前につぶやく。
「あなた、どうするの?
あの落ちぶれた華族の男の”能力”を使えば
絶対にバレないって言ったじゃない!」
カアラの母が泣き声で叫ぶと、
父はイライラしながら反論する。
「失敗したのはアイツだ!
入手した薬物が偶然、
手に入れにくい希少種だったなんて、
そんなことがあるのか?」
「しかも偶然、あの辺りで
”記録する魔道具”で遊んでいた子どもに
倉庫に出入りしているところを撮られるなんて。
どれだけ不運なのよ、その人」
吐き捨てるようなカアラの言葉に、
父親は苦虫をかみつぶしたような顔で
「その不運が、こっちにも回って来たんだ。
俺があの男と会っているところを、
偶然通りかかった司祭の集団が見ていたんだ」
数カ月に一度の、夜の会合。
その日、薄暗い酒場で司祭たちは、
革袋をテーブルの上に置き
頭を寄せ合って会話するカアラの父と
没落華族の男を見ていたのだ。
そして、今回押収された薬物が入っていたのも革袋だ。
カアラの母がとうとう、金切り声をあげる。
「じゃあきっと、すぐに警察に捕まってしまうわ!」
カアラの父も怒りに震える声で怒鳴り返す。
「そうならないよう、有り金をアイツに渡して逃がしたんだ!
あいつが捕まらない限り、無関係を主張できるからな!」
そう言ったあと、カアラの父は
まったく、いくら払ったと思ってるんだ……とつぶやいた。
その様子を見て、カアラは察していた。
両親が天満院家のから横領したお金や金塊、
そういったものは、すでに残り少ないのだ。
カアラの焦りが苛立ちに変わっていく。
どうしてこうなってしまうのだろう。
アイレンは相変わらず裕福で、幸せに暮らしているのに。
今までも、アイレンに対する嫌がらせが
まるで効かなかったことを思い出す。
今回はアイレンに対して、ではなく
アイレンの味方をした奴を陥れようとしたのだ。
それが、こんな結果になるなんて。
カアラはハッと目を見開いた。
気が付いたのだ。
偶然、偶然、偶然。
そんなに重なるものなの?
それとも、まさか。
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「……みんな、聞いてくれ。
大変なことになった」
ジュアンの父が真剣な面持ちで、
家族と店員を集めて言った。
何事か? と全員が息をのんで父を見守っている。
”冤罪事件”の後、お店は通常通り営業していた。
お得意様、お馴染みの客はもちろんのこと
今まで買ったことが無かった人や
ちょっと遠方の人まで買いに来てくれているのだ。
「売上はむしろ上がっているのに、
何か問題でもあるんですか?」
支店長が不安げにたずね、他の店員も口々に言う。
「たまたま珍しい薬物だっただけに、
世界中に報じされて、宣伝費もかけずに、
うちの店は世界一有名になったんですよ?」
「”冤罪をかぶせたのは、美味しさを妬んだ同業者か?”
って新聞の見出しも、期せずしてよい広告になったし
”正真正銘、一級の素材を使ってる”って雑誌にも書かれて」
「そうです! だから、ちょうど帝都から来ていた方が
お土産に買っていってくださいましたよ」
「それだ。それなんだ」
ジュアンの父は手に持った書簡を前にかかげて言う。
「帝都におわす天帝の正妃さまが、
偶然、茶会で勧められたうちの和菓子を
召しあがったそうだ。
しかも大変お気に召され、
”帝都にもぜひ支店を”、とお望みだと」
あまりの名誉に、ジュアンの母が気をうしなって倒れる。
それをみんなで支えながら、ジュアンは思った。
”不運に見舞われたと思っていたら、
とんでもない幸運に捕まったみたい!
何もしてないのに……”
たしかにジュアンは、何もしてはいない。
ただアイレンを裏切ることなく、
守り支えることを宣言しただけだ。
アイレンに対する好意は
とてつもないほどに倍増し、
幸運となってジュアンに返っていったのだ。




