10 凶報
ある日、女学校の入学試験のため、
アイレンが自室で勉強をしていた時のこと。
「お嬢様。お伝えせねばならぬことがございます」
執事がいきなり、ドアの前で声をかけてきた。
いつも冷静な彼らしからぬ、切羽詰まったような大声だった。
慌ててドアを開けると、顔面蒼白の執事がそこに立っていた。
「率直に申し上げるため、
落ち着いて、お話をお聞きください」
そして彼は、震える声で衝撃的な事実を告げたのだ。
「旦那様たちがお乗りになっていた船が、
魔物の襲撃に会い、北海に沈んだとの連絡がございました」
アイレンはその場に崩れ落ちた。
あまりにも急な出来事に、涙は出てこなかった。
ここ数日、なんだか落ち着かなくて、
どうにも不安が拭えずにいたのだが。
まさかはるか離れた極北で、
そんなことが起きていたなんて。
アイレンを助け起こしながら、執事が言葉を続ける。
「詳しい情報は、あまりにも遠方のため、
まだこちらに届いてはおりません」
アイレンはうなずき、気丈にも立ち上がって言った。
「……わかりました。すぐに、皆さまに連絡を取りましょう」
泣いている時間は無い。
経営事業や領地管理など、天満院家の者として、
早急にすべきことがたくさんあるのだ。
アイレンはその日から、悲しむ間もなく忙しく過ごした。
さまざまな書簡の発送だけでなく、
執事や主だった家臣と共に
いろんな人と会うため、
いったん帝都へと旅立つことになったのだ。
そのため、自宅に戻って来た時にやっと
従妹であるカアラたち小端館家の人が
天満院家の屋敷に居座っていることを知ったのだ。
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アイレンたちは困惑しきった表情のメイドに、
応接間ではなく、リビングへと案内された。
そこには叔父が我が物顔で、
主が座るための豪奢なチェアーに座り、
オットマンに足を投げ出していた。
食べきれないほどの菓子や
高級ワインが並んだテーブルの横には
母のドレスを着て、母のアクセサリーをつけた叔母がいる。
窓際にはどこの姫君かというほど
フリフリのドレスを着たカアラが、
床に並べたたくさんの靴を眺めていた。
どれもこれも新品であり、届いたばかりの品物だ。
三人はアイレンを見つけると、一瞬目を合わせ、
その後大声で彼女に駆け寄ってきた。
「おお! アイレン! 何と言うことだろう!
何と言う悲劇が起きたのだ!」
太った体をねじらせ、叔父が芝居がかった調子で嘆く。
「お姉様がこんなことになるなんて!
私、ショックで何日も寝ていないのよ」
綺麗に結い上げられた髪、しっかりと化粧された顔のまま
叔母が悲し気に叫ぶ。
「アイレン大丈夫? すごく心配したのよ、私たち。
どこに行っていたの?
……北海に向かったのではなかったの?」
並べられた靴を片付けるようにメイドに指示しながら
口元に笑みを浮かべてカアラが尋ねてくる。
アイレンは混乱しながらも、ようやく返事をすることが出来た。
「い、いえ。まさか。北海には行かないわ。
帝都でいろんな人に会っていたの……」
執事はその間、メイドたちから事情を聞いていた。
天満院家の悲報が伝わったとたん、
小端館家の人々が押し掛けてきたそうだ。
最初はアイレンの身を案じる言葉を叫んでいたが、
居ないと分かるといったん戻っていった。
しかし数時間後、また戻ってきて、
書簡をチラリと見せた後、叫んだそうだ。
「天満院氏には兄弟がいない。
そのため天満院夫人の妹の夫である私が
このたびアイレンの後見人となり、
この家を取り仕切ることになった!」
それを聞き、あきれ顔の執事は急いでリビングに向かった。
ちょうどアイレンを三人が取り囲み、
口々に騒いでいるところであった。
「本当に残念なことだ。このままでは天満院家は終わりだ」
「どんなに心配したことか。
私、体調を崩してしまいましたわ」
「アイレンだけじゃ、なんにもできないものね。
特に能力もないし、ひとりぼっちなんだから」
そして叔父が高らかに
「これからは力になるから大丈夫だ。
全て私に任せておきなさい!」
と宣言したところで、アイレンはやっと言葉を発したのだ。
「ありがとうございます!
叔父様、叔母様。カアラもありがとう。
天満院家のことをそこまでご心配くださって、感謝しますわ」
その返事にニンマリと笑う三人。
最初に押し掛けた時、アイレンの不在を告げられ、
彼らはいったん戻ったのだが、
すぐに今がチャンスだと思ったのだ。
あの家で残されたのはアイレンのみ。
常にお気楽で人を憎むことも疑うことも無く、
自分の家柄や財産にも執着していない娘だ。
そのような娘など、言葉一つでどうでも出来る。
全てを自分たちのものに譲渡させることなど簡単だろう。
そんな風に思っていたのだが。
予想に反し、アイレンは冷静に事実を述べた。
「ご安心くださいませ! この家の今後につきましては
さまざまな方が支えてくださることになりました!
叔父様たちの手を何一つ煩わせることはありませんわ」
「はあ? さまざまな方だと?」
間の抜けた顔をした叔父に、アイレンは鞄から書面を出した。
「帝都でお会いしてきましたの。
我が家の専属弁護士さん、税理士さん。
共同経営者さんや領地の管理人さん……それから」
延々と続くその役名に、三人の顔色がどんどん悪くなっていく。
アイレンだけならともかく、そんな奴らが関わっているとは。
「そ、そうか。それは良かった」
叔父が引きつり笑いで答える。
面倒なことになった。
しかしそう簡単に、莫大な財産を諦めるわけにはいかない。
すぐには無理でも、
最終的に天満院家の後継者として認められれば良いのだ。
なんの”能力”も持たないアイレンなど蹴落として。
「しかし、お前には保護者が必要だ。
この先、子どもだけでは生きていけないからなあ」
叔父が聞いたこともないほど、優しい声で言う。
その横で叔母も、うんうんとうなずいて言う。
「こういう時は、身内で支え合わないと」
そしてカアラが恩着せがましい口調で言った。
「そうね、仕方ないわ。
だからこの家で一緒に暮らしてあげるわよ。
あ、部屋は南東の綺麗な部屋ね?」
「えっ? あの部屋は私の……」
「せっかく私が住んであげるのだから譲りなさいよ。
というか、もう荷物を運び入れちゃったわ。
今さら別の部屋に行けなんて、言わないでしょうね?」
二の句が継げないアイレンに、
叔父と叔母もうなずいて言う。
「アイレンもこの機会に、人に譲ることを覚えたら良い。
なんでも自分のもの、というのは強欲が過ぎるだろう」
「そうよアイレン。独り占めなんて、レディのすることではないわ。
”みんなの幸せ”が考えられるようにならないとね」
彼らの言葉に、我慢の限界を超えた執事が反論した。
「アイレン様の後見人は決定しており、帝都に複数名おりますが。
メイドたちに提示したという書面を拝見願えますか?」
叔父たちの顔色が悪くなり、執事から目をそらす。
そして吐き捨てるように言った。
「……執事などに見せる必要はない!」
「あら、手続きに間違いがあっては大問題ですもの。
見せていただきたいわ」
アイレンがカバンの書面を見ながら、心底不思議そうに言う。
叔父を疑っているというより、
どうなっているのか理解できないでいるようだった。
当事者であるアイレンに言われ、叔父はぐっと言葉に詰まる。
そして首をかしげ、ぎこちない笑みを浮かべて言った。
「そんなことより、食事でもどうかね?
長旅で疲れているのだろう。
今後のことは、ゆっくり話そうじゃないか」
必死の時間稼ぎに、執事は冷静に言葉を返す。
「そうは申しましても、私が戻りました以上、
旦那様不在の際はこの家の管理を私が任されております故。
アイレン様、お客様方にご夕食のお誘いをなさいますか?」
夕食を勧めることができるのは、叔父ではない。
この家の者であるアイレンだけ。
そう言っているのだ。
ムッとする叔父を気にする事も無く、
アイレンはうなずいた。
「そうね。さすがに今日はもう遅いし。
とりあえず皆様、召し上がって行ってくださいな」
「……ハハハ、そうするか」
乾いた笑いをふりまきながら、叔父は執事を睨んだ。
執事は表情を変えることなく一礼し、出て行った。
そして慌ただしく廊下を早足で進んで行く。
長旅で帰ったが、この館では面倒な問題が発生していたのだ。
残されたアイレンと天満院家を守るべく、
することがたくさんあるから。