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15 全ての思惑が外れていく

 自分たちで広めた虚構の”婚約話”のせいで

 ツグロ一家はさまざまな人たちから

 ”婚約者を見捨て、他の娘に乗り換えた男とその家族”

 として激しい非難を浴びてしまった。


「違うんです! 本当は婚約なんてしてなかったんです!」

 ツグロが必死に叫んでも、

「嘘をつくな! 先週まであんなに何度も

 ”僕らは結婚の約束をしたんです”ってノロケてたくせに!」

「そうよ! あなたのお父さんだってそう言ってたじゃない!」

 などと言われ、さらに相手を怒らせるだけだったのだ。


 もちろんアイレンは以前からその噂を否定していたため

 彼らの”婚約話”が真っ赤な嘘であることを

 ちゃんと知っている人もいたが。


 しかしそういった人々は

 ”彼らがこうなったのは自業自得だ”と思い、

 非難する者たちに”婚約は嘘だった”などと

 わざわざ教えてあげることはなかった。


 ツグロたち素野原家の人々は、家で頭を抱えていた。

「クソっ! 仕入れ先の社長にまで

 ”慰謝料くらい払うのがケジメというものだろう”

 などと説教されたのだぞ!

 なんで我が家があんな無能娘に!」


「でもっ、早く事態を納めないと、

 俺だって学校でチクチク言われるんだよ!

 ”お前の弟は最低だな”って」


「そうよ! 謝罪したのか、許してもらえたのか、

 毎日買い物に行くたびに聞かれるのよ?

 直接言われるならまだマシで、

 私が近づくと、急に足早に去って行く人もいるんだから!」


 嘆いたり愚痴ったりする家族に、

 ツグロはポツンとつぶやいた。

「……わかったよ。アイレンのところに行ってくるよ

 それで適当に話して、謝ったことにするよ」


 三人がツグロに注目し、しばしの間の後、大きくうなずく。

「そうね、それが良いわ」

「ああ、それなら和解済みだと言えるしな」

「確かに会ってもいないのに”謝罪した”と言っても、

 万が一アイレンがそれを否定したら

 あいつらもっと怒り狂うだろうかなら」


 ツグロはさっそく外に向かうが、すぐに足を止めた。

「どうした! 早く行け」

 急かしてくる父に対し、困惑顔でツグロが返した。


「アイレンは……いま、どこにいるんだ?」


 ーーーーーーーーーーーー


 ツグロたちがそんなことになっているとは知らず、

 アイレンは高級住宅街にある

 豪奢なアパートメントホテルのリビングで

 親友のジュアンと一緒にお茶を楽しんでいた。


「家が徒歩10秒なんて、夢みたい」

 アイレンが笑うと、窓の外を見ながらジュアンが指を差す。

「ほら、あの窓! あのオレンジのカーテンのとこね?

 あれが私の部屋だから! 帰ったら手を振るからね!」


 斜め向かいの家ということもあり、

 家の中にいても姿が確認できそうだったのだ。


「素敵すぎます! ね、今度、糸電話で話してみましょ?」

「んんんー、どうやってつながるかが問題よね」

 などと盛り上がっていると。


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい!」

「おじゃましてます」

 ジュアンを見つけ、帰宅したばかりの執事は一礼する。


 そして不安顔で見上げるアイレンに、

 執事は苦笑いで告げたのだ。

「アイレン様の今後につきましては……

 公立校へ御進学いただくことになりました」


 きゃあああああ!

 その言葉を聞き、アイレンとジュアンは歓声をあげる。


 本来ならば上位華族の娘として、

 9月からは私立の女学校へ入学する予定だったのだが。


「嬉しいわ! 秋からも一緒に学べるなんて」

 喜ぶアイレンに、ジュアンのほうがちょっと戸惑いがちに

 執事に向かって尋ねた。

「正直(あきら)めてたけど……良いんですか?」


 執事はゆっくりうなずいて、答えた。

「アイレン様のためでございます」


 ーーーーーーーーーーーー


 先刻まで執事は、入学する予定だった女学校に行っていた。

 そこで年老いた事務員が差し出してきたのは。


 ”こんなクソな学校、いくわけないだろバーカ”

 という乱暴な筆跡で書かれた文字と、

 ”天満院アイレン”、と署名された紙だった。


 執事はそれを手に取ることも無く、フッ……と軽く息を吐いた。

「これはアイレン様の字ではありません!」

 などと取り乱すこともなく、沈黙している。


 事務員のほうも顔をしかめた後、つぶやいた。

「あまりにも稚拙、ですな」


 その言葉の通りだった。

 まず彼女の本名は”天満院 愛蓮”。

 カナ文字の通称で過ごすことが多い昨今であっても、

 公的な文書に漢字で書かないことは

 本人でないことを示すようなものだ。

 なりすましをしたいのなら、まったく意味がなくなる。


 事務員は封筒を出して言った。

「しかもこれ、”配達指定文書”で届いたのです」

 その言葉に、さすがに執事は吹き出してしまう。

 事務員も苦笑いをしていた。


「犯人を特定するのは容易ですが……どうされますか?」

 事務員の言葉に執事はうなずき、

 紙と封筒をカバンにしまい込みながら答える。


「もちろん警察に届けますよ。これは立派な犯罪ですから。

 ……まあ、すぐには動きませんけどね」

 執事はすでに、誰がやったことか判っている。

 だからこそ、最も適したタイミングを狙って

 罰を与えるつもりなのだ。


「……では、失礼いたします。

 お手を煩わせて申し訳ございません」

 立ち上がった執事に、事務員も慌てて立ち上がる。


 そして沈んだ顔で言ったのだ。

「天満院家のお嬢様が、こちらにご入学されないのは残念です」


 実は今日、執事は入学辞退の手続きに来ていたのだ。


 その処理の終了後、事務員が

 ”そういえば先日、こんなものが届いた”と

 このおかしな封書を出してきたのだ。


 だから辞退する理由はもちろん、

 この手紙のせいではない。


 一礼する執事に、年老いた事務員も礼を返す。

 そして最後に一言、付け加えたのだ。


「残念ですが、そのほうが良い。

 ……ここは、変わってしまったから」


 ーーーーーーーーーーーー


「まあ! もちろんですわ。

 カアラはあの女学校に入学いたしますの」

 華族が集うサロンで、

 カアラの母が誇らしげに声を張り上げる。


 その横でカアラもすまし顔でうなずき、

 数日前のことを思い出す。


 アイレンの名前が入学者名簿に無いとわかり、

 家族で大笑いした晩のことを。

「やっぱり入学できなかったのね!」

「無能の上、経歴も粗末なものになるなあ!」

「もう平民としか出会いが無いわね、あの子」


 母があの時に言ったとおり、

 カアラが女学校に入ったのは

 そこで出会う上位華族の娘の、兄や従弟に見初められるためだ。


 ツグロなど、アイレンから引きはがすことさえできれば用済みになる。

 そもそもカアラはツグロなど、まったく好きではなかったから。


 ”私にはもっと、家柄の良い素晴らしいハンサムで、

  能力も高く、武力も秀でていて賢くて、カッコよくて……”


 カアラがそこまで考えた時、

 浮かんできたのはリオのことだった。

 ”本当に素敵だったもの……彼が華族だったら良かったのに”


 ぼおっと考えるカアラの耳に、

 母のすっとんきょうな声が響いてきた。

「……えっ? なんですって?」

 どうやら、周囲の反応に困惑しているようだ。


「ですからね、うちの娘は、別の学校に通いますの」

「ええ、うちのミーシャも」

 聞けば多くの令嬢が、わざわざ遠方の学校に入学しているのだ。

 それも、上位華族のほとんどの娘はみんな。


 さらには平民に近い華族でも、教育熱心な家の親は

「うちの子は公立に通いますわ」

 などとしれっと言い、それを聞いた他の親も

 それが良い、などとうなずいているではないか。


「何故です?! あの女学校に行けば教養も身について

 品格ある淑女に育ち、素敵な方に見初められ……」

 必死で語るカアラの母を、他の華族は冷めた目で見ていた。


 やがて一人の夫人が否定する。

「ご存じないのね……あの女学校が

 良家の子女にとって理想の学び舎だったのは

 2,3年前までですわよ?」


「嘘よ!」

 カアラは思わず叫んでしまった。


 他の夫人も苦笑いしながら言う。

「本当ですわ。ここ1年は特に荒れていて、

 実家が資産家だけど素行の悪い娘が多く在籍しているそうよ」

「ええ、だから良い先生はみんな

 民間の公立校に流出してしまったそうね」


 カアラの父も母も、娘の教育には興味が無かった。


 可愛い顔をしているうちの娘は、

 あの女学校にさえ入れれば

 勝手に教養が身について、品位のある淑女になり

 高位華族の男に結婚相手として選ばれるだろう、

 と思いこんでいたのだ。


 あぜんとするカアラの母に

 ”公立校に入れた”と言った夫人が慰めるように言った。

「どのみち、”ここに入学すれば安泰”

 などという学校は存在しませんわ。

 どこにいても、本人の不断の努力が必要ですもの」


 そしてカアラに対し、小さな声で

 がんばってね、と付け加えた。


 返事もせず、カアラは口を開けたまま動けずにいた。

 真っ白になった頭の中には、一つの言葉が浮かんでいた。


 ”こんなクソな学校”。


 あの女学校を、そう評したのはカアラ自身だ。

 そしてそれが”その通り”になってしまったことに

 ショックと恐怖を感じていたのだ。


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