11 乗っ取り……?
なんという、素晴らしいお屋敷だろう。
カアラは歩き回りながら、
周囲をキョロキョロと見渡して感激する。
カアラとアイレンは
”同じ町に住む同じ年の同性”ということもあり、
遊び相手としての付き合いが長くあったが、
親同士はたいして親密な間柄では無かった。
母親同士が姉妹である、というわりに
あくまでも表面上の付き合いだったのだ。
その理由はおそらく、
カアラの父が血縁であることを理由に
アイレンの父に対して
仕事の融通や金銭的な支援を要求しても、
穏やかに、しかし毅然と断られていたからだろう。
さらにカアラの母親は、
姉であるアイレンの母を心底嫌っていた。
いや、嫌っているというよりも激しく嫉妬していた。
幼いカアラの前で母が、
古参のメイドに愚痴っているのを、
何度も聞いたことがあった。
「お姉様ばっかりいっつも、良い思いをして!
あんなに立派で素敵な方と結婚するなんてズルいわ!
私の相手はあの”ずんぐりむっくり”なのに!」
娘の目で見ても、上背が高くハンサムなアイレンの父と、
強欲さがにじみ出ているような自分の父とでは
比べるべくもないほどだった。
父のほうも、母に対する愛情は薄いものだった。
仕事仲間に不満を言っているのをカアラは聞いたことがある。
「アイツの姉が天満院家に嫁いだというから、嫁にもらったのに。
なんのメリットもないなんて、損をした気分でいっぱいだ」
自分の両親の不仲にはもう慣れたが、
二人の気持ちはわからないでもなかった。
カアラも二人と似たような性質をしていたから。
お金も賞賛も、自分より”持っている人”が許せない。
自分こそが他の人よりも評価される、選ばれた人間でありたい。
といった、ずうずうしいことを
当たり前のように思っている人種だ。
だからアイレンの窮地を知り、家に華族で押し掛けた時は
”やっと彼女が悲嘆にくれる姿を見ることができる!”
という喜びでいっぱいだった。
不在と聞いて残念がったが、
父が”あの家を乗っ取る”という”名案”をひらめき、
彼女の興奮は最高潮に達したのだ。
アイレンから全て奪うことが出来るなんて!
そして不在につけこみ、無理やり住み着いて数日。
カアラは豪奢なお屋敷の中を、
買ってもらったばかりのドレスで歩きながら、
「これで私も、上級華族の令嬢になれたのね!」
と感激していた。
「なんて広くて、華やかで、立派なんでしょう!」
今までこの家に遊びに来ても、
通されるのは客間か
”子どものためのプレイルーム”だけだった。
だからこの屋敷がこんなに広くて、
部屋数がたくさんあって、
家具も装飾品も一流だなんて知らなかったのだ。
それだけではない。
この家での生活は、今までとは全然違うものだった。
カアラの家は華族といえども、末端のほうだ。
むしろ生活は平民に近いものだった。
もちろんメイドは何人かいるし、
掃除や食事も全部、お任せになっている。
「でも、こんなにも違うなんて。
毎回、高級レストランのコース料理みたいじゃない!」
父も母も酒蔵を漁り、
年代物のウイスキーや高級ワインに歓声をあげ
毎晩ちびちびと楽しんでいた。
グビグビ飲まなかったのは、
”もうこれは自分たちのものだ”と思ったからだ。
貧乏性な彼らは、あまりにももったいなくて、
ちょっとずつしか飲めずにいたのだ。
「お菓子やデザートも専属パティシエ!
お願いすれば、何でもいつでも作ってくれるなんて」
メイドたちも恐ろしく有能で、
家の中には塵ひとつなく、気遣いも細やかだった。
そして、何よりも”お金”だ。
困惑するメイドや侍従を脅し、
金庫を開いたカアラ達親子は
その中身を見て気を失いそうになる。
たくさんの紙幣と、金塊。
そして宝石の数々。
「こ、これが全財産か!」
と興奮で顔を真っ赤にした父に、
侍従がとんでもないことを答えたのだ。
「いえ。ほんの一部でございます。
定期的に領地の収入や事業の収益が届きますので
どんどん銀行や貸金庫に
移していかなければならないのです」
父はとうとう笑い出し、
母は何故か泣き出してしまった。
そしてその夜、父がリビングにふんぞり返り
天井を眺めながら言ったのだ。
「一夜にして、俺の百年分の年収を超える資産を得たのだ。
そしてこれからも、勝手にどんどん増えていくなんて」
金庫から取り出した宝石を眺めながら、母が無言でうなずく。
「……俺は仕事を辞めるぞ。こっちの管理があるからな」
「ええ、そうね。それが良いわ」
父の宣言に、母は上の空で返事をする。
宝石のひとつを指の上に乗せ、
指輪を作ることを考えているようだった。
「ねえねえ、お父様。私にドレスを買って下さらない?
こんな服じゃ、この家には似合わないんですもの」
カアラがねだると、高級なキャビアをつまみながら、
父は鷹揚にうなずいて言った。
「ああ、好きなだけ買えば良い」
カアラはその晩のことを思い出し、
喜びをかみしめる。
そして思ったのだ。
私の幸せの”仕上げ”は、アイレンの泣き顔だ。
家族も財産も失ったアイレンが惨めに泣き叫び
その後、自分たちに慈悲を乞うてくる姿を想像する。
”無能な私に行くあてなどありません。
ここに置いてください”、と。
「ウフフフ……あははははは……」
カアラはひとり、美しい庭園をみながら哂っていた。
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「は? 今、なんと言った?」
カアラの父が、間の抜けた声を出す。
アイレンたちが戻った昨晩。
彼女たちが帝都に行き、
領地の管理や事業の運営者などだけでなく
アイレンの後見人を決めてきたと知り、
三人はおおいに焦った。
このままではここを追い出されてしまう。
それだけではない、カアラのドレスや夫人の指輪など
財産をすでに使い込んでいるのだ。
慌てた彼らは必死に、
”一緒にここで暮らしてあげよう”と説得したのだが。
「私、この家を出ますわ。
広すぎますし、管理も大変ですから。
もっと小さな家で充分ですもの」
朝食を終えた後、執事と並んだアイレンが、
にこやかに告げたのだ。
「そ、そんなことで良いのか?
ここは両親と暮らした思い出のある屋敷だろう?」
「ダメよ、ここを手放すなんて!」
父にカアラは加勢する。
せっかく”お姫様のような暮らし”を手に入れたのに!
絶対に手放してなるものか!
アイレンは首をかしげて否定する。
「いいえ、お父様もここを近く離れるおつもりでしたから」
驚くカアラ達親子に、執事が詳しい理由を話し始めた。
「ここはアイレン様が幼い頃、
旦那様が”自然が多い場所でのびのびと育てたい”とおっしゃって
そのために選んだ場所でございます。
アイレン様が成長し、深く学ばれる時期になったら
また別の相応しい場所に移住するご計画でした」
アイレンもうなずき、明るい調子で言う。
「ええ、そうなの。
だから学校近くのアパートメントでも借りて……」
そこまで聞いて、誰よりもカアラが激怒した。
「バカじゃないの? ここに住めばいいじゃない!」
「そうよ、私たちがいるのよ?
この家は広いけど、あなたに寂しい思いはさせないわ」
カアラの母の必死の説得に、アイレンは笑顔で礼を言う。
「ありがとうございます、叔母様。
でも家の広さは関係ありませんの。
お父様たちがいない寂しさは、
どこにいても、誰といても感じるものですもの」
なおも反論しようとする彼らに、執事が素早く言い渡した。
「すでに昨夜、手続きを終えております。
近日中には荷物は引き払い、
帝都の本宅に送り届けます」
「帝都の? 本宅だと!?」
ここは単なる別荘だというのか。
あまりの事に三人とも、言葉に窮してしまう。
そしてすぐ、現実に気が付いた。
ヤバい。引っ越しとなれば、
勝手に飲んだ酒、使い込んだ財産。
そういったものがバレてしまうのだ。
「わ、私はここを離れないわ。
だって死んだお姉様の思い出が……」
それを聞き、アイレンが初めて厳しい声を出した。
「亡くなったと断定するのはお止めください。
私はまだ、諦めてはおりません」
その威圧感に、三人はいっしゅん身を委縮させた。
しかし負けじとカアラの父が言い返す。
「確かに義兄も義姉も優れた能力をお持ちだったが。
……北海の海に沈んでも、か?」
「ええ。きっと生きていてくれます」
アイレンはハッキリとうなずいた。
その目に迷いはなかった。
アイレンに能力はなくとも、昔から直感に優れていた。
父も母も弟も生きている。
理由は分からないが、アイレンは確信していたのだ。




