12 それぞれの新居
両親も弟も、きっと生きている。
そう確信している様子のアイレンに、
叔父も叔母も従妹も、何も言えなくなってしまう。
しばしの沈黙の後、執事が彼らに告げた。
「ともかく、アイレン様がこの家を出る事は決定事項です。
ここは空き家となりますので……」
”出て行ってください”と言われる前に、カアラの父が食いついた。
「では、この屋敷を譲れ! いいな? アイレン!」
「いえ、旦那様は”生死不明”の状況でございます。
アイレン様にはまだ、そのような財も権利もございません」
確かに執事の言う通り、この状態であれば、
”遺産”としてアイレンに引き継がれるのは
ずっと先になるだろう。
そう思い、カアラたちは露骨にガッカリしてしまう。
しかし、カアラの父はあきらめなかった。
「権利が無いということは、
売却の手続きもできないのだろう?
ならば、この家に我々が住もうと、
誰にも文句は言わせないはずだ」
「売却? 確かに売却などしませんけど」
アイレンは首をかしげて執事を見た。
執事は微笑み、うなずいた。
「もちろんでございます。
こちらにお住まいになることは問題ございません。
ただし、この屋敷を管理する者として
新しく契約を結ばなくてはなりませんが」
「契約だと?」
「はい。”この屋敷に住む権利を持つ者”として
登記が必要になるのです。
まあいわば、”名義変更”ですな」
その言葉に、カアラの父は目を輝かせて尋ねた。
「ここに住む権利は、アイレンでも譲渡できるというのか?」
「いえいえ権利の譲渡ではございません。
アイレン様は”ここに住む権利”を手放されるだけです」
「まあ! それなら私たちにちょうど良いじゃない!」
カアラの母が嬉しそうに叫んだ。
「こちらに居住されることをご希望ですか?
では、こちらの書類を、
よくお読みになってご判断ください」
そしてあらかじめこうなることを予想していたかのように
執事は分厚い書類を目の前に出した。
それは”この屋敷を含む一帯の土地に住まうための権利書”だった。
カアラの父はすぐさま手に取って読み始める。
しかし家に関する書面は長文であり、文章も複雑だ。
しかもそれは古い書式で書かれており、
読みにくい事この上なかった。
「んー。なんだあ? 甲は乙の取り決めを守る必要があり……」
ざっと見たところ、契約書はこの地の景観を守ることや、
この一帯の農家の権利を侵害しないことであったり
要は地主と言えど、勝手なことをしてはいけない、というものだった。
難しい顔で読んでいたカアラの父は、目頭を揉むと、
テーブルの上にバサッとそれをほおり出し、
カアラの母に向かって言った。
「後で読む……お前も目を通しておけ」
「えっ? ええ。読んでおくわ」
「明日、土地を管理している者がこちらに伺います。
それまで十分にご検討なさると良いでしょう」
そして彼らに一礼し、
執事はアイレンをうながし部屋を出て行く。
そしてドアを開け、アイレンを先に通した後、
振り返ってカアラたちに尋ねたのだ。
「ああ、もしアイレン様がご心配でしたら、
ご一緒に住まわれてはいかがでしょうか?
カアラ様とご夫妻のお部屋もご用意いたしますが」
さっきまであんなに、”一緒に暮らそう”と必死だった彼ら。
しかしその質問には、三人ともが冷笑で返した。
彼らを代表し、カアラの父が返事をする。
「いや、結構だ。アイレンは好きにすれば良かろう。
……我々は義兄と義姉に代わり、この家に住むよ」
執事は一礼し、ドアを閉めながら思った。
最後の助けを、自ら断ったのだ。
彼らにもはや、明るい未来はないだろう……と。
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「ここが、私の新しいお家ね!」
アイレンは部屋の入り口で
感極まったように両手を合わせて叫んだ。
その横で執事が優しくうなずいている。
ここは、アパートメントと聞いてカアラが想像したような
小さな集合住宅ではなかった。
高さのある邸宅の、最上階全てが居住エリアとなった
この町の高級住宅街に建つ、
最もハイグレードな”アパートメントホテル”であった。
高位の華族や大金持ちが長期滞在で利用することが多く、
住民はみな身分が確かであり、警備も万全だ。
「すごい眺めね。町が一望できるなんて」
ここは眺めも良く、部屋数も充分にあった。
リビングも広々としており、
選び抜かれたメイドが数名、キビキビと働いていた。
「そういえばここは……え? まさか!」
この辺りは見覚えがある、と思い出したアイレンは、
斜め前の邸宅を見て叫んでしまった。
「夢みたい! ジュアンの家の斜め向かいだなんて!」
ジュアンの家は、割と裕福な商家であるため
店は街中だが、住まいはこの高級住宅街にあった。
執事は少しでもアイレンの心を慰めるため、
親友の家の近くを探し当てたのだ。
頬を上気させて喜ぶアイレンを見て、
執事はホッと息をつく。
メイドたちも嬉しそうにアイレンを見ていた。
アイレンはそれに気づいて、
心がじんわりと温かくなった。
みんなが支えてくれている。守ってくれている。
「……ありがとうございます。
私、ここでがんばります」
アイレンはみんなにお礼を言った。
執事は力強くうなずき、彼女に言った。
「はい。ここで旦那様たちのお帰りを待ちましょう、お嬢様」
アイレンは笑顔のまま、涙をポロポロこぼし、
何度も何度もうなずいた。
きっと、大丈夫。
私も、お父様たちも、みんなみんな大丈夫。
そう思いながら。
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翌日、土地を管理している者が現れた時、
カアラの父は迷うことなく書類にサインをした。
「これで俺はこの家の主だ!」
「私はここの女主人ね!」
「じゃあ私は? ここのご令嬢かしら?」
「ハハハ、カアラはこの家のお姫様だろう」
「まああ! お父様ったらあ! ウフフ」
盛り上がる三人を横目に、
書類を持って管理人は出て行く。
そして部屋を出たところで小さくつぶやいた。
「……大丈夫か? あのような者達がここに住めるのか?
前の住人よりもずいぶん、質が落ちたようだが」
訝しみながら立ち去っていく。
そして代わりに、恰幅の良い男たちがおおぜい屋敷に入ってきた。
そしてキャッキャと騒ぐ三人に、
代表の一人が背後から、おそるおそる声をかけた。
「……あの、よろしいでしょうか」
カアラの父はニコニコ顔のまま振り返って尋ねる。
「ああ? なんだ? まだ何かあるのか?」
「いえ、契約が終結したということですので、
こちらの作業を始めさせていただきます」
「作業だと? ……あ!」
三人はそこで、天満院家の執事の言葉を思い出した。
家財は帝都の本宅に運ぶと言っていたではないか。
慌ててカアラの母が、梱包を始めた彼らに向かって叫んだ。
「良いの、良いのよ、そのままで!」
しかし彼らはまったく手を止めなかった。
何故ならあらかじめ、執事に命じられていたのだ。
新しい住人が何と言おうと、目録通りの全てを運び出せ、と。
「そうはいきません。天満院家の御指示ですから」
「私たち、その天満院家の身内なんですっ!
ここの財産は私たちのものでもあるんですっ」
カアラが必死に声を張り上げる。
彼女はいつも、息を吐くようにサラサラと嘘がつけるのだ。
しかし訴えも空しく、近くで作業していた一人の男が、
カアラを見下ろして言ったのだ。
「お嬢ちゃんたちは小端館家だろ? 天満院家じゃねえ。
嫁いだ姉の家のものを奪おうなんざ
ずうずうしいにも程があるってもんだろ」
作業している男たちがドッと笑い、
カアラの顔は真っ赤になる。
なんで、こんな小汚い下働きの男たちが、
詳しい事情を知っているのよ!
カアラはそう思いながら睨んでいたが、
さすがにカアラの両親は気が付いていた。
天満院家がその私財を運ばせるのに、
身元も分からないような者達に依頼するわけがない、と。
「なんですってえ! このっ……」
歯を剥きだして彼に向かって行こうとするカアラの肩を
父親がガシッと押さえ、耳元で囁いた。
「馬鹿な真似は止めろ!
帯刀している者もいるだろう!」
カアラの顔が一瞬で赤から白に変わる。
「……え、何、なんなの」
カアラの父が小声でつぶやいた。
「こいつらは兵士だ。しかも帝都の」
「……」
さすがのカアラも、
帝都の兵士に歯向かうなんて恐ろしいことはできなかった。
三人はそのままリビングで、
なすすべもなく家財が運び出されていくのを見ていた。
「ああっ! あのペルジヤン織の絨毯まで!
ここに敷いたままで良いじゃないっ!」
カアラの母が嘆くが、それはクルクルと丸められていく。
「嘘でしょ! この可愛いチェストは置いて行ってよ!
もう私のものが入ってるんだからあ!」
その言葉を聞き、女性の作業員が引き出しを開けて確認する。
そこにはアイレンのドレスが何枚か並んでいたのだが。
「私のドレスよっ!」
作業員は代表の男に確認しに行くと、
リストを見ながら彼は答えたのだ。
「……チェストの中身はもう不要だから処分して良い、とあるな」
それを聞いた作業員の女性は
チェストからドレスを取り出し、
簡素なテーブルに置いて行く。
カアラはそれを片っ端から引っ張り、
まとめて抱きかかえていた。
チェストはダメそうだが、ドレスだけでも取り戻すのだ、
という執念を見せて。
ひとしきり作業を終えて、彼らは帰っていった。
その帰り際、屋敷にポツンと残された三人を見て、
作業員のひとりがつぶやいだ。
「……なんで、何一つ自分のものではないのに、
奪われたような顔をしてるんだ? アイツらは」
そしてカアラ達の、火の車のような生活が始まったのだ。